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【創作小説】峠の庵 恩返し(1)(877字)

若葉の燃える山々の中の、一つの峠、その上に一軒のちいさな庵があった。

庵は、昔から著名人の間では有名で、料理の上手なおやじとそのおかみさん、二人で細々と宿として営まれていた。

丁寧なもてなし、丁寧な調理、それほど高価な材料では作られてはいないが、心のこもった仕上がりの料理でお客は舌鼓を打った。そして、客は、主人が薪で炊いたちいさな風呂に入り、天日によく干した布団、よく掃除の行き届いた部屋で、客の為にあつらえた生花や掛け軸を眺めながら眠るのだった。

「これ以上のたのしみは、ない」
ここに来る客は口々にいう。

暖かく薪の匂いのする風呂、わたの詰まった布団で寝、この静かな庵の客室で 田舎の静かな山々を見ながら過ごすと、それだけなのに爽やかで、なぜか客は浮世のうさを忘れた。

そんな、庵の裏山にたぬきの親子が棲んでいた。

おやじさんは、時々、この親子に客に出したご馳走の残りをやっていた。

たぬきの親子は、残り物をじつに旨そうに頬張りながら、瞳をおやじや、おかみさんの方に向け、きらきらと輝かせていた。

ある時、この庵のおやじが この世を去った。

後には、年老いたおかみさんだけが残った。

しばらくは、おかみさんは 何をすることもできず時を過ごす。

おかみさんが、ぼうっと縁側で外を見ていると、たぬきの親子がのぞき込んでいた。
毛並みがぱさぱさの古い母親と、一匹の賢そうな子だぬき。


都の偉い大臣が、この庵の常連の隠れた客だったのだが、

ある時、思い立ち、宿泊しようとお付きのものを使いによこす。
この庵に向けてだった。
しかし、この大臣は、知らなかったのだ。この庵のおやじが死んだのを。

使いの文を受け取ったおかみさんは、この宿泊を断ろうと思う。
が、気の短い大臣で、もう屋敷を出ていた。途方に暮れるおかみさん。
「私だけでは、とても・・・・・・十分なもてなしはできない。どうしよう、失礼をしてしまう。あっ」

おかみさんは、敷居につまづいた。
そのまま そこにうずくまっていた。
それを見ていた4つの目。たぬき親子が見ていた。その背後に人魂が……



                               

           つづく


トップ画像は、ハタモトさんです。
    ありがとうございます🍀

©2023.6.3.山田えみこ



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