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たった一人のためであっても、大切にしなければいけないこと

これは昔、教師三年目にして初めてのクラス担任を受け持った時のお話です。

学校での一日の活動が終わり、放課後になる直前に開かれるホームルーム(私の地域では「終わりの会」と呼んでいます。以下「終わりの会」)があるのですが、この時間は、各係からの連絡があったり、配布物があったり、明日の予定の確認をしたり等、結構バタバタと忙しいひと時です。そして、この時間を利用して、その日に起きた事件や問題につついて話し合うことも多々あります。

当時は、「その日のうちに決着をつけた方がいい」と担任が判断した問題については、学級長からの提案を許可するという形で、学級みんなで話し合うことがよくあったんです。

こんな時は大抵、クラスのみんなも「言いたいこと」を腹にたくさん抱えているので、いろんな意見が次々と出てきます。結果、終わりの会の時間がとうに過ぎても、まだまだ白熱していたりするんですよね。
そのため、終わりの会がなかなか終わらない…なんてことが頻繁にありました。

そんなある日、終わりの会での話し合いの最中、ソワソワと落ち着かない生徒が何人かいることに私は気づきました。
ソワソワしている子達は、教室の時計をチラチラ見てイライラしていたり、ゴールが見えない話し合いにカリカリと焦っていて、全く会に集中していません。

そうした生徒を数人見つけて、私は「ん?どうしたのかな?」と思いました。

やがて、話し合いが終結し、時間を大幅に過ぎた形で終わりの会がなんとか終了。
全員で挨拶をし、放課後になった瞬間、彼らは必死の形相で部活へ行く準備を始めました。

そう、彼らは野球部員でした。

この時の野球部の顧問は、50代の熱血男性教師。野球部一筋で「巨人の星」の星一徹のような熱をもち、野球部の指導に当たっているベテラン教師でした。

野球部の子たちは「やべー!S先生に叱られるー!」と泣きそうな表情で叫び、急いで身支度すると、カバンや道具を抱えて教室を飛び出し、グランドへと一目散に駆けて行ったのでした。

その頃、グランドでは…。

野球部のユニフォームに身を包み、その上から部活のスタジャンを羽織ってマウンドに立ち、両腕を組んで仁王立ちしているS先生の姿がありました。

「最近の若い先生たちは、終わりの会の時間がどうして守れないんだ!部活の時間に食い込むと、指導ができなくて困るんだよ!」

…と怒り心頭のS先生。

最初の頃は、ご自身の担任経験から「大事な話し合いがあるんだろうから、仕方がいなことだ」と大目に見ていたそうですが、どのクラスも終わりの会の終了時間が守れずルーズになっている現状に腹を立て、「放課後の活動がないがしろにされている」という危機感を強くお感じになり、とうとうS先生は吠えたのでした。

職員会の席でもS先生は、

「終わりの会にクラスの大事な話があるのかもしれませんが、しかし、全校生徒の中には、部活動が心の支えになっていて、部活を楽しみに学校に来ている子どももいるんです。その子たちの喜びや楽しみを奪ってはいけない。彼らが部活に参加する時間をちゃんと守ってあげてください。」

とビシッと発言され、私たち若い教師の心にグサリと大きなくさびを打ち込んだのでした。

この件があって以降、私は終わりの会の時間を厳守するようになりました。

また、終わりの会だけでなく、朝の会(朝のホームルーム)の時間や授業時間についても、終了のチャイがなったら、そこでピタッと終りにするようになりました。

振り返ってみれば、確かにS先生が仰っていた通りです。

始まりの時間と同じように、終わる時間もきちんと厳守する…。そのことで、次に続く活動の時間がきちんと確保できるのです。

これはS先生が声を挙げて発言してくださったからこそ、気づけた「大事なこと」です。また、クラスの野球部員たちが、明らかに「早くしてください!僕たち困っているんです!」という態度と表情をしてくれたからこそ、担任の私も「ことの重大さ」に気づくことができました。

そう、人間は基本的に「言ってもらわないとわからない」ところがあります。だから、大事なことが見過ごされてないがしろにされている時は、ちゃんと相手に「困っています」と声を出して、相手に知ってもらう・教えてあげることが、すごく大事だと思います。

教師であっても、わからないこと・気づけないこと・知らないこと…。たくさんあります。だって人間ですもの。みんな同じです。

今回のこのエピソードは、星一徹のような存在のS先生が声を出してくれたお陰で、みんなに「大事なこと」が浸透し共通理解できたのですが、もちろん、生徒たちからも「僕たちの活動を大事にしてほしい!」と声を大にして出してもいいと私は思うのです。

子どもたちから言われて、そこで初めて「あっ!」と気づく先生もたくさんいらっしゃると思います。そうやって先生も日々成長しているんですよね。

みんなにとって「安心できて居心地のいい学校環境」を作り、整えていくためにも、その場で(気づいたり感じたことがあれば)遠慮しないで素直に言葉に出して伝え合えるといいな…と思いました。


今回この記事は、Rite-naさんのこちらの記事を拝読し、そこから感じたことをもとに書かせていただきました。

いつも息子さんと向き合い、息子さんの心の成長に寄り添われているRite-naさん。文面から、息子さんの大事な放課後が削られてしまい、とても悲しかったお気持ちが、すごく伝わってきました。

自分の「存在価値」とは…。

難しい問題ですが、ただ一つ言えることは「子どもの気持ちを踏みにじってはいけない」ということです。また「子供を軽んじてはいけない」ということでもあると思います。

放課後の一活動であっても、学校活動としてカウントしているのなら、軽重や貴賤の差をつけず、ちゃんと同等の扱いをしていくことが大事です。
そして万が一、本来なら保証されるべき「子どもの活動の時間」をうっかり奪ってしまったのなら、たとえ悪気はなくても、また、相手が幼い子どもであっても、先生は誠意をもって素直に「ごめんなさい」と謝るべきなんです。

そんな基本中の基本であり、とても大事なことを見失っていないか?

もしもS先生がご存命でこの学校に居たのなら、きっと息子さんの気持ちを汲んで、職員室で大きく吠えて下さっただろうなぁ…と、そんなことをふと思いました。

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