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478.【ペア活】国立文楽劇場に行く!~十一代目豊竹若太夫襲名披露~

太夫さんは舞台を見ないし、三味線さんも見ない。
三味線さんも、太夫さんを見ないし、舞台も見ない。
人形遣いも、ほかの人形遣いや、太夫さんや三味線さんを見ない。
 
なのに、すべてが調和し、相乗しあっている。
 
(本文より)
 
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二十数年ぶりに国立文楽劇場に行く。
席は舞台前から5列目。太夫さんと三味線さんが座る「床」に近い右前方だ。
目の前には、黒・萌黄・柿色の三色が縦に並ぶ定式幕が下り、これから始まる気配を後ろに秘めている。その緊張感。右手に見える無人の床が放つ、圧倒的な存在感。劇場全体にただよう、日常と非日常の「あわひ」の気配に、背筋が伸び、胸が躍る。
 
隣の崇代さんが、ごそごそしているので、何をしているのだろう? と思ったら、双眼鏡が出てきたので、驚いた。いや、安心した。なぜなら、私も持ってきたから。
文楽のお人形の細やかな動きや表情、衣装、技芸員さんたちが手作りする小物類は見どころがたっぷり。肉眼で十分に鑑賞できる、前から5列目の席だとわかっていても、細部までしっかり観たくて、カバンに入れてきたのだけど……。神聖な舞台の前で双眼鏡を目にあてるなんて、ヒンシュクではないか? と心配していた。
 
前から5列目に、フォーマルなスーツ姿で並んで座る、それなりの年齢の2人の女性が、かしこまってそろえる膝の上に、オベラグラスではなく〈双眼鏡〉をのせている光景は、崇代さんと私の〈同類加減〉を表していて笑える。(聴き間違いでなければ)、崇代さんに「ヘン友」と呼ばれ、しっかり免罪符をいただいたので、心置きなく「ヘン行動」にいそしめる。さっそく双眼鏡を目にあて、舞台のあちこちに焦点を合わせて、ウォーミングアップ。
 
開演時間となり、幕開きを告げる柝(き)の音も、配役を告げる口上も、なつかしさでいっぱい。二十数年ぶりの文楽!
 
幕が開く。
 
文楽では、床のある上手から下手に向かって、幕が曳かれ、開いていく。その音が、
 
(鳥肌ものーーーっ!!) 
 
舞台の端から端へと、重い幕を一定のリズムで曳いているのだと思うのだけど、いったいどうやったら、こんな音が?
 
幕が開くにつれ、だんだんと高まり、重厚さを増していくその音は、砂浜に波が寄せるようであり、飛行機が滑走して空に飛びだっていくようであり、その音に引き込まれているうちに、ちらばった思考や感情が根こそぎ浄化され、まっさらになる。
 
(人の足と腕と心で開いていく音)
 
機械で巻き上げる幕には出せない音。まだ、公演が始まってもいないのに、感涙。伝統芸能って、なんて素晴らしい! 誰かと共有したい! わかちあいたい!
崇代さんに話しかけたいけど、すぐに三味線の音。
 
ああ、もう、一打ちでやられる
 
三味線の音にやられ、太夫さんの気迫と七変化の語りにやられ、人形と人形遣いさんの声なき声と寄り添い感にやられ……。
まるで初めて文楽を観た人のように、ビンビンに感動しまくりの3時間。
 
三味線のことから書いていく。文楽の三味線とは、いったいなんなのだろう。ただの楽器の音色ではない。そもそも、楽譜がないそうだ。
 
文楽の三味線は、太棹という種類で、バチが重厚。分厚い。弦が太い。駒が高い。駒が重い。
一打で、すべてを表現する。季節も、時刻も、心情も。志も。情景も。
一打で、その場に観衆を連れていく
聴いていると、三味線の音色は、人間の言葉ではないのに、そのように感じられる。
 
逆に、太夫さんの浄瑠璃は、言葉なのに調べのようだ。語られているのは日本語なのに、言葉を超えた次元で奏でられ、振動を重ねて、劇場に渦を起こし、魂がゆさぶられ、ぞうきんみたいに、心がキリキリとふりしぼられる
 
そして、人形遣いと人形の一体感。つながり。絶え間ない交歓。人形遣いから人形へ。人形から人形遣いへ。確かに感じる、せつなく、狂おしいほどの声なき声を、いったいなんと名付ければよいのだろう。人形の心情やセリフは、太夫や三味線が語っているのだけど、人形からも、人形遣いからも、発せられている。それを目の当たりにして、ふるえる。
遣っている桐竹勘十郎さんは、重要無形文化財保持者だ。人間国宝。
 
文楽の人形は3人で遣う。右手と頭を遣う人。左手を遣う人。両足を遣う人。3人で1体の人形を遣う。舞台では。その不思議さが気にならない。
 
太夫さんは舞台を見ないし、三味線さんも見ない。
三味線さんも、太夫さんを見ないし、舞台も見ない。
人形遣いも、ほかの人形遣いや、太夫さんや三味線さんを見ない。
 
なのに、すべてが調和し、相乗しあっている。
 
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今回、襲名披露の演目となった「和田合戦女舞鶴 一若初陣の段」は、忠義と子への愛情の間で葛藤し、苦渋の決断を下す姿が描かれている。主君の子息を守るため、十歳の我が子に身代わりとして切腹をさせようと、自分の子ではなく主殺しの子であるという芝居を打ち、それを真摯に受け止めた我が子が武士として潔い最期を遂げる。今際の際の母子のやりとりが圧巻で、太夫・三味線・人形がクライマックスに向かって昇りつめていくさまは、息遣いや、気迫、声色や音色に、勝手に身体が反応して、文楽劇場の椅子が、まるで体感型シートになったような臨場感に翻弄される。
 
初代若太夫が初演し、十代目若太夫が襲名披露狂言に選んだ演目で、人形入りで上演されるのは、59年ぶりという。
 
舞台を体感し、誰にでもできる演目ではない、と痛感した。だから59年ぶり。十一代目若太夫襲名披露だからこそ
 
(観ることができて、本当によかった)

「襲名披露口上」というものも、初めて体験した。感銘を受けた。裃姿の十二名。若太夫にゆかりのある技芸員が並び、それぞれが襲名を祝うあいさつを述べる。ご本人は何もおっしゃらないのが、文楽流なのだそうだ。
 
「若太夫」とは?)
 
パンフレットに掲載されている「襲名記念インタビュー」に、【初代若太夫は、義太夫節を創始した竹本義太夫の弟子。豊竹座を旗揚げした方で、豊竹姓の最高峰となる大きな名跡】と書かれている。
十代豊竹若太夫は、十一代若太夫の祖父。その名跡を襲名することへの想いが、インタビューで語られている。深く感銘を受けたので、転載する。七十歳で前名の「呂太夫」を襲名したころから見えてきた世界について。
 
【祖父が名乗った若太夫という名前に対する意識は昔からありましたけど、あまりにも遠すぎて、呂太夫襲名の頃まで現実感が湧かなかったんですよ。「切語りになりたい」とか、「若太夫を襲名するぞ」とい気持ちはあまり無く、その日その日を楽しく過ごしたいと思ってきました。それが七年前から、色んなことが変わってきたんです。年齢を重ね、重要な場面を次々と語らせていただけるようになり、自分の中の本気度がどんどん増してきて、声の出し方とか、表現の仕方とか、今まで見えてこなかったものが少し見えてきた気がしました。~中略~ 最近は、若太夫という大きなものに身も心も包まれる感じがして、新たな世界へ飛び込んでいくような、招かれているような不思議な感覚がありますね】
 
【人形浄瑠璃の研究者で早稲田大学教授の故内山美樹子先生が、「十代目若太夫は七十歳を過ぎても芸が進化した」とおっしゃっていたので、「自分は八十歳からでも成長するぞ」という思いが湧いてきております】
 
(令和6年4月公演 国立文楽劇場パンフレット「襲名記念インタビュー」より転載)
 
最高峰としての名跡を受け、七十七歳から、さらなる精進をすると誓われている姿に、まだ60歳にもなっていないのに、もう何もできない気持ちになっている自分が恥ずかしい。
 
恐れ多くて、気がるにお話などできない。ロビーに立っていらっしゃっても、普通なら近づけない。でも、とっても気さくで、一緒に写真を撮ってくださり、本にサインをしてくださる。握手もしていただく。
舞台の感想を聞かれて、「すごかったです!」としか言えない情けなさ。
 
お話できたのは、崇代さんが、このかたから義太夫を学んでいらっしゃったからだ。

崇代さんは、学んでいたときの、書き込みがいっぱいの義太夫の床本を持ってきていらして、サインをしていただいていた。


そして、私がサインしていただいた御本は、出版社勤務時代に、崇代さんが手がけたものとのこと。
これから読む。

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今回、文楽公演を観に行くことになったきっかけは、スピプロ10期で同期の西田崇代さんが、
 
「実はワタクシ文楽ファン 10年間義太夫を習っていたお師匠さんが4月に大きな名跡を襲名されるので、4/26に見に行きます。もし興味ある方いらっしゃいましたら、ご一緒しませんか?」
 
と投稿されているのを目にして、行きたくなったからだ。
 
実はワタクシも文楽ファン。初めて鑑賞したのは、二十代の終わりごろと遅かったけれど、たちまち夢中になり、初年度は、新春・春・秋の定期公演のほか、技芸員のかたが解説してくださる鑑賞教室や、夏休みの特別公演、文楽劇場以外でのイベント的な公演にも足を運んだ。
 
文楽の公演は2部~3部制で、演目が違っている。次はいつ観られるかわからないので、通しでチケットを買って、朝から夜まで劇場にいる。ロビーで、お弁当やおやつを食べる。一緒に観に行く文楽友達ができ、東京公演ではかからない演目を観に、わざわざ関東から足を運ぶ人もいて、1年があっというま…… という生活をしていたのだけど、結婚して、出産したら、お出かけは子ども中心になり、すっかり遠のいていて、気づけば二十数年。すっかり浦島太郎。でも、よいものはよい。こんなすごいものを観ることができる幸せを、再び思い出している。
 
文楽劇場のお楽しみは、お土産に打っている和菓子で、幕間の休憩時間に食べていた。今も変わらず販売されていたので、懐かしくて買って帰る。


パンフレットと、床本集。読み返していると、そのときの太夫さんの声や三味線の音、人形の動きが蘇ってくる。

文楽5月公演は、東京で開催若太夫襲名披露公演です。この貴重な公演をぜひ!
 
太夫さんの語る浄瑠璃の情景やセリフがわからないかも…… と心配されているかたも、大丈夫。海外の言葉で上演されるオペラや、セリフのないバレエの舞台や、オーケストラの演奏を鑑賞するのと、同じではないだろうか。言葉を超えて飛び込んでくるもののシャワーに打たれる。
 
そして、幕間に耳をすませていると、必ず、とっても詳しい人と、初めての人が鑑賞に来られていて、とっても詳しい人が、初めての人に解説している声が聴こえてくる
今回も、すぐ後ろで、とっても詳しい人が、初めての人に解説されている声が聴こえてきて、それがあまりにも上手で、魅力的な説明なので、ふりむいて顔を観て、仲間に入れてほしいくらいだった。
 
なんの公演でもそうだけど、鑑賞に来ている人たちのウォッチングって、楽しい。
 
浜田えみな
 
 襲名披露特設サイト

 
4月大阪公演特設サイト

 

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