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2023年 マニアを超えて生きていく

 年末に風邪を引いた。それはそれはもう、なんでこれがコロナでもなければインフルエンザでもないのか、許しがたいほどの風邪であった。二週間たった今も鼻炎が続いていて、鼻を拭き過ぎで鼻周辺の皮膚がむけ、肌が荒れ、こんなに毛穴ケアに気を使っているのに無惨にも乾燥毛穴が開くばかりである。

 思い返せば10月ごろにも風邪をひいた。そのときは朦朧とする中、筆をとり、暦を書いた私であるが(過去記事参照)さすがに今回は筆を取らずに大人しく寝る他なかった。とにかく体が重くて仕方ないのだ。全身の骨が溶けて消え、筋肉の力だけで内蔵もとい全血管、体重、頭を支えているのではないかというほどに。起き上がるどころか筆を持つなんぞ正気の沙汰ではない。

 年末にたまたまかかりつけ医が開いていたので駆け込んだところ、「ただの風邪で3日で治ると思うけど、長引きそうだから一週間分薬出しておこうか」と気まぐれにもらった薬を飲んでいたのであるが、果たして効いている気が全くしない。一人でウィルスと戦っているとしか思えない。孤軍奮闘、四面楚歌。私の体は風邪の植民地になるまいと必死に戦ってるのに、この抗生物質は軍備を肥やして呑気に蹴鞠をしているのだきっと。

 そんな全身全霊の戦いも、医者の言った「一週間」が過ぎた瞬間にケロッと収まった。熱は下がり、咳も出なくなった。残るはダルさと鼻水だけであるが、これは戦後の土地にはつきものの後遺症であるから復興を待つしかない。医者は正しかったのだ。

 こうしてようやく先日、筆を取るようになったのであるが、病床の折、私は考えていた。もしもこのまま「書道をやらない日常」になったら、と。

 言うと驚かれるのであるが、私は人生やり直せるのであれば絶対に書道をやりたくはないし、来世では出会いたくない。書道なんて仕事にするものではない、と思っている。

 理由は様々あるが、私が第一の理由に挙げらるのは専ら「自分が書道をやるのに適していない体」であることだ。

 私は先天的に腕から手にかけて異常を持っている。また神経を侵す病も患っている。どちらもはっきり言って、日常生活を送るにはそこまで不便は生じていない。箸がうまく持てないからごく親しい人意外と食事に行くのが苦手、程度だ。スポーツもやらないし、技術を求める仕事にもついていない。マウスが使えないが、タッチパネルの世間になってから不便は少なくなった。

 しかしこれが書道となると不便しかない。

 みなさんは鉛筆の持ち方を最初に習ったときに、こう言われたことはないだろうか?

「箸を持ってから箸を一本抜く」

 そう、箸が持てない私は、鉛筆が持てない。

 鉛筆はおろか、筆も持てない。

 厳密には「本当に持てない」訳では無い。「工夫して持つしかない」のだ。

 趣味で書道を楽しむのであれば、持てさえすればどうでもいいと思うのであるが、仕事となると話は変わる。私の筆の持ち方は好気にさらされ、作業が長時間にわたることは難しく、また病は日に日に重くなる。

 今となっては筆の持ち方がどうこう言われたら、「そんなことに気づくなんてよほど暇なのか、よほど私のことが好きなのか、どっちだ〜?」なんて陽気に受け止めているが、私にとっては長年のコンプレックスに他ならなかった。「恥ずかしい」わけではない。これは明らかに「ハンデである」とわかっていたからだ。

 私が「ハンデである」とわかったきっかけは、二度にわたる手術であった。

 腕から手にかけて細々とした問題はあるのだが、あるとき一番問題のある右手の指を手術した。

 驚いたのは手術から一週間後である。まだ抜糸も終わっておらず、青紫に腫れ上がった指ではあったが、私は医者の言うことを聞かず、字を書いた。その時の衝撃は忘れられない。信じられないほど書きやすかったのである。どんな言葉を並べてもこのときの感覚を人に伝えられないのが口惜しくてたまらないほどに。

 書きやすい! こんなに書きやすい手でみんなは字を書いていたのか!

 しかしながら本当は、私の指は手術をしても尚、他の人と同じにはならなかった。二度の手術をして、これ以上は骨がなくなるので無理だと医者に言われて何日も泣いた。書きやすい手で書いている全ての人間を羨ましく、憎く思った。

 私の字は手術後に明らかにうまくなった。どう考えても書きやすくなったからであった。今までは指に引っ掛けるように持っていた筆を、指で支えることができる。半分も治っていないのにこんなに書きやすくなるのであれば、全治すればどんなに書きやすいだろう。どれだけ上手くなれるのだろう。上達できるだろう。思いのままに書けるのだろう。考えても仕方のないことをいつまでも考えた。

 私の右手は、明らかに私の「コンプレックス」となった。「ハンデ」でしかない。なのに取り替えはきかない。練習ではどうにもできない大きな溝があって、渡る橋はない。

 気づけば私はSNSで字を発信する際に右手を隠し、毛筆を避けるようになった。右手のハンデがわかりにくい硬筆で、動画は手が映りにくい斜めからのアングルで撮った。

 毛筆は明らかに実力が出てしまう。ハンデのある自分の毛筆など、恥ずかしくてたまらないと、誰にも書いた字を見せなくなった。

 結果的にたくさんの硬筆の生徒さんを持つようになり、この選択を悔いてはいない。しかし硬筆だけだと自分という存在が「書道」から離れて行ってしまう気がする。それは怖かった。自意識過剰であることは承知しているが、私は「ただの字がきれいな人」ではなく、「書道を歩んでいる人」でありたかった。

 そこで私はかねてより収集していた硯を紹介してみることにした。勝手にコツコツ自分の楽しみのためだけに集めていた硯なので、今更何を頑張るものでもなかったのであるが、これは予想外の反響を呼んだ。私の硯の偏愛をこんなに面白がってくれる人がいるなんて考えたことがなかった。硯が私と書道の間に広がってしまった距離を縮めてくれているようだった。

 「ただ字のきれいな人」ではなく「書道を歩んでいる人」と思ってもらいたい……今思えば別にどっちでもいいじゃんって話なのだけど、当時の私にとってこれは大きな課題で、私は「硯マニア」として踏み出すことにした。

 現在もお世話になっている別視点さん主催の「マニアフェスタ」をはじめ、新聞などのメディアにも取り上げていただき、硯コレクションを一挙展示した「硯展」を開催したり、硯の小話などを書いたZINも制作した。大好きな硯をただ大好きと言うだけで喜んでくれる人がいることが嬉しかった。

 その一方で、ツイッターでは硬筆の字の発信も続けていた。これは2020年くらいからほぼ毎日続けていて、どうでもいい内容ではあるが、私の毎日のルーティンとなっていた。

 しかしながらこの発信内容の動画を撮影しているとき、いつも思うことがあった。

 「硬筆だと全然上手く書けないなぁ。毛筆なら、特に大筆なら、一回で書けてしまうのだけど。。。」

 私はツイッターに字を上げるときに、上手く書けない字があるといつも毛筆で先に書いて、それをお手本にして硬筆を書いていた。明らかに毛筆のほうが得意であると自覚していたのである。それもそのはず、硬筆は15年しかやっていないが、毛筆はもう28年の付き合いである。得意でないわけがない。

 そして今年、2023年。いつのことだかは覚えていないが、硬筆でなかなか上手く書けない字に出会った。そのときだった。頭の中の何かがプツンと言うとはこういうことか! となるほど、なんだかもう、なにもかもとっても面倒くさくなって、毛筆で書いて動画にしてツイッターにあげてしまった。

 驚いたことに、硬筆よりもはるかに多くの反響が来た。

 この反響は意外としか言いようがなかった。「硬筆より毛筆が得意」と自覚してはいたが、どうしても毛筆はコンプレックスであったし、自分の右手は大嫌いだった。

 ――もしかしたら、私の毛筆はそこまで恥ずかしくないのかもしれない。

 そのときによぎった感情と心に芽生えた炎を消さないように、連日、毛筆を書いてアップしてみた。

 反響は、飽きられるどころか増すばかりであった。

 「私の毛筆は恥ずかしくないのかもしれない」

 私の心に芽生えたこの気持ちは、希望だった。光だった。今まで硯におんぶに抱っこだった私と書道の距離は、こんなにも簡単に、明らかに、そして着実に縮まったのだ。

 どうして自分の28年間の日々を、私は信じてあげなかったのだろう。いつのときも、書道を優先してきた28年だったというのに。

 もう「硯マニア」の影に隠れて書道と近づこうとしなくていいのだ。硯のことは相変わらず大好きだし、収集しているし、マニアではあるけれども。硯がなくても私は「書道を歩んでいる人」になれる。きっと。

 28年間コンプレックスだった私の右手が、今やっと、自信に変わろうとしている。自信を持てるかは、ちょっと難しいけれど。でももう、恥ずかしくはない。

 年始、風邪から起き上がって数日ぶりに取る筆は、何ら変わりのない「いつもの感覚」で、寝込んだ数日間が憎たらしいくらいに字が下手になっていたけれど、悲しくはなかった。ハンデはあるけれど、そのハンデを諦める理由にしなかった自分を知っているから。

 もしも書道をやっていなかったら、これほど悩みが少なくて、つらい思いもしなくて、穏やかな人生はなかったろう、と思う。人生をやり直せるのであれば、やっぱり書道には出会いたくない。生まれ変わったら絶対に書道とは全く関係ない人生を歩みたい。

 でもまぁ、今は、ここまで歩んできてしまったし、硯も書道も大好きだし、今までの
人生の大半を字を書いて過ごしてしまったし、人類を半分にわけるとしたら「字が上手い方」の分類になると思うし、書道と生きていくしかないんだろうな、と思う。致し方ない。もう20年前くらいに辞めていたら違ったとは思うけれど。

 2023年、硯マニアを超えて、書道と生きた。

 お金をもらうよりも、仕事が増えることよりも。これほど嬉しいことはない。


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