修士論文を形に。
2021年12月、私は南米コスタリカから帰国し、東京で働き始めていた。
しかし、コスタリカから持って帰ってきてしまったものがあった。それは修士論文である。
文章を書くのが好きなのに、論文を書くのはまだ好きとはいえない。なぜなら、文章を書くだけのインプットなら自分の経験で良いのだが、学術論文となると、他の人の論文をしこたま読まなければならないのであり、面白い本以外読むことが苦手な私にとって、論文を読みまくることは得意なことではない。
プログラムは、キャップストーンプロジェクトで修了したため、もともと論文を提出する必要はなかったのだが、修士に入ったら論文を書くことが当たり前だと思っていた私は、プロジェクトの傍ら論文を任意で書くことにした。それがこんなに長く続くとは思わず。。。
2021年末から東京で勤務していた傍ら、東京に友人もいなかったため、仕事の後や休みの日は論文漬け。2022年のGWはまとめて休みを取ると10日間あったが、私は「実家に帰る」という名で論文を進め続けた。学生時代、そして就職してからも間もなかったため、英語の文章を読み続けることに苦はなかった。
2022年夏に初稿を提出。その後、指導教員が温めすぎて、翌年2023年2月にはじめてフィードバックをもらう。この返事が遅すぎたのと、私は初稿の時点で完成度が高いものが出せていたと思っていたので、フィードバックと共に構成の変更が来たことで驚きと落胆。
そのあと、2023年以内に提出を終えようと指導教員に言われて、「時間はまだまだあるじゃないか。大丈夫。」
と思っていて、いま、2024年の3月も半ばである。
東京での勤務を終えて、イギリスに渡り、新しく国際機関での仕事をオンラインで始め、イギリスでは本格的にミッショナリーとして奉仕の日々が始まった。
論文のことは、頭の片隅にあったが、イギリスまで渡ってからは、手につけられなかった。
時間というものは、継続は力なりで人を成長させるが、ブランクは恐ろしいもので、コスタリカ時代あんなに熱心に取り組み、先行研究を興味のもと突き進んでやっていたのに、現在は一つの論文も読み切ることができない。
言語の問題かと思って翻訳機にかけて翻訳しても、「概要」を読み終わるのに必死。
読むこと、書くことの力が完全に麻痺してしまっていた。
私の論文のテーマは、2019年にスリランカで起こった同時多発テロのBBCとAljazeeraの報道の分析である。「Peace Journalism」という理論を基に、そのIndicaterを使って二つの異なるメディアの報道を分析。その報道が、平和を助長しているのか、紛争を助長しているのか、それとも中立なのか、分析した。300以上の新聞記事を読むのも、東京勤務時代は苦ではなかった。
時が経った現在、あらまあという具合で、自分に何度も鞭を打ち、人から刺激を受けるために話を聞いたりするが、2日でその効果は切れてしまい、また振り出しに戻る。
もはや、一人ではどうしようもない。コスタリカにいたときは、論文とグループプロジェクト、そしてインターンシップもしていたので、(普通はどれか1つで卒業できる)コスタリカにいる間は先行研究に一分一秒惜しまなかった。結果として、コスタリカにいたのに、旅行をしたのはカンボジア人の親友に無理やり引っ張られて行った1回のみである。卒業式も欠席した。理由は、「時間が勿体ないから」。
卒業式の場で卒業生代表の挨拶でまさかTAとして授業をサポートしていた私の名前が呼ばれるとは思わず。私はその朝、先行研究に取り組んでいた。今思うと、自分がCrazyであったと認めざるを得ない。。。
こんなに時間と労力と、青春と全ての空き時間を捧げて書いた論文は、指導教員に半年間寝かされた後、蓋を開けると、自分の論文なのにまるで見たことのなかった文章のようで、それから新しい仕事とイギリスに移動したことが重なるともう浦島桃子になり、どこから手をつけたら良いかわからなくなっていた。
言い訳と言えばいいわけである。向き合え!と言われると向き合わないといけない。
神様はわたしに何を語っているのかな。
神様はわたしにすべてを与えてくださった。いまはただ、神様から頂いたものを、才能を、知識を、能力を、全て神様のために仕うこと それだけを望みます。
世界で起こっている紛争。平和ジャーナリズムは必要です。私の研究が少しでも人のためになることを願います。この論文が形となり、オープンアクセスできるものとなりますように。イエス様あなたがそうさせてください。イエス様の御名を通してお祈りします。
アーメン。
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