「がんばれ」と思った、私がここで出会ったクォーターの人

彼は、突然、私の書いた文章に意見を述べてきた。
「あなたは、実際の現地のことを知らない」

びっくり。私は、1年くらい前か、外国の戦争について文章を書いていた。
今、思えば背伸びをしていたと思うけど。

どうも、胡散臭い、と、私は思った。
その戦争のことが。
ここでは、控えるけど、そのことを戦争の起こる前の、海外のWEBニュースを見て書いた。ドローンがなんの。本当にその国が、戦闘を仕掛けたきっかけなど。

命が惜しくない、もういい。死にたいくらい。と、思って暴走することがある私は、つい書いていた。

それを見つけて、意見を入れてくれた彼は、ここ日本と、かの“悪国“と、“善国“の血が混じったクォーターの人だった。

彼は、言う。穏やかな口調で。

「その国に行ったことがない人には、余り込み入ったことは言わないで欲しいのです」
という趣旨のことを。

「その国の人にしか、分からない、その国の事情は、あるものです。メディアだって、嘘をつくことはある。余り言わんでもらいたい」
その人は、穏やかにだが、言った。

その人は、世界各国を渡り歩く、現代のジプシーのような人だった。混血が複雑な故に、どこにも所属できずに、何カ国もヨーロッパや、先祖の祖国、日本などを渡り歩く。

孤独なのだろうが、決して悲観していない。明るい、前向きな人だった。雑談では、美味しい食べ物のことや、オシャレが格安でできる日本が好きだ、と前向きで明るい話題が多かった。

仮にKさん、と、しておく。

Kさんの話では、その戦争に介入してくる外国への怒りと、実際に、その国同士の人の事情などを話した。少し、テレビで言っているのとは、違う。

現地の人が、実際はどう思っているか、そして、メディアなどでは、本当のことは分からないのだ、と、控えめに私にも釘を刺した。私は、自分の行いを反省した。

「見てきたように物を言ってはならないのだ」、と。

私は、それ以上の戦争への物言いはやめて、そのKさんとの付き合いは、断続的に続いた。

私は、Kさんとは、とても意見が合い、しばらく討論が続いた。
「このごろの人は、討論を避ける。討論を、喧嘩のように思い、本音を言わない。本当に仲良くなる機会を逃している人が多い」など。

その他、Kさんの実際の見聞による話が、層が厚いのに舌を巻く。

「Kさん、そんなに物を知っていて、言いたいことがあるのなら、ご自身で意見を書いてみてはいかがです? 」
私は、言ってみた。

そのあと、しばらくして、Kさんは、戦争などについて、ここに見事な意見文を書いたのだが、まるっきりフォロワー数は、伸びなかった。

けれど、これは、悲しい現実なのだ。これと同じをことは、音楽の世界にも、美術の世界にもあるのが現実だ。私は、それを知っていた。昔から、文学芸術が好きだったから。

Kさんは、ほんの数回、記事をアップしただけで、ここから居なくなってしまった。姿が見えない。ここから、去ってしまったのだろうか? 

ほんの数回試しただけで、やめないで欲しい。一回や、二回書いただけで、報われるなんて思わないで欲しい。

生前認められない芸術家なんて、古来、いくらでもいる。あんなに、本当のことをたくさん見てきたなら、あなたはとても、貴重なんだ。
それを、理路整然と書ける人なんて、あなたくらいなんだから。
言いたいことを、書き尽くしてから、天国で、自由にのびのびと過ごしたっていいじゃないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?