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子育て&教育について

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子育ての思い出。中学校教師時代の体験談。親子関係や育児について思うこと。学校や障害児の教育についてなど。
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記事一覧

平安古典文学はいとおかし

今年の大河ドラマ『光る君へ』にはまっている。 私は以前、中学校の国語教師をしていたんだけど、もともと国文学科卒だったこともあり、得意分野の古典の授業になると、ついつい力が入っていた。あの頃の生徒たちは、きっと「そういえば昔、古典で習ったなぁ…」と懐かしく感じながら『光る君へ』を見てくれているのではないか…と(期待を込めて)思っている。 当時のことを振り返った時、ふと思い出すことがある。 それは、年度初めに校内の国語の先生たちが集まって「年間指導計画」を立てる際に、「授業内容を

京都からの電話

先日、我が家の電話が鳴った。 出てみると、関西弁のイントネーション。50代っぽい男性の声だった。 知らない人なので「怪しい電話かしら…」とちょっと身構えて話を聞くと、その人は京都の不動産屋さんで、息子が今住んでいるアパートの管理を前の管理会社から引き継いでやることになり、そのため、そのアパートの借主たちに家賃引き落とし先の変更など諸手続きを交わしていたらしい。ところが、どうも息子は、それと並行して「家賃一か月分を振り込む」という大事な用事を一つ見落としたみたいで、その催促の

元気そうでよかった

先週末、息子がひょっこり帰ってきた。 以前から帰省するような話は聞いていたけど、具体的なことはわからず、ただ「土曜日の夜泊めてほしい」とのことだった。 息子はこの4月から京都に拠点を移していて、あちらで大学院に通いながら、新しい職場で仕事もしている。片足を「学生」、もう片方の足を「社会人」に突っ込んだ状態で、マイペースに暮らしている。 息子の引っ越しの手伝いなど何一つしてあげなかった私と夫は、息子の新居をいまだに知らない。住所は聞いているけど、また実物を見ていないので、

そうだ、京都へ

先日、息子と久しぶりに電話で話をした。 この春から、息子は京都で暮らしている。 バタバタと忙しく過ごしていて、すっかり頭の中から消えていたんだけど、ある時、ふと「元気でやっているのかしら?」と思い出した。 私は他の一般的な母親と異なっていて、子供が実家から巣立って行ったからと言って「淋しい…淋しい…」と泣いたことは一度もないし、こまめに連絡を取らないし、食料と手書きの手紙が詰められた「オカンの愛情宅急便」を送ったことも一度もない。 息子には自由を謳歌してほしいから、変

そろそろ「昭和の呪い」から開放されてもいいんじゃないの

先週末、息子が帰ってきました。 週末のお休みを利用して、3泊4日の短期帰省です。 この間、息子は「春の高山祭」に参加したり、こちらでまだ残っていた諸々の手続きを完了させたりして、バタバタと忙しく過ごした後、あっという間に向こうへ戻っていきました。 私たちも、息子が帰ってきたからと言って、特に感傷に浸ることもなく、慌ただしく過ごしていました。 ただ、ちょっと心配していた向こうでの新しい職場について、息子に「どうだったの?」と聞いてみたところ、息子曰く「前の職場より、めっち

花束と別れとジュビリー

昨日、息子が巣立っていきました。 大学を卒業してから5年間、地元に帰ってきて、こちらで働いていたのですが、大学院の試験に合格したので、この春から、院生として学生再デビューすることになりました。 と、同時に、今どきの院生は、社会人として働きながら大学院に通う…というスタイルがスタンダードらしく、教授に相談したり、他の社会人院生からアドバイスをもらいながら、向こうで就活を決行。おかげさまで、良い職場が見つかり、4月3日からそこで働かせていただくことになりました。 ちなみに息子

先生の呪縛

最近、私は、自分のプロフィールから「元教師」という肩書を取り外しました。(詳しくは下の記事へ) 別に「肩書を外したこと」をわざわざnoteに書かなくても良かったんだけど、自分の中でキチンとけじめをつけたくて、ちょっと書いてみたんですよね。自分の思い(本音)もそっと添付して…。 すると、不思議な相乗効果が! 「元教師という履歴を手放す」と公言したら、なんだか気分がスッキリ軽くなったんです。 それは、 もう「元教師」らしく、常に模範的な人間であり続けなくてもいい …という

元教師の私が、久しぶりに学校教育について思うことを語る

私は以前、中学校の先生をしていた。 これは私にとって唯一の「正職員」としての職歴だったので、私を知ってもらうために、このnoteでも「元教師」という肩書をずっと掲げてきた。 だけど、「元教師」という肩書は、(私の地元も含めて)地方では、社会的信用度が高く、地域の皆さんからリスペクトしてもらえる履歴なんだけど、首都圏の人からは不評らしい。 お受験が盛んな地域の人は特に、こちらが「公立学校の元教師」だと知ると、サッと顔色が変わり、相手がドン引きしているのが伝わってくる。…なん

どうしてこんなに可愛いんだろうね

オシリズムさんのこの記事を読んで、ふと、自分の子育てのことを思い出した。 私の息子は、今はもう成人していて社会人だけど、まだ小さかった頃は、私も夫も、ずっと息子に「かわいい、かわいい」と言い続けてきた。 でも、我が家の場合、他のご家庭と少し違っていたところがあって、私たちが息子に一番「かわいい」と声掛けしていたのは、息子の顔じゃなくて「左手」だったことかもしれない。 ◇ 実は、息子は、生まれた時に大きな病気をしたことが原因で、体に障害がある。いくつかあるハンディキャッ

障害者も「自分を語る」時代へ

ネットの普及によって、今までなら「情報を受け取る側」だった人々が、SNSなどを使って自由に「発信する側」に立てるようになりました。 そのなかでも特に、かつては社会の隙間に埋もれていて、発言する機会すら与えられてこなかった「障害を持つ人々」が、最近はどんどん社会の表舞台に立ち、自らのハンディキャップについてオープンに語られています。 障害者から直にお話を聴かせていただくことは、とてもいい勉強になります。健常者にはない新しい視点を持つことができ、見慣れた街や日常の暮らしに潜む「

コミュニケーションで大切にしたいこと

カウンセリングについて学んだことのなかに、「これは業務に関係なく、普段の生活の中でも大切にしたいことだなぁ…」と感じるものが、いくつかあったので、noteでシェアしますね。 これは、小さなお子さんをお持ちの親御さんや、職場など大人同士のコミュニケーションでも、すごく役立つ内容なんじゃないかと思います。 ①人の話を聞くとき、わかったふりをしない相手の話のなかで、何かわからないことが出てきたのに、そのまま聞き流して「わかったふり」をしてしまうことがある。しかし、話し手のなかに

厳しくて意味のない校則は、もう手放すべきではないか

今朝、野本さんのこの記事を読んで、「ホントその通りだよなぁ」と深くうなずきました。 「我慢が美徳」という昭和時代の価値観で子供たちをきっちり躾けてきた結果、良くも悪くも、この「我慢してルールに従う」教育の成果が出てきて「ゆるく生きている人が許せない!」という人ばかりになっちゃったのかもです。 この記事の中で、 という部分があります。 確かに、学校に通っているお子さんをお持ちの人の話を聞くと、「よくわからないルール」「意味のない規則」が結構あり、皆さん難儀していらっしゃる

たった一人のためであっても、大切にしなければいけないこと

これは昔、教師三年目にして初めてのクラス担任を受け持った時のお話です。 学校での一日の活動が終わり、放課後になる直前に開かれるホームルーム(私の地域では「終わりの会」と呼んでいます。以下「終わりの会」)があるのですが、この時間は、各係からの連絡があったり、配布物があったり、明日の予定の確認をしたり等、結構バタバタと忙しいひと時です。そして、この時間を利用して、その日に起きた事件や問題につついて話し合うことも多々あります。 当時は、「その日のうちに決着をつけた方がいい」と担

肢体不自由でも一人暮らしができる街

肢体不自由の息子が、親元を離れて一人暮らしをする。 健常者にとっては、特に問題がないことであっても、障碍者にはとても大きな課題に直面することがあります。 健常者ならば、どうってことのない小さな段差であっても、脚が不自由なものには、簡単には乗り越えられない大きな段差になるからです。 特にうちの息子の場合、自立歩行はできますが、主治医から「長距離の歩行」「階段の上り下り」「長い時間、立ち続けること」「重い荷物を持っての移動」を避けるように言われていたため、高校を卒業するまで