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「人として、人それぞれ。人は人、尊重すべき私なりの理由をちょっと変わった観点で言ってみた⭐️」

人は、人。それぞれだから。それはよく言われることで、耳にして不愉快な人「多様性なんて!」と、言われる方も、「そりゃそうよね」と、言われる方も、多々おられる。

私は、自身の経験で、「なぜ人は、こんなに争うの?」「なぜ、あの人は頑固にも自分を変えないの?」という疑問をそれなりに自分で持ってきた。が、ある時、それぞれの人の占いを見た時、妙に納得したものがあるので、書いてみる。

占いというのは、古来からの所謂、人類の統計分類学である。
星や姓名、年廻りや、そして、その他、近年では「動物占い」や諸々の細かい新しい占いや診断などの様々な占いが出てきている。

パラレルワールドが、新聞では 科学の面からも「あるのでは?」と、ちらほら出てきているようだ、と出てきた。なら、不思議な世界の一致によってこれらの占いのような分類は、パラレルワールドを使うなら、成立するのではないか?(科学を信じる方は ここで脱落しても 私は諦めるしかないのですが)。
そう思い、占いの本を読み進めてきた。

まず、Aさん、Bさんがいる。

Aさんは、やたらと突き詰めて物事を考える人である。
深く考えるので、現在の心理学では「物事を追求しすぎる危ない人」と診断され、小さい子供だと、育ちを注目、注意される。

かたや、一方でBさんは、社交的でいて、科学的、ヒューマニストで、繊細。
AさんとBさんはぶつかった。

Bさんが、Aさんを「それは、危ないからやめろ。深く考えすぎ。常識がないよ。いい加減、加減を考えて生活しな」

けっこうな、バトルであった。

私は、そのAさんを占いで知っていた。一途に物事を考え、正直、私も「考えすぎる」と、苦手だったが、いい人だった。

Aさんは、占いで「一途に物事を深く考え探究する研究者」だった。別におかしくないじゃん?昔で言う隠者じゃん?ただ、一般に、物事を深く考えずに世の中で生活したい人にとっては、言っちゃ悪いが迷惑なのだった。一般の大人は深く考えたくはない。

ならば、それぞれ、干渉せずに、つかず離れず過ごせばいい。深く考えたいものと、深く考えたくないもの同士、適度に距離をとって、自分の世界で時々自分に浄化すればいいんだから。
Aさんは、深く考えるだけに、相談ごとを持って行くと、手早く考察し、分類し、アドバイスまでくれる。

社会で、よそ様の考えが、頭からかむり、うっとしくたって、家でシャワーを浴びて 洗い流せばいい。

私ならば、家でぬくぬく自分の世界を掘り起こし、取り戻して、また よその世界に戦闘しに行く。

そうやって、生活するのがまた楽しい。そうやって、いろいろな人さまの世界に触れるのが、また楽しい。

相手を尊重し、自分もお返しに尊重されるのが、また楽しい。

そうやって、道端のお花なぞ摘んでいる(あ、ここは、意味なし⭐️)

結論として、人は、もって生まれた星の元に生まれ、その通りの性質で生活し、生きている。生まれた星は動かせないものである。よって、その人の性質、性格を変えるのは無理。難題というものである。それならば、工夫し、自分の世界を上手に保ちながら、生活し、生きていくべきなのではないかと思う。それが、人と人、人間と人間がうまく生活していく生き方なのではないか?私は、そう思うのだが、どうだろう。考えてみるのも一幸かと思う。


            完       


©️2024.5.14.山田えみこ





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