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485.【介活】介護タクシーデビュー ~祖父の守り~

父の転倒によるあれこれをふりかえると、すべてが、大きく守られていたことを感じる。

空海の書を観ながら、私は、祖父を思い出していた。
父を守るために飛んできてくれた気配を、感じたのだと思う。

(本文より)

**********

空海展を観て、大満足で帰路につき、電車の中で、父のケアマネージャー Oさんからの着信に気がついた。乗り継ぎのタイミングで、電話をかけると、第一声が「お父さんが転ばれたんです」
(はいはい、大丈夫ですよ)と思って聞いていたら、「いま、病院」というので、驚く。

(まさか、骨折!?)

と、心がざわざわしはじめ、胃のあたりがきゅーっと縮んで、重たくなっていく。
「骨折ですか?」と尋ねると、「いや、転んで、顔をすりむいて、口のところを切って、2針縫ったの」と言われ、とりあえずほっとする。
「デイで転んだんですか?」
「いや、ご自宅の前みたいよ」

(帰宅後なのに、なぜ、Oさんが一緒に?)

****

家の庭先から、門を出て道路に降りるには、3段ほどの石段がある。
父は、デイサービスから帰宅したあと、おそらく自宅まわりの溝掃除をするために、階段を降りている途中でつまづき、顔面から道路に転び、唇を切ったらしい。
血だらけで倒れているところを、車で通りがかった人が見つけて、救急車を呼んでくれ、うちの家が不在だったため、お向かいの家のインターホンを鳴らしたところ、そのかたがOさんと友達で、父の担当をしていることもご存じだったので、Oさんに連絡してくださり、すぐに駆け付けてくださったという経緯。

病院を尋ねると、隣の市の市民病院。

(なんで、隣の市?)

救急車で病院に搬送するとき、頭を打っている可能性があることから、脳神経外科のある病院で搬送可能なところを探してくださったとのこと。

私がタクシーで迎えに行って、父を連れて帰るより、病院からタクシーに乗せてもらって、自宅で迎えるほうが早いということで、一番動かなければならない私が、自宅待機!
私が、いちばん、何にもしていない。

通りがかりの見知らぬ人が、車を停め、救急車に連絡してくださり、ピンポンされた向かいの家の人が、ケアマネさんに連絡してくださり、私までつながった。病院へはケアマネさんが、バイクで向かってくれ、父に付き添ってくださった。

信じられないような、ありがたすぎる偶然と、最悪の事態を回避できた幸運と、親切であたたかい人たちのおかげで、治療を受け、無事に帰宅できた父。

タクシーが到着した音がしたので、急いで駆けつける。

(………)

絶句。
ばんそうこうだらけ。
おでこ。鼻のあたま。縫ったというくちびる。満身創痍ならず、〈満顔創痍〉
小さな子供だとかわいいけれど、86歳のおじいさんだと哀愁が漂う。

とりあえず、父を寝室に連れていき、飲み物とパンなどを置いて、Oさんの所に戻り、状況を伺う。
すごいと思ったのは、救急隊のかたとの電話でのやりとりを、「録音」されていて、それを聴かせてくれたこと。
本来なら、私が答えなければいけない、父の状況や持病のことなどを、わかる範囲で答えてくださっていて、それも、ケアマネージャーのOさんだからできることだった。

病院からの連絡事項として、翌日、脳神経外科を受診してほしいと言われる。
タクシーで行くしかないと思っていたら、Oさんが「あそこに電話してみたら?」と言う。
2年前に契約したけれど、1度も使っていない、介護タクシーのサービスだ。
その場で電話してくださり、翌日の予約を取ってくれた。

「絆創膏は外さないでください」
Oさんがメモを読み上げ、病院からの【頭部外傷後の注意】というリ-フレットを渡してくれる。

「絆創膏は外さないでくださいって言われても、認知症の父は無理かも。ケガをしたことを覚えていないから、顔のまわりに何かついていたら、すぐに外すと思うんですけど……」
「しょうがないよね(笑)とりあえず、伝えましたよ!」

Oさんが優しくて明るくてあたたかい人で、本当に救われる。

その後、父は、速攻、口のまわりの絆創膏をむしりとっていた。
何回か、貼りなおしたけど、すぐに取ってしまう。
痛くないのだろうか?

*******

「なんや、これはーーー。どうしたんやー」

洗面所からの声。
少し眠って、起きてトイレに行った父は、洗面所の鏡で、擦り傷だらけで、2針縫った唇が、ひきつれている、フランケンシュタインみたいな自分の顔を見て、びっくりしたらしい。

(たしかに)

「お父さん、こけて顔をすりむいたの」と伝えるけど、すぐに忘れる。

その夜、3回、父の絶叫を聴き、そのたびに駆けつけて、説明。

「絆創膏は外さないでください」というのは、傷の保護と、ばい菌が入るのを防ぐためだと思うのだけど、父は、顔まで洗って、がしがしタオルでふいている。
絆創膏をつけていないので、顔がふれるところは全部、枕カバーも、布団カバーも、タオルも血だらけだ。

おまけに、傷が痛いからだと思うけど、超機嫌が悪い。
いつも以上に、耳が遠く、すぐにそばにいかないと、癇癪を起こし、ぐだぐだ言われる。
顔じゅう、擦り傷だらけ。
小さな子供だとかわいいけど、86歳のおじいさんは哀愁が漂う。
よちよち歩きも、2歳児だったら、微笑ましいけど、86歳のおじいさんは死活問題。

翌日の通院に備えて、荷物の準備をする。予約外の診療となると、どのくらい待たされるかわからないので、覚悟する。
コロナ以降、電話診療や、代理診療ができるようになり、その後も、認知症ということもあり、可能な限り代理診療をしてもらっているので、父を病院に連れていくのは、久しぶりだ。
状況がわからない父がどこまで我慢できるか、想像もつかない。おむつや、着替え、飲み物、食べ物、待ち時間にやる私のあれこれを、カバンに詰めていたら、一泊旅行? というくらいの量になった。

翌朝。ついに介護タクシーデビュー
契約した会社は、運賃は、走行距離で計算され、降車時に現金で支払う。それに伴う介護保険料は、月末締めで計算され、翌月請求書が届いて、現金か口座振替で支払う。

ドライバーさんは、病院の送迎は慣れていらして、到着すると、すぐに病院に設置されている車いすをセットして、父を座らせてくれた。これから、すぐ、次の依頼者のところに向かうという。

病院のエントランスでは、初診・再診の別に整理券が配付されていて、8時30分の受付開始まで、ロビーで待つようにと言われた。すでに、たくさんのかたが待っている。
待合の椅子が空いていなくても、父は座っていられるので、車椅子って便利だと思った。

8時30分から、整理番号順に名前を呼ばれ、初診なので、問診票を記入。

(父って、西暦何年生まれ? 今、何歳?)

あわせて、保険証や、お薬手帳を提出する。
しばらくのち、脳神経外科の受付に提出するようにと、受診票や書類をはさんだホルダーを渡される。大きく「予約外」の付箋。

(ここからが長いーーー)

父がトイレに行くというので、連れていく。
そもそも、脳神経外科の診察の前の椅子はすでにいっぱいで、座るところがない。
空いている席を探し、車いすを横にとめて、腰をおろす。診察室のプレートを見ると、「乳腺外科」
父の疾患としては、ありえないけど、患者さんが来たら動こうと思い、座らせてもらう。

診察室がずらりと並ぶ区画には、窓もない。ここで数時間も待つのはつらいなあ……と思う。
父は、おとなしくしている。
外科の区画なので、感染症にかかっているような患者さんはいなくて、その点はよかった。

「47番のかた」

本とか資料とかノートとか、たくさん準備してきたのだけど、思いのほか、早く呼んでもらえて、あわてる。名前ではなく、番号で呼ばれるのは、なんだかなあと思っていたけれど、名前も個人情報だから、呼んではいけないのだろう。何回か番号を呼んで、応答がないときは、「お返事がないので、お名前をお呼びします。○○様」などと、ことわりを入れていた。

Oさんの話から、MRIなどの検査をすると思っていたら、傷の具合を見て、縫ったところを見て、抜糸の日程を決めて、予約をして終了。
「絆創膏をすぐにはがしてしまうのですが」と伝えると、もう貼らないでも大丈夫とのこと。

(え、終わり?)

なんと、9時40分。

(私の、この、1泊旅行並みの荷物は?)

会計を待つあいだに、介護タクシーに電話をすると、予約がいっぱいで、早くても10時30分になると言われ、タクシーで帰ることに。
タクシー電話が設置してあり、呼ぶことができるのだけど、朝の時間は通院で利用する人が多いためか、どこも出払っていると断られ、ようやく3社目で来てくれるとの返事。

タクシーを待つ間に、Oさんに報告。思いのほか早く終わり、デイサービスにも行けることになった。帰宅後、デイサービスの施設に電話すると、お世話になっている主任のかたが出て、心配してくださり、気遣ってくださる。昼食のメニューを尋ね、口があまり開けられないかもしれないので、切って出してもらうようお願いする。「おかゆにしましょうか?」と言われたので、それは大丈夫と答える。

迎えの車が来て、父を送り出すと、11時すぎ。
1泊旅行の荷物を解体したものの、片づける気力もない。

次の日は朝9時から、父が転んでしまった石段に、手すりをつけてくれる業者と打ち合わせをする。
ベッドまわりや、家の中につける手すりのことも相談しようと思う。

(掃除をしないと!)

やらなければならないことがありすぎて、やる気が起こらず、空海展のブログを書いて、現実逃避

父の転倒によるあれこれをふりかえると、すべてが、大きく守られていたことを感じる。

父がつまずいたと思われる石段の先には、転倒して切った際の血だまりらしき跡があった。
父の身長を考えると、顔からダイビングしたようだ。

(全体重で転んだのに、どこも骨折しなかった!)

丈夫な骨に産んでくれた祖父母に、感謝の気持ちが沸き起こってきて、手をあわせる。
その瞬間、祖父が守ってくれたのだと確信する。


両親とも、徳島出身で、四国に住む人々は弘法大師を崇める心が強いように思う。
祖父は、名前に「弘」の字を持ち、後年、高野山のお寺や、剣山で修行を修めたそうだ。山伏の格好をして、ほら貝を吹いていた祖父の姿を覚えている。
空海の書を観ながら、私は、祖父を思い出していた。
父を守るために飛んできてくれた気配を、感じたのだと思う。


おじいちゃん ありがとう。

浜田えみな

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