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サタンに騙されない(1)

私はいま、クリスチャンの老夫婦に住む場所を提供して頂いている。ホームステイではなく、フラットを一軒無償で。最初このフラットを与えられたとき、夢だと思った。こんなに素敵な、素晴らしい部屋に無償で1年間住むことができるなんて。。。

最初部屋に案内されたとき、思わず涙がこぼれた。
神様は私をこんなにも祝福してくださったのだ。


イギリスの部屋事情というと、月500ポンドが一番安く、日本円で10万円弱である。(いまは円高で1ポンド190円。2024年3月14日現在)

当たり前が壊される毎日ー強くなるー

私は一年前までロンドンで部屋を借りていた。エリザベス線の最終駅で安い場所を探したところ、光熱水費込みで月500ポンド、それがロンドンでは最安値で、周りに話すと驚かれた。それでも、トイレとシャワーは共同で、清潔ではなく、この金額を払ってではあったが、ネズミが台所や自分の部屋に出てきたりしていた。共同の冷蔵庫に入れたものを同じフラットに住む人に食べられたことも多々あった。黙っていたが、さすがに堪忍袋の尾が切れてというか、単純に食べようとしていた食料が翌朝なくなっているので、「わたしの食べ物を食べましたか?」と聞くと、彼は「How would I do that?なぜ僕がそんなことするだろう?」という。彼の背中では鍋の中で私の食料が煮られてぐつぐつ言っている。

フラットにネズミが出ていたので、私ともう一人のフラットメイト(3人でフラットを共有していた)は、二人の間では中国語で会話をして「ここには大ネズミ(私の食料を食べる男)と小ネズミ(本物のネズミ)がいるね」と笑って乗り切っていた。

結局、私は小さなバッグを買って、そこに食料を入れて鍵をかけて冷蔵庫の中に入れた。いま思い返すと、とんでもないと思われるかもしれないが、私は料理をするたびに、鍵を持ってキッチンへ行って、必要な食材だけバックから取り出しては、調理した。冷凍庫にも、ミニバックを入れた。生きるためにした工夫だった。いま思うと、ロンドンでの生活は本当に苦労があった。でもその渦中にあるときは、生きるために前だけを向いて進んでいたように思う。

ロンドンでの生活

ロンドンではそんなことで、大変不自由ながらも、信仰だけは失わなかった。苦しいことがある度に、神様だけを見上げた。最初は、オーペアというベビーシッター兼ハウスキーピングの仕事をしながら、住居費と食費を浮かせていた。いまだから言えるが、最初は、色々な意味で辛かった。自分のプライドも、いままで誇りに思っていたことも、全て神様に砕かれ、砕いていただいたように思う。

世話をしている子どもを学校に送った後、家に帰る時、ビルを見上げる。「私もこんなところで働いていたのにな。」自分がいま、何をしているのだろうと考えない日はなかった。それでも、当初の目的だった博士課程に申請したり国連に応募し続けたりした。夢は諦めなかった。しかし、残念ながら博士課程も国連も申請書は通らなかった。

打ち砕かれたのは、夢だけではなかった。
プライド。

私は大学院を3つ出て、中国語も英語も使っていた。心のどこかで、イギリスでも簡単に仕事が見つかるだろう。大学院に入ることができるだろうと思っていた。

しかし、実際にイギリスではイギリス国内の経験を重視する。ストレートに言うと、どれだけ輝かしい職歴や学歴があっても、それが国外のものであれば、イギリスでは文字通りゼロからのスタートなのである。

私は最初イギリスに来た時、オーペア(ベビーシッター兼ハウスキーパー)は暫定的なもので、すぐに博士課程もしくは暫定的な仕事を見つけることができると信じていた。

しかし、甘かった。

なかなか抜け出せないオーペア生活に、私は精神的にも肉体的にも疲弊していった。

オーペアであるということは、私のホストファミリーの中では、家族の「しもべ」になることであり、家族が命じたすべてのことを、問答なしにしなければならなかった。もちろん、家族のおかげで私は飢えることはなかったし、イギリスでの生活に安全な環境で慣れることができた。しかし、私のホストファミリーはクリスチャンではなかったので、一緒に聖書を読もう、ということはなかった。

日曜日に霊的に満たされ、教会の友人とハグをして別れ、月曜日になり、子どもを学校へ送迎することに毎朝、毎夕方、必死だった。バスに乗り遅れないようにと子どもの手を引いて走る。やっと子どもを朝学校に送り届けた後、「神様、今日もありがとう。」と一人で家へ向かう帰り道。朝からホストファミリーから強くあたられた日は、泣きながら家に帰っていた。特に、月曜日の朝は辛かった。霊的にも満たされ、教会の人たちに愛され、手を振って帰った次の日には現実が待ち構えていて、家にいる一人のクリスチャンとして、どんなに辛く当たられたとしても、私はそれを涙で流し、讃美歌を聴いてバスの外を見ていた。

こんな日々が、いつ終わるのだろう。そう思っていた。

私のプライドは完全に打ち砕かれた。

今思うと、神様はここイギリスでミッショナリーとして奉仕するために私のプライドを角を打ち砕き、低くし、心を整えてくださっていたのだということができる。

大学院を3つ出ていても、英語も中国語も話しても、現実の私は、オーペア、家族のしもべのほかなんでもなかった。

神様は、私の信仰も強くしてくださった。

ホストファミリーの中で私だけがクリスチャン。
ホストファミリーに理不尽な対応をとられ、悔し泣きしたとき、神様に泣きついていた。たとえ家族が私を信じてくれなくても、神様だけは私の誠実を知っている。そう信じて、唇を噛み締めて、私はその家を出ていった。

そして、ロンドンでの一人暮らしに入った。先ほど述べた、大きなネズミと小さなネズミのいるフラットである。

プライドについて、神様はこのように語っている。

3 主を恐れるとは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪しき道と、偽りの言葉とを憎む。

箴言第8章

神様はプライドを嫌う。そして、自分が知識がある者であると驕ってはならないという。

18 だれも自分を欺いてはならない。もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、その人は知者になるために愚かになるがよい。

コリントの信徒への手紙一

私はこれまでの人生を「一生懸命」生きてきた。それ自体は悪くないのだが、それゆえに、努力と運を盾とする「驕り」が確かにあった。それを、この他人家族のしもべとなることで、神様は打ち砕いてくださったのだった。

その経験があるからこそ、私はいま、謙って人に仕えることができるようになった。

人に愛を伝えるのに学歴はあまり必要ではなく、ただ、愛を、イエス様からいただいた愛を伝える、それだけなのだ。



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