見出し画像

そこに愛はあるのか?記事を書く時に心がけていること

今、表現者の倫理観が問われているように感じる。

私も文筆による表現活動をしているので、SNSから流れてくる様々な情報が他人事とは思えず、いろいろ深く考えさせられている。

個人的な趣味として「自己完結」の枠内でチビチビ…と書いているなら良いのだけど、たとえば会社や団体から委嘱されるなど、組織の一端として「書く」となると、そのプロジェクトに関わる全ての人々と意見をすり合わせる必要が出てくるので、独りよがりな執筆はできない…と私は思っている。

組織の一端として「書く」場合は、チームの一員として動くわけだから、チームワークを大切にしたいし、出過ぎたことをして自分一人が目立つのはダメだと思うし、やはり、組織全体のバランスを見て、自分にとっても組織にとっても一番ベストな状態のところに「自分が書いたもの」を着地させる…ってことが大切だと思う。だから、言葉を一つ選ぶにしても、何を軸に定めるのかも、ちゃんとチームで話し合って共通認識し、時には編集を重ねながら、(自分も含めて)プロジェクトに参加している皆さんが、個々に納得できるかたちに作り上げていくことが「成功の秘訣」なのかなぁ…と感じている。

つまりはチームプレーってことかな。チームだからこそ「みんなで作り上げていく」という喜びが皆で分かち合えるようでなくてはいけない。だからこそ、組織のリーダーは、そこに携わる人たちを一人一人尊重し、個々の存在感を守り、安心して仕事ができる雰囲気を作ることが無意識にできる…ってことが大切だと思う。

そう考えると、組織の運営にも、組織のメンバー一人一人に対しても、組織で執り行っている仕事に対しても、大きく突き詰めれば、その組織自体にも…等々。全てにおいて、そこにちゃんと「愛」があるかどうか…なんだろうね。好き嫌いではなくて、もっと大きくて深い懐のようなものがあるか否か。縁あって集まった者たちで「いいもの」を作り上げていこう…という純真な熱意があるか否か。これらが根っこにある組織はどんどん成長していくし、そこで新しいものが生み出され、多くの人に支持され愛される存在になっていくのだと思う。

以前、私はnote友のみ・カミーノさんにインタビュー記事を書いていただいたことがある。

今から3年前、中川政七商店さんが開催する「大日本市」のカタリベとして記事を書かせていただいた頃に、カミーノさんからオファーをいただき、カタリベ記事公開に合わせて執筆していただいたのだ。

ここで私は「文章を書く時に心がけていること」を語っている。

「念頭においているのは、近江商人の“三方よし”です。商売の極意は、売り手、買い手、世間が満足すること。私が商品レビューを書くときは、書き手もよし、書いてもらった会社もよし、記事を読み商品を買ったお客さんもよし、これを意識しています

記事より抜粋

この「三方よし」の意識は、今も私の中に脈々と息づいていて、組織の一端として書く場合も、書き手もよしチームを組んでいる会社や組織もよし記事を読んでくださった人もよし、更には、取材に協力してくださった全ての人々もよしを心がけている。

この「三方よし」のベースとなっているのは、「愛」

私は基本的に「好きだと感じるもの」「愛を感じるもの」しか書かない。お散歩記事は、その土地を実際に歩いてみて、好きになってファンになり、腹の底から「愛」を感じるから、その情熱と熱量で書かせていただいている。また、お買い物記事も、その商品を実際に使ってみて好きになり、ファンとして「愛」を込めて書かせていただいている。

要はファンレターのようなものである。熱烈ファンとして現地や現品をリスペクトする心で写真をきれいに撮り、言葉を選び、(失礼が無いよう)とにかく丁寧に書かせていただくので、受け取って下さった方には喜んでいただけるし、私もすごく嬉しい。

愛があるか?
これが私の執筆の根っこである。

純真な愛をベースにしているのであれば、人を傷つけることはないし、誰かを貶めることもない。自分自身もうしろめたさを感じないし、卑屈な気持ちにもならないし、「愛」があるからこそ、誰に対しても誠実にいられるし、お天道様の下を正々堂々と歩いて生きていける。

書きながら「愛」が溢れてくることもいっぱいある。よく「愛着がわいてくる」というけど、まさにそれ。自分が生みだしたものは、どれも書いた時の私の素直な思いを正直にのせている。

これは執筆に限らず、全ての仕事についても同じじゃないかな。「愛」って本当に大事。

だから私は、これからも「愛はあるか?」を大切に書き続けていきたい。


この記事が参加している募集

仕事について話そう

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは旅の資金にさせていただきます✨