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故郷

海外生活10年目。22歳のとき留学を機に日本を出てから、10年間、1年以上日本に住んだことはない。日本へ帰るときはいつも「一時帰国」。だからもう、海外が私の「家」となっている。日本の制度とか、あまりわからなくなってきて、車の運転もペーパーだし、帰国した時は化粧品や服を「大量購入」するので、観光客と間違えられたことも何度かあるが、もうそんなことにも慣れた。前回イギリスから日本へ帰った時も、3日でイギリスに戻る準備をしている自分がいた。日本にいると、なぜか落ち着かない。

それでも、日本は私の故郷なのである。日本語を聞くと安心するし、日本人を見ると嬉しくなるし、友達になるともっと嬉しい。私の故郷を知っている人がいる。私は鹿児島出身だが、海外ではどこ出身の日本人でも会えたら嬉しい。

日本にいるよりも、海外にいるほうが本当の自分でいられる気がする、というよりも、単純に日本以外に住むことが私には合っているのかもしれない。よく友人に、「よくそんなに色々な国に適応できるね」と驚かれるが、私は日本に適応出来なかったのである。人によって似合う服が違うように、生まれてきた国が必ずしもその人に合うかは分からない。むしろ、いろんな色の服を着てみて、自分に合う服がわかったりする。私は、日本では様々な辛い経験もしたし、日本社会になじめなかったことも事実。それでも、私が生まれ育った故郷は日本なのであり、ふとした時に頭の中を巡るのは、小学生、中学生の頃に通った通学路と、よく通ったスーパー、おばあちゃんちの畑、日本の風景なのである。人との思い出よりも、その時の景色が鮮明に思い出されるのだ。そこにはもちろん、私の大事な人もいた。

日本は、私の故郷であり、私を育ててくれた国であり、私の家族や友達、みんなが暮らすところ。海外に長く住んでいると、ただ日本人をYouTubeで見るだけで親近感が湧くし、日本人とイギリスで出会うと自然と笑顔をもらえるのだ。こんなにも日本が、日本人が恋しくなるとは。

日本は、いつまでも、私がどこにいても、私の故郷だ。


故郷とは

こちらの番組では、中国を故郷とする「外国人」の物語が紹介されている。彼らはもはや「外国人」ではなく、自分の「故郷」を愛する国の民なのである。

私は、中国に6年間住んでおり、中国にいると中国人と思われていた。それくらい中国に馴染んでいたし、「母国」だと感じていた。

2019年に尖閣諸島問題が発生し、日系スーパーや日本産の車などがアタックされる中で、中国人の友人や知り合いはというと、日本の家族や友人以上に私のことを心配してくれて、「えみ、大丈夫?」「もしもえみの身に何か起きたら、ぼくがただじゃすませないから」「私たちが日本人のえみを守るから」と言ってくれた。中国人の彼らは私を友人として、それも親密な友人として私を受け入れてくれていたのだ。

緊張したニ国間関係を前に、胸が熱くなったのを覚えている。

復旦大学留学中の修士論文には、政治家、田川誠一と中国側官僚との「友情」を浮かび上がられた。政治的背景、趣以外に、そこには、国と国を超えた「友情」が確かに合った。そして、1972年、日本と中国は国交正常化を迎えた。アメリカのニクソン大統領訪中(ニクソンショック)が日中国交回復のすべての背景だという論もあるそうだが、日中間に何もない中にいきなり、国交回復が生まれることは難しいといえよう。そこには11年に渡る日本と中国の(非)政治的交流があった。

二国関係とはいえ、人と人との関係に変わりはなく、そこには確かに、公文書には書くことのできない日本の政治家と中国の官僚との「友情」があった。私の修士論文はそのことを明らかにした。

復旦大学の3年間の修士留学日記(中国政府奨学生)はこちらにあるので、ぜひ。(学問のことはあまり書いていません。むしろ、私と、中国人との友情をこの本で明らかにしました)

前置きが長くなったが、中国も、私にとって大切な第二の故郷である。

もしかすると、いま暮らしているイギリスもいつのまにか私の故郷となるのかもしれない。見た目はアジア人だけど、イギリスではすっかりこちらのアクセント(アメリカ英語ではなくイギリス英語)を話すようになってしまった。文化も、人も、教会に通っているとわかるようになり、だんだんとコミュニティに溶け込み、いまでは自分がホストしてみんなを食事会に誘うようにもなった。

もはや、第三の故郷と言ってもいい。

皮膚の色や話す言葉で、その国の民かどうか分別することはできない。私は中国で、中国人に愛されていたし、イギリスもいまでは落ち着く場所となっている。

日本で暮らす「外国人」も同様に、日本語が話せる、話せないに関係なく、日本を愛し暮らしている人は、その国で暮らす民の一人であることに変わりはないのである。その人が望む場所、それが故郷なのである。

冒頭で日本が私の故郷だと述べたが、日本以外にも私の暮らす場所はあり、日本を思い出し、懐かしくなるけれど、いま置かれた場所も、いつか思い出すようになるのかなと思う。

見た目で国の民を定義することはできない。国を超えた友情、愛は確かに存在する。私は10年間海外で暮らしてきて、それは自分の肌身で、心で感じてきた。

私は、日本人を愛する。中国人も、イギリス人も、いや全世界の人たちと会うと面白い。違っているから、面白いんだ。

私の夢は、世界平和です、と言っていた私。世界が、私の家だから、繋がっているこの丸い地球で、本当の友情と愛を見てみたい。


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