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【#描写遊び】をやってみて気づいた読み書きの秘訣と書く楽しみ

先日、ふと思いついて始めた企画「 #描写遊び 」。

お陰様で、たくさんの方が参加してくださいました。ありがとうこざいます。

「#描写遊び」の参加方法について

改めて、描写遊びについてご説明します。

これはどういうものかというと、


300字~1000字以内で、描写の記事を書きます。 目の前にある物事や出来事を「言葉」を使ってスケッチしてください。
記事を公開する前に、ハッシュタグ「#描写遊び」を付けてください


です。特に難しいことはありません。

ちなみに、この企画の目的は、

①描写表現への苦手意識を取り払う

②描写表現の面白さを味わう

自分の表現に自信が持てる

以上三点です。

この描写遊びは、文章や表現の上手い・下手を競うものではありません。書かれたご本人が「楽しかった!」「面白かった」「こんな発見がありました!」と何かを感じていただければ大成功!という企画です。

どうぞご自由にご参加ください。

書いていただいたら、読みに行きます。そして「スキ」をさせていただきますね。

期限も締め切りもなく、賞なんかもなく、もちろんアクセス数が激増することも一切ありません(笑)。「ただ書いて満足する」だけのこの企画。ゆる~くやっていますので、もしよかったら皆様もどうぞ。

詳しくは、こちらの記事をご覧ください。

「描写遊び」をやってみて感じたこと

今回発見したこと。それは、

描写して書いているときは、情報を伝える記事を書いている時とは全く違う感覚を使っている。

ということです。

これを裏付けるような体験が過去にあったことを、ふと思い出しました。

これは以前、私が中学校で国語を教えていた時のことです。

「小説」の読み取りの単元が終わり、次の新しい単元(「論説文」の授業)に入る際、事前に教材研究で、これから教える文章(教科書の文章)を読み込むのですが、この時「読みにくいなぁ…」と感じることがよくあったんですよね。

ずっと授業で小説を扱ってきた直後に、説明文や論説文などの文章を読むと、頭がついていかず、ボーとすることがありました。

小説は「表現」を読み、論説文や説明文は「事実」を読みとります。

この違いのせいなのか、速読が得意だった私も、「小説」→「論説文」の読解になったら、ちょっと時間をおいて一呼吸しないと、文章の理解に手間取ってしまい、なかなか大変でした。

この時、小説と論説文では、読み取るときに働く脳の部位がちょっと異なるのかもしれないなぁ…と思いました。

確かに、小説や物語は作者のイメージが言葉によって表現されているので、そこに書き出された言葉や表現を手掛かりに、作者が読者に伝えようとしている物語の情景・登場人物像とその心情を忠実に読み取ることが求められます。

その一方で、説明文や論説文の場合、ここで筆者が伝えようとしているのは情報(事実や主張)です。ですので、筆者が書いた文章を読んで、そこに記された情報を正確に読み取り、筆者の主張を的確に理解する必要があります。


つまり、「小説・物語」と「論説文・説明文」は全く別種類の文章なんですよね。片や情緒的であり、片や理論的です。ですので、小説を読んだ後に論説文を読んだり、またその逆に、説明文を読んだ後に物語を読むと、一瞬、頭が混乱してしまう…という訳です。

ちなみに、ジャンルの違う文章を読む時、私は意図的に「頭を切り替える」ことを心掛けていました。

どう切り替えるのか?というと、私の場合は、自分の頭の中にある「読み取る」スイッチを、「情景をイメージしながら読む」から「情報を理解しながら読む」に切り替えるのです。

少し前に流行った「右脳的」「左脳的」みたいなもので、書かれてある文章の種類によって、左脳を働かせたり右脳を働かせたりと、用途に応じて切り替えるような感じです。
もっと分かりやすくいえば、小説には「感性」を働かせ、論説文や説明文には「思考」を働かせる。…そんな感じでしょうか。

どちらも脳を使うのですが、論説文を読む時は、情感はあまり働かせません。ただ語彙と文脈を追い、自分の頭の中にある知識を引っ張り出しながら、とにかく中身を正確に理解することに集中します。この時の私は、文章を介して筆者とマンツーマンで向き合っているような感じです。

でも、物語の場合は、書かれてある言葉の意味を理解して受けとめながら、そこからイメージを膨らませます。読みながら別世界を旅しているような感じです。そこには作者の姿は一切出てきません。作者が描いた世界を感じ取り、この世界の住人になって心を楽しませているのです。

こんな読み方をするのは、もしかしたら私だけかもしれませんが、この違いは面白いなぁ…と思いました。

以上挙げた「読む」に同じく、「書く」場合においても、情報を伝えるための記事を書いている場合と、今感じていることを描写して書いている場合とでは、頭を切り替える必要があるのではないか…と私は思います。

私自身も、調べたことや取材したことを書く場合と、自分の感性を働かせて情景を描写して書く時では、やはり感覚的に使っている部分が違うんですよね。

情報を伝える文章を書く場合は、事実に基づき、伝えたい情報を的確に読者に伝えるため、脳を100%駆使する感じです。目と脳と手、この部分を忙しく働かせて言葉を紡ぎます。五感はシャットアウトして「ひたすら文字を書く」という感じです。

ところが、描写の場合は、自分の五感で感じたことを素直に表現するところから始まります。まずは身体全体で感じたことをデータとして記録していきます。自分が五感で感じたことが、そのまま文章になっていく…という感じです。

もう少し具体的に説明すると、脳をリラックスさせて、肩の力を抜いて心を落ち着かせ、今この時に、目に映るもの、耳に聞こえてくる音、肌で感じる質感と温度、鼻で感じる香り、舌で味わう味と刺激、その他、重量や光影、雰囲気、…云々。それらを身体全体で感じ取ります。

こうして感じたことを、自分の言葉で書き綴っていく。…これが描写です。

小説の場合だと、頭の中でイメージを膨らませて、空想の世界で登場人物が体験していることを「言葉」を使って描き写していく…という感じでしょうか。

だから、描写の文章を書く時は、脳だけでなく身体全体の感覚をバランスよく使っています。そのため、脳の力(りき)みが取れて、心身共にリラックスできるように感じます。根を詰めて記事を書いた後に、周囲の様子を即興で描写して書いて遊んでみると、疲れた頭がほぐれ、心と身体がゆるんでいく感じがします。

実際に「#描写遊び」に参加してくださった方々の反応を見ると、「難しかったけど、すごく楽しかった」がダントツに多いです。

描写って、慣れてくると本当に楽しいです。他の人の描写を読んで、自分との違いを見つけるのも楽しいものです。

描写には、その人の個性がジワジワとにじみ出てくるから、これもまた魅力なんですよね。

これをお読みの皆様も、頭の休憩に…または気分転換に、「描写遊び」を楽しんでみてください。

「#描写遊び」の作品例

こちらが「#描写遊び」を書いてくださった皆様の作品集です。


私の前記事(こちらの記事)で既にご紹介させていただいている作品。

☆松谷季依さん「雨弱まる宵に

☆honey lemonさん「ASANOKA(あさのか」の芽吹き

☆Kaoru.Nagamiさん「雨の音に身を任せ

☆み・カミーノさん「

☆verdeさん「

☆Emiko「

その後、新たに書いてくださった皆様の記事

皆さま、ありがとうございます♡。どれも素敵な作品ばかりです。

読ませていただきながら、ひっそり萌えております。

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