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障害者も「自分を語る」時代へ

ネットの普及によって、今までなら「情報を受け取る側」だった人々が、SNSなどを使って自由に「発信する側」に立てるようになりました。
そのなかでも特に、かつては社会の隙間に埋もれていて、発言する機会すら与えられてこなかった「障害を持つ人々」が、最近はどんどん社会の表舞台に立ち、自らのハンディキャップについてオープンに語られています。

障害者から直にお話を聴かせていただくことは、とてもいい勉強になります。健常者にはない新しい視点を持つことができ、見慣れた街や日常の暮らしに潜む「課題」や「問題点」に気付くことができるからです。
また、具体的に状況の説明を聴くことにより、その障害への理解が深まり、困っている人のサポート方法を見つけたり、障害を持つ人々の社会参加の仕組み作り・ネットワークづくりに大いに役立ちます。
こんな感じで、昭和・平成・令和へと時代が進むにつけれて、障害者の存在に社会が慣れていき、障害を持つ人々に対する対応も、年々スマートになっていることを実感します。

だけど、この今の状況は、昭和時代に生まれ育った私たちの感覚では、信じられないほど大きな変化なんですよね。ほんと夢のようです。

というのも、以前は「障害者が自らをオープンに語る」ことは、社会的にも精神的にも非常にハードルが高くて困難なことだったからです。

かつて見た、大雨の日の避難所での光景

ずいぶん前(平成10年代)の話ですが、息子が小学生だった頃、大雨で自宅近くの河川が決壊しそうになり、慌てて家族で避難所へと逃げたことがありました。

避難所に到着後、人でごった返している建物内を歩き、ようやく家族で休めそうな部屋を見つけて、そこに腰を下ろしました。
やれやれ…と一息つき、ふと周囲を見回すと、私たちより一足早くこの部屋に入っていた他の家族の中から、大きな唸り声や叫び声がしてきました。

驚いてパッとそちらを見ると、年老いた女性と、彼女の息子と思われる男性がそこに座っていて、その男性が声を発していたのです。
落ち着かずソワソワしているその男性を、母親と思われる女性(おばあさん)が一生懸命になだめていました。

この瞬間、「この男性は障害者だな…」と思いました。
私は以前、障害児の指導をした体験があり、この男性を見てすぐに気づきました。私の印象では、この方は精神障害かな…と感じました。おそらく、知的障害も併せ持つ重複障害ではないか…と。

そして、この部屋には、他にも似たようなご家族が何組か居て(やはり年老いた母親と障害を持つ息子のペア)、息子さんの方が時々唸り声をあげています。おそらく初めての場所にいるため、外部から(五感を通って)入ってくる情報量も多く、それでパニックを起こしているのでしょう。いろいろ刺激が強くて、情緒が落ち着かないような雰囲気でした。

「それにしても…」
正直、私は驚きました。
「精神障害を持つ人が、こんなにいたの?」…と。


障害者が社会に出ていき始めた時代


当時(1990~2000年代)は、精神障害はもちろんですが、他の障害者も、外で見かけることはほぼ無かったんですよね。

街でも、学校でも、職場でも、近所でも…。

今思えば、障害を持つ人々は一般社会とは別の場所に存在していて、本当に見えてこなかったんです。

実は、私の息子も障害児(肢体不自由)ですが、今から20年くらい前までは、例えば、車いすの人も、当時は歩けないお年寄りが乗っているところしか見なくて、若い人や子供で車いすに乗って外を自由に散策しているところは、全く見かけなかったんです。

だから、私たちはどこかに行くにも、何に参加するにも、行った先で息子が受け入れてもらえるかどうか?…いつも相手側と交渉してました。
当時は、皆さん、身近で障害者を見たこともないし、直接関わったこともないから、どう対処していいか?さっぱりわからなかったのです。
結果、危害を与えてはいけないという理由で、「わからないから無理です」とお断りされたり、「うちはちょっと…」と門前払いするところもあり、そのため、事前にアポを取って「障害児ですが大丈夫ですか?」と確認する必要があったんです。

そして、ようやく息子を連れて出かけると、今度は行った先で(特にご年配の大人たちから)ジロジロ見られることが多かったです。相手も悪気はないのはわかるのですが、普段から障害者を見慣れていないせいか、すごく珍しそうに、あるいは怖そうに見てくるんですよね。

また、それとは逆に、息子を避ける人もいました。
小さな子供が息子に興味を持って近寄ってきたとき、「見ちゃダメでしょう!」と若いママがその子の手を引っ張ってきつく叱りつけ、私たちに「スミマセン、スミマセン!」と必死に謝ってサッと逃げていったりとか…。そんな親子の後姿を見て、呆気あっけにとられたことも何度かありました。

こんな状況が、つい数十年前まで普通にあったのです。
それくらい、世間の人々は障害を持つ人々と関わった経験や体験が全く無かった…ということです。
私自身、息子が肢体不自由にならなければ、障害者のことなど全く知らずに生きてきたと思います。それくらい閉ざされた「知らない世界」「未知の世界」だったのです。

ちなみに、肢体不自由だと、病院でリハビリを受けたり、障害の状況に合わせて装具を作ったり等、医療機関と密にかかわることが多く、自然と外部との接点も増えるし、障害についてオープンにしている人が割と多かったのも事実です。
ただ、先に挙げたような「無理解からくる待遇」を受けるのが嫌だとか「人々の好奇の目に耐えられない」等の精神面での理由や、社会がバリアフリー化していないため一人で外出して行動するのが困難だという理由で、自宅や施設に引きこもる人が多かったように感じます。

でも、乙武洋匡さんが1998年に『五体不満足』を出されて、自分らしく生きている素のお姿を公開し、「障害は不便だけど不幸ではない」というメッセージを発してくださったこともあり、少しずつ人々の意識も変わりつつある時でした。



ところで、肢体不自由は、見た目や体の動き等ですぐに「障害」だとわかるので、隠しようがありません。ですので「外に出る=社会に自分の障害をさらす」ことでもあります。

ここで私たち夫婦は、息子の障害については、引け目・罪悪感・恥の意識・自己憐憫…等は1ミリも持たないように意識しました。
だって、親である私たちがそんな気持ちでいたら、息子は傷つき自分に自信が持てなくなると思ったからです。障害も含めての息子なので、そんな息子の全てを愛しいと感じ、「うちはこうなんですよ」と明るくオープンにしていたんですよね。
ですので、きっと世間の人々は「障害があるのに全然不幸そうじゃない。むしろ楽しそうにしていて、なんだか不思議な親子だな…」と好奇の目で見ていたと思います。

こんな感じで(いい意味で)開き直っていたので、周囲に息子の障害について説明しやすかったし、息子も自分を卑下することは無かったし、私たちがオープンになることで、理解し協力して下さる人も自然と増えていきました。

だけど、あの頃、精神障害や知的障害の人たちとそのご家族は、オープンにしていくことを避けられていたように感じます。
そのため、世間の人々も「見たことがない」「知らない」という人がほとんどでした。
私も然りです。

だから、避難所で初めて身近に精神障害の方がいらっしゃることを知ったとき、(それまで何も知らなかった)私は大きな衝撃を受けたのです。

知的と精神の障害者がかつておかれていた状況


あの避難所で見かけたお母さん(おばあさん)は、ご高齢である様子から、「障害者は家の恥」という価値観が根強かった時代に子育てをしてきた世代だろうな…と思いました。
おそらく在宅で、このお母さんが付きっきりで、この息子さんを看てこられたのでしょう。

昔は、知的障害者のことを「精神薄弱」と呼んでいました。
他に「精神遅滞」とか「知恵遅れ」とも言われていて、この呼び名から、どうしても差別偏見の対象になりやすく、親御さんの中には「子供が社会から馬鹿にされないように」と、わが子の障害を否定したり、障害を隠す人も多かったのです。
今は「知的障害」と呼ばれていますが、日本でこの名称に変わったのは、1999年のことです。23年前までは、学校でも普通に「精神薄弱」と呼ばれていました。

また、精神障害に関しては、1900年に施行された「精神病者監護法」によって、精神障害者は自宅の中に(座敷牢のような形で)監護するように定められていました。
その後、1950年に私宅監禁が禁止されても、人々の「精神障害は家の恥」という意識はなかなかぬぐえず、また、精神科を受診することも、昔は人目に立つと噂になって世間体が悪いという理由で、その一歩が踏み出せず、結局は家族で抱えていくしかなかったのです。

今では、多くの人々が、自分や家族の障害についてオープンになってきました。自らの体験を語ることで社会での障害への認知が進み、それに合わせて、福祉制度も少しずつ整えられています。
でも、昔は、公開しようものなら、差別偏見は免れないと信じ込まされてきました。特に古い世代ほど隠したがる傾向は強いです。

身内に精神障害者や精神病がいる家系だと知れると、他の健康な家族も結婚や就職などで差別的な扱いを受けます。だから決して口外してはいけない「秘密事項」でした。
みんな口をつぐんで語ろうとしないから、ますます誰も知らない状況が続きます。世間も、そんな人たちを見たことないし、いること自体聞いたことがないから、「最初からいない人たち」「存在しない人たち」として扱われ、社会的な認知は全く進んでいなかったのです。

◇◇◇

そんな古い時代の、ネガティブな価値観の影響を、今も延々と受け続けていて、昔のまま時間が止まったかのように生きてこられた方々がいる…。

きっと、この親子も、今までずっと外部との接触を避けて、自宅の中だけで静かに過ごしてこられたのでしょう。
あの時、避難によって家を出て、たくさんの人目に触れる場所に行った体験は、あの親子にとって「人生最大の冒険」になったかもしれません。

健常者の意識も変化してきた


固く口を閉ざし、人目に触れないよう隠しているから、誰もその存在に気づかず、最初から「いないもの」として扱われる。
存在が見えてこないから、必要な援助や支援策も生まれてこない。

これが、過去に障害者がおかれてきた立場であり、状況です。

でも昭和から平成へ、平成から令和へと時代が移り変わっていくなかで、障害を持つ人々の意識も大きく変わってきました。

昔のように世間体を気にして隠すのではく、カミングアウトする人が増えてきたのです。我が家もそうでした。

自分や家族の障害をオープンに語るようになり、普通に外出したり、自立して生活する人も出てきて、今では、自然な形で障害者の姿を見かけるようになりました。

もう、かつてのように「見たことがない」「知らない」「聞いたこともない」「近くにそんな人は一人もいない」という状態は、ほぼ無くなってきたと感じます。
更に最近は、健常者の意識も変化し、障害の有無に関係なく、友情を育んだり、愛を深めたり、信頼関係を構築しています。

昔と比べたら、ずいぶん自由でオープンな社会になってきたなぁ…と思います。社会も以前よりうんと寛容になりました。


自らの障害を語り始めた人々


そんななか、この動画を見つけました。

「境界知能」というハンディキャップを持つ佐々木もえさんの動画です。

境界知能とは、知能指数70~85のことを指します。健常と知的障害の間を指します。実は、社会的には非常に多くて、7人に1人が境界知能だと言われています。

NHK・Web特集「なぜ何もかもうまくいかない?わたしは境界知能でした」より

この動画を初めて見た時、「境界知能の領域からも、いよいよ『自分を語る人』が登場したんだ…」と感動したんですよね。
ここ10年くらいの間に、肢体不自由だけでなく、発達障害・聴覚障害・視覚障害・精神病や精神障害などなど…、多くの方がそれぞれの立場で、自分の障害を語られたり、中には本を出版されていますが、知的障害や境界知能の領域からは、まだまだ難しいかなぁと思っていたんです。
親御さんやご家族が、知的障害のことを語ることはあっても、ご本人が自分のことを語るのは、まだまだハードルが高いのではないか…と勝手に思いこんでいたのですよ。
ですので、とても驚きました。新しい時代の到来を感じて、私は正直とても嬉しかったです。

このもえさんの動画のお話を視聴すると、「何ができないのか?」「何に困っているのか?」「どんな配慮が必要なのか?」がよくわかります。
「(障害の状況について)いつもこんな感じだったのか、なるほどなぁ…」と、境界知能の方の世界観を知ることができ、とても勉強になりました。

そういえば、最近では、知的障害の女の子が主人公の「初恋、ざらり」という漫画がTwitterで公開されて、大反響となりました。(実は私もファンで、ざくざくろ先生のこの漫画をずっと楽しみに読んでいました)
こちらも、知的障害について的確に描かれた初めての漫画だと思います。
切なくて愛しい…とても新鮮で素敵な漫画です。


「自分を語る人」がまた新たに登場したのです。
このお二人から、私は新しい時代の風を感じました。

今まで固く閉ざされてきた世界の扉が、今、ようやく機が熟して、そっと開いた…そんな感じがします。
この新しい風を受けて、世の中の人々の障害者への理解がまた一つ深まり、誰もが安心できる社会・障害を隠さなくても生きていける社会になると良いな…と思いました。

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