字が古くなる
『ひらがなテキスト』というものをたまに販売している。
普段のペン字教室で生徒さんが使うのを目的に作ったのが始まりであるが、通えない人にも販売してほしいとの要望を多くいただき、オンラインやイベントなどでも販売していた。
初代ひらがなテキストを何度か完売・増刷を繰り返したあと、私はそれ以上の販売を中止し、新しいひらがなテキストの制作にとりかかった。そして半年後くらいに『新・ひらがなテキスト』の販売を開始した。
この『新・ひらがなテキスト』も何度も完売・増刷を繰り返し、先日ついに「最後の増刷分」と予告した分もすべて完売した。これでもう本当に増刷をする気はない。完全に終了である。
そもそも、この『新・ひらがなテキスト』の最後の増刷はする予定ではなかった。私としては早く完全に終了させたかった。しかし完売したあとに「再販はありませんか?」のお問い合わせを20件以上いただき、さすがにこれはまずい……と思って急遽増刷をしたのだ。厳密にいえば増刷した分の予約販売が3日で完売してしまい、発売日当日に在庫がない状態になってしまったので、さらにもう一回増刷をした。本当にありがたい。
勘違いされてしまうこともあるが、私は別に「販売したくない」わけではない。本当にありがたいことだと思っているし、欲しいと言ってくださる方には全員にお届けしたい。私の字を学ぼうとしている方がいることが本当に嬉しいし、先生としてこれ以上のことはない。
では
「なぜ販売終了するのですか?」
今回の「最後の再販」に際して、この質問をたくさんいただいた。
求めてくれる方がたくさんいるのに、つまり売り上げになるのに、なぜ販売を終了するのか。この質問に今日は答えたいと思う。
といっても、答えは一言で済んでしまうので……この先何を書こう(汗)
「なぜ販売終了するのか?」の答えは
「字が古くなったから」。
字が古くなるとは? 書をあまりやったことがない方にとっては不思議な表現かもしれない。
字が古くなるというのは、(自分で言うのは恥ずかしいことだが)私が上達をした、ということである。
私もみなさんのように毎日ちゃんと練習しているので、こう見えて字が上達している。
新しい書き方やバランスの取り方を積極的に取り入れたくて色々な方の字を練習するし、試行錯誤している。趣味は市販のペン字テキストで練習することである。そんな変態みたいなことをしていると1年くらいで字は変わっていき、2年もたてば総入れ替えの勢いである。
そして自分の作ったテキストを見て思うのだ。
「この字、古いなー」と。
「古い」とは決して悪いということではない。ここはくれぐれもテキストを買った方に誤解していただきたくない。私は断じて自分の下手な字を売るようなことはしないし、粗悪品というわけではない。
こんな例え方をすると自画自賛のようで嫌なのであるが、たとえば令和の今、昭和歌謡は古く感じる。しかしだからといって昭和の歌手は下手か? 曲としてレベルが低いか? というとそんなことはない。昭和歌謡はそれはそれで素晴らしい。ただ現代の歌っぽくないだけだ。
私の考え方もそれに近い。
「現代」の定義はあくまでも私の「今書いている字」と比べてになってしまうのであるが、簡単に言ってしまえば2年前に作ったテキストは「今書いている字」ではないのだ。
「そんなこと気にしないで増刷しちゃえばいいじゃん」と思われるかもしれない。しかしこれは字の良し悪しの問題ではないのだ。私にとっては2年前に作ったテキストを販売することは、婚活アプリのプロフィール写真で5年前の写真を使うことに等しい。これは私にとって、モラルの問題であり、プライドの問題なのだ。
年齢をごまかすというのは、その差の年数分、自分は一生懸命生きなかったことの表明だと思っている。一生懸命その年齢の自己ベストを果たしていれば、年齢を隠す必要はないと思うし、そういう生き方をしていたい。(ちなみに私は生き方については自己ベストを果たしていないので実年齢が結構恥ずかしい)
自己ベストを果たす生き方をしていると、自分の年齢はプライドになる。そうすると年齢をごまかすことは自分のプライドを自分で傷つけることになる。
字についても同じように思う。2年前のテキストを平然と販売しているということは、この2年間自己ベストを果たしていないと表明することと同じに感じてしまうのだ。自分が一歩も成長していないかのように。
つまり、販売終了、というのは私にとっては悲しいことではない。字が古くなったということは私が成長したことに他ならない。これは喜びなのである。
そして今、さっそく「次はどんなテキストにしよう?」と考えている。旧品があってはいつまでも新しい一歩は踏み出せない。販売終了は私のスタートラインである。
最後になりますが、『ひらがなテキスト』『新・ひらがなテキスト』をご愛用してくださっている皆様、ありがとうございました。愛用してくれる方がいるからこそ、私は精進しようと思えるのです。みんなが「えみ先生のテキストを使っている」と言って恥ずかしくない人になりたいのです。
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