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元教師の私が、久しぶりに学校教育について思うことを語る

私は以前、中学校の先生をしていた。
これは私にとって唯一の「正職員」としての職歴だったので、私を知ってもらうために、このnoteでも「元教師」という肩書をずっと掲げてきた。

だけど、「元教師」という肩書は、(私の地元も含めて)地方では、社会的信用度が高く、地域の皆さんからリスペクトしてもらえる履歴なんだけど、首都圏の人からは不評らしい。

お受験が盛んな地域の人は特に、こちらが「公立学校の元教師」だと知ると、サッと顔色が変わり、相手がドン引きしているのが伝わってくる。…なんてことが多々ある。元教師の私をどう扱っていいかわからず、私への対応に苦慮されている…?みたいな感じ。

私は普通の人間なのに、「元教師」が付くだけで、特別な存在と見られるのか?急に態度が変わる人もいる。なかには、頭から教師のことをバカにしているなぁ~と感じるときもあるし、「教師=常識が通用しない人」という認識で塩対応する人がいたり、過去の実体験から得た『学校や教師への個人的な不満』を私に怨みがましく言ってくる人もいる。

そんなこと言われても、知らんがな。

…としみじみ思うけど、そういう人に出会う度に、首都圏では、公立学校に対する不信感が根深くあり、学校教育への失望感が吹き荒れているのかな…と感じるのだ。

お受験が当たり前の地域の人たちが、学校教育への個人的な不満を、さも「日本全国の問題だ」と声高々に語っていても、『都会』という(ある意味)密閉社会の中でのみ通用している価値観をベースにした話だから、私のような地方人には、いまいちピンと来ない。
所詮は、地方の実態を全く知らない都会の人たちの個人的な意見でしかなく、「なんだかなぁ…」と残念に感じることも多い。

ちなみに、地方の教育は、学校だけに依存するのではなく、地域の人々も「社会教育」や「地域学習」という窓口から学校教育に参画し、子供たちに深く関わる機会を多く設けているいる点が特徴的であろう。

※「社会教育」については、各自治体のホームページで『我が町の社会教育』について、こんな活動をしていますよ!と公開してあるので、そちらを参照して欲しい。
※ちなみに下は文科省のホームページより。文科省では、各地域で社会教育活動の担い手となる「社会教育士」の育成を推進している。


日本国内には、公立の小中学校しかない市町村が結構たくさんある。

そんな地域では、義務教育期間中は、基礎学力の定着を図ると共に、学力だけでない「たくましく生きる力」の育成にも力を入れている。

平成時代から「開かれた学校」とよく言われてきたけど、「子供は地域の宝」「学校は地域の財産」という価値観の下、子育てを卒業した世代の人々も含めて、地域みんなで子どもたちを見守り、学校をとても大事にしている。

これは近年、少子高齢化によって子どもが減り、地域の担い手である若い世代が都市部へ流出していることへの危機感から…でもある。

都市部と異なり、地方では人口消失と言われるほど、猛烈な勢いで人が減っている。それを肌で身近に感じるからこそ、今できることをしようと、皆でアイディアを出し合い、老若男女の隔てを取っ払い、皆で協力して「地域を守ろう」と力を注いでいるのだ。

その一つとして、地域の特性を生かして教育活動が行われている。

また、学校も、子どもたちの「生きる力」を育むために、地域の「社会教育」と連携して、いろんな体験活動の場を設けている。

教師たちも、地域の人々と共に協力しながら、子供たちが健やかに成長していくことを心から願い、フル回転で日々教育活動に勤しんでいる。

こんな感じで、実は、公教育しかない地方の方が、地域の財産(歴史・伝統文化・自然・地域の人材)をうまく活用した「心豊かな教育」が、町ぐるみでかなり進んでいて、とても充実していたりする。

ここで育った子どもたちは、テストの成績以外での自分の価値や能力に気づき、体験を通して伸び伸びと成長していく。これらが下地となって基礎学力を伸ばし、個々に目指す進路へと進んでいく。

なかには難関大学にトップの成績で入学する子もいるし、希望する進路に進んで自分の人生を逞しく切り開いている子もたくさんいる。

幼少期から別に死に物狂いでお受験勉強をしなくても、高校受験が初めての受験であっても、その子に資質がにそって進路を決めていくのだ。

それに今や地方は、交通網&インターネットの発達で、もう昔のような閉鎖された古臭い所ではなくなっている。

なので、地方在住者から見ると、首都圏の人々は、どうしてあんなにお受験にこだわるのか?なぜ幼い頃から競争社会に子供を投じるのか?…と、不思議な気持ちになる。テストで高得点を取ること以外にも、この世界には楽しいものや面白いものがいっぱいあるというのに…と。
何だかそこだけ特別に突出した別世界であり、異なる価値観の人々が住まう異次元の世界のような感じがするのだよ。本音を言うと…ね。

お受験熱が「公教育への不信感」からだとすると、それは学校だけの問題ではなく、その地域全体の問題であり、地域の住民みんなで考えなくてはいけない課題だと感じるのだ。人を育てるのは環境であり、学校や教師を育てるのも地域である。だからこそ、よりよい学びの環境となるよう、皆で責任を分かち合うことが必要だと思う。

子どものたっての希望で受験活動をしているのなら良いんだけど(時々「テストで高得点を取るのが趣味」とか「面接が楽しくて大好き!」いう子もいるので)、「お受験」という状況がよく飲み込めていない幼い子どもに対して、子供の能力を超えた無茶なことを求めていたり、子供の希望を無視したやり方を押し付けているとしたら、それは親のエゴ。教育虐待だよ…と思う。

とまぁ、そんな一地方の元田舎教師の私が、思うことをグタグタと書き連ねた。お目汚し、申し訳ない。
だけど、様々な人々との交流の中で、たまに「教師への一方的な不信感」を肌でビシビシ感じたり、それが原因で、時々、不快な気持ちになることもあったので、それならば…と、肩書に「元教師」を掲げるのを止めることにしたのだった。そして、学校教育について書くことも控えようと思った。

退職してもうずいぶん経つし、学校教育についていろいろ思うことがあっても、それを言葉で表したところで、結局は「徒労に終わる」と感じるようになった。現場で頑張っている先生を擁護したい気持ちを、以前は強く持っていたけど、今は(申し訳ないことに)そのエネルギーが湧いてこない。学校教育に関して語ることが、正直、面倒臭くて、しんどくなってきた。

だから、これが最後。

今の私の肩書きは、「地域の活動に参加しつつ、時々、WEBで物書きをするおばさん」というところだろうか。謎めいているおばさん。これでいい。

♯わたしの仕事


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