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【私の創作エピソード】20年前に蒔いた創作の種が、いま花開く

私は2018年3月からnoteを始め、今年で4周年を迎えました。

そんな私が、このnoteにて【写真日記】というタイトルで「写真と文章によるお出かけ記事」を書くようになったのは昨年4月。今年で2年目に入りました。

それまではエッセイや日記のような記事を書いていたのですが、この時期から、お出かけ先のことを書くようになったんですよね。
お陰様で、最近では、公開するとnoteの公式マガジン「国内旅行」「旅のフォトアルバム」等…に入れてもらえるようになり、皆さんに広く読んでいただけて嬉しいです。

お出かけ体験を「写真」付きでnoteに記録する


さて、最初は「週末日記」のつもりで書き始めた【写真日記】が、どうして途中から「日帰り旅行・体験記」になったのか。
ことの発端は「CORONA」でした。

CORONA禍が始まって以降、夫の職場は、感染予防対策を厳重にしなくてはいけない職種だったため、家族の私も、ウイルスを持ち込むことが無いよう、他地区や他県へ行くことが禁止になりました。お出かけは、地元圏内に限定されてしまったのです。

また、我が家には超高齢の義母がいるので、感染リスクを減らすため&心配性の義母に不安を与えないためにも、私たちは外出を控えていました。

そんな状態で、ずっと家に引きこもって過ごすこと一年…。

最初はおとなしく過ごしていましたが、ワクチン接種が進み、少しずつ社会の自粛ムードが緩和されていくにしたがって、私たちもだんだんお出かけがしたくなってきました。

そして昨年の春。
CORONAの波が落ち着いたころを見計らい、夫の仕事に障りがない範囲内で「何処かへ行ってみようか?」と夫と話し合いました。そこで「観光地に住んでいるんだから、近場で面白そうな所へ行ってみようよ」ということになったんですよね。

こうして近隣の町を車でお出かけするようになり、「せっかくだから、この体験記をnoteに書いてご紹介してみよう」と思いついたわけです。

私の【写真日記】が、日帰り旅レポへとリニューアルした瞬間でした。

【写真日記】一部ご紹介


👇日帰りレポ・スタートの記事👇

👇以前から気になっていたスポットにも行ってきました!

👇いよいよ県外へ進出

👇カメラ素人の私が、写真メインの記事に挑戦!

👇とうとう動画にもチャレンジ!YouTubeチャンネルを作っちゃいました。

どんどん進化していく【写真日記】。

👇アフターCORONA初の一泊旅。ディープな旅にも出かけました。

👇一番新しい記事・ツチノコ村へ行ってきました~🐍

👆こちらの記事は「note民のムー」マガジンに入れていただきました✨嬉しいです~😭


お出かけ記事の発祥はここ!20年前の教師時代にさかのぼる


ところで、この「撮った写真に文章を添えていく」というスタイルですが、実は最近始めたことではなくて、実は、ずいぶん前からやっていたんですよね。

私は以前、学校の先生をしていたのですが、その時、学級通信や教室の掲示物は、「写真+文章」という構成で作成していたんです。

押入れを探っていたら、当時の学級通信の原稿が出てきましたので、少しだけご紹介します。

タイトルに記した日付を見ると「2001年」でした。21年前の作品。
懐かしい…。

久しぶりに開いた原稿のファイル。
もう20年近く、押入れの奥にしまって封印してきたので、書いた内容などすっかり忘れていました。でも、それでかえって新鮮な気持ちで読み返すことができました。
自分で言うのも何ですが、なかなか面白かったです。今の私の記事より、読みやすくて面白いかも…。

わら半紙に印刷


当時の私の学級通信は、1号につきB4サイズのコピー原紙に2枚…という文量でした。

貼りつける写真は、もちろんアナログなやり方で…。
この頃は、まだデジカメが出始めた頃で、フィルムカメラもまだ生き残っていた時代でした。私はデジカメを持っていましたが、パソコンを使ってプリントアウトするより、カメラ屋さんに頼んだ方が早くて安上がりでした。
そこで、カメラ屋さんで現像してもらっていました。

出来上がった写真をチェックし、そこから学級通信用にいくつか選出します。

全体のバランスを考えながら、用紙に写真を置いて、配置を決めていきます。その後、写真を置かない空いた箇所に、文章を書き込んでいきます。
そう、私は手書きで書いていました。

もちろんパソコンは持っていたけど、あの頃の私は、パソコンで処理するより、手書きの方が圧倒的に早かったんですよね。(元・書道部)

一日に1~2時間しかない貴重な空き時間を使って、職員室の自分の席でカリカリとペンを走らせ文を書いていました。

文章の構成は、書く前に頭のなかでバッチリ練っているので、そのまま用紙にペンを走らせ、いきなり書き始めます。
集中すれば、1時間でB4用紙2枚分の文章は書けました。

書きあがったら、サーと読み返して校正し、更に隣の席の先生にもチェックしてもらい、OKならば、そのまま印刷室へGO。

用紙のコピーを取ってから、写真を貼り直し、印刷機でガッチャンガッチャンとB4サイズのわら半紙に印刷していきます。
紙がもったいないので、印刷はわら半紙の裏表に行いました。両面刷り上がったら、印刷完成です。

出来上がった学級通信は、職員室の先生方にお配りし、その後、終わりの会にクラスの生徒たちに配布して、みんなで読みました。

あの頃の通信は…



今は、学級通信一つ発行するにも、学年主任や教務主任、教頭、校長の検閲が必要みたいだし、内容もかなり厳しくチェックされるようですが、当時の学級通信は、担任の裁量に任せられていて、自由に書いて発信することができました。

あの頃(1990年代~2000年頃まで)は、教師はもちろんですが、社会全体の雰囲気が、今よりうんと寛容で、社会人はみんな「社会的責任を果たしている大人」として尊重されていたように思います。
当時は、今ほどガチガチに厳しくなくて、社会全体が(良くも悪くも)ゆるくて、自由がたくさんありました。

今のように情報が全世界へと拡散される心配がなかった平成初期。学級通信は担任のカラーやクラスの雰囲気を表現する場でもあり、どこか牧歌的でのんびりしていました。

「読み手」も「書き手」も楽しめる通信を目指して

ちなみに、この頃の私は、障害児学級 (=今は「特別支援学級」ですが、当時は「特殊学級」と呼ばれていた) の担任をしていました。
親御さんや他の先生方に、クラスの様子や生徒たちの学習の姿を知ってもらうため、このような「体験レポ」式の通信を書いたんですよね。

これが結構好評で、親御さんからは「学校での様子がよくわかる」「家で子どもと『学校であったこと』について楽しく話せるので、すごくありがたい」と喜んでいただきました。

また、職員室の先生方には、障害児への理解と学級運営への協力をお願いしたくて、啓蒙活動的に配布していたのですが、やはり先生方からも大好評でした。今でいうSNSのような感じで、普段は障害を持つ生徒たちと接点がない先生方も、読むだけでクラスの様子が手に取るようにわかるので、理解が深まり、親近感をもって生徒たちと関わってくださるようになりました。


もちろん、当の生徒たちにも大ウケで、彼らもいつも楽しみにしてくれていました。

クラスの生徒たちにとって、写真付きの体験レポ通信は、「自分たちのありのままの姿や体験」が画像付きで記されてあるので、それを読むことで、その時の自分を思い出し、自分の言動を俯瞰して振り返ることができます。

読みながら、学びのポイントや、良かった点、改善点などが具体的にわかるので、この通信を読んで、「そうか、あれは良いことだったんだな」と気づいたり、「うわ~!恥ずかしいー!次は絶対に気を付けよう!」と自分を戒めたり、「なるほど、こういうことなんだな」と納得したり…等々。
いろんな気づきや反応を引き出すことができました。

あと、感情表現で、「あの時、自分が感じたこの気持ちは『くやしい』って言うんだな…」とか、「楽しい気持ちを表す言葉って、こんなにたくさんあるんだなぁ」等々。「むかつく」「いやだ」「きもい」しか語彙をもっていなかった生徒が、通信を通して体験したことを振り返り、感情を表す言葉を一つ一つ覚えていったり…等。指導的な面での手ごたえもたくさんありました。

そして、何より、書き手の私自身が楽しかったんですよね~!
このスタイルは、私にとって一番書きやすい形だったようです。
皆さんから「楽しみにしているよ!」と言われるのも、また励みになり、ほぼ毎日のように書きまくっていました。

ホント、全てが懐かしい思い出です。

noteを飛び出して発信中!私の「おでかけエッセイ」

そして現在いま

読者の皆さんが楽しめるように…と、毎回、写真てんこ盛りで、グイグイと熱を込めて書いてきた【写真日記】。

グイグイ書いていたら、それが高じて、なんと!メディアでも書かせていただくようになりました。

只今、ジモトぶらぶらマガジン『サンポー』さんで、お散歩記事を書かせていただいています。

👇サンポーさんの私の記事は、こちら。

👆上の「かみさまのおさんぽ」は、飛騨市観光協会さんにも取り上げていただきました~。ありがとうございます!



更に、サンポーさんの本「あたらしいさんぽのていあん4」にも参加させていただきました!

この中の、『研究散歩・見上げてごらん、軒下の雲を』が、私の作品です。岐阜県・飛騨古川の民家の軒下についている「雲」について、現地をお散歩をしながら、その謎に迫る!…という内容です。

👆こちらで購入できます。

紙の本に執筆させていただくのは本当に久しぶりで、とってもワクワクしました。

今から20年前、まだ若造だった私が、半分自分の趣味みたいな気分で楽しく書いてきたことが、20年後の今、こうして花開いていくとは…。まさか、まさか!ですよ、もうビックリ~。

「昔取った杵柄」とはまさにこのことですね。
昔の私に「あの時、ガンガン書いてくれてありがとう✨あの時、メチャメチャ書きまくって鍛えてくれたお陰で、今、第二の人生楽しめているよ~!」と御礼を言いたい気分です。
好きで楽しかったから夢中になって書いていた…ただそれだけ。
でも、それが結果的には、未来の私に繋がっていたんですよね。

人生って、ホントわからないものです。
途中で諦めちゃダメ。
損得勘定なんか一切しないで、単純に「自分が楽しいと感じること」をトコトン追求する。夢中になって取り組む。
そして、楽しむ。ワクワクする。

この姿勢が「創作」には大事なんだよなぁ…としみじみ感じています。


◇◇◇

今回は、こちらの企画に参加させていただきました。
今日が最終日の「真夜中インター」文化祭。滑り込みセーフで、私の創作エピソードを書かせていただけて良かったです。

最後まで読んでいただき、ありがとうこざいました。

♯真夜中インター 
♯創作エピソード
♯昔取った杵柄 
♯あの時の自分にありがとうが言いたい

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