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自分の心地よい自分探し

最近の自分

自分の病気のイベントで5分ほど話す機会をいただいた。
noteの更新も1年もしていなく、知人の広報誌に自分の病気について書いていたお仕事も今年の春に終わっていた。
 

側弯症・POTS・ME/CFSの全6話。最終話


側弯症の頃から考えると、約9年間病気について言葉にしているが、
文字にしないとな……という感覚はあるものの、何を言葉にしたいのか
最近は曖昧で、自分のなかでもよく分からなくなっていたところでもらったお話だった。(この感覚はなぜなのかは、近々言語化してみる)
 
5分という時間で、私は何が話したいのか言葉にしたので勿体ないから残すことにした。ふわふわしながらたどり着いた言葉たち。

本番はこの半分くらいしか話せていないし、まとまりもなかったけど。
少しでも、自分には何も「ない」から、今の「ある」に想像して
心がワクワクと動く時間をもって余裕のある、心地よい自分探しができる人が増えていったら嬉しい。

話すためにつくった文章


自己紹介


私は8年前にPOTSを発症して、その1年半後に慢性疲労症候群の診断がつきました。最初の頃は、PS7。今は5~6をいったりきたりしています。
 
医療従事者とご紹介されましたが、診断にも症状にも苦しんできたひとりの患者で、知識としてはそこまで詳しくないと思っているので、8年間で大事にしたら楽になった過ごし方をお話しようかと思います。
 
私は、POTSになる2年間に側弯症の手術をして、寝返りすることも激痛がはしる状態から、少しずつ回復して、2年くらいたって、仕事も日々のことも前と同じようにできるようになったところでPOTSになりました。
 
病気と向き合うこと、情報を探すことは看護師としても患者としても知識としてありましたが、それでもPOTSと慢性疲労症候群は、情報もほとんどなければ、頑張っても良くならないこと、私は低気圧や新月と満月の2日前にも症状が悪化するし、24時間の中でも症状の波が強く、ましてや光や音や、会話だけでも症状が悪化するなんて、本人の想像をこえてくるのが、この病気のすごさだと思ってます。
 

病気が長くつづくと

病気が長く続いたり、病気がなかなか回復してこないと
何もできない自分を責めたり、自分にも身近な人にもイライラしたり……
誰かのせいにしたり、何かのせいにしてしまったり。

それで救われる時間は一瞬で
それが活力になればいいんですが、私は罪悪感と虚無感だけが残る。
感情の波も穏やかな、自分が心地よいって思う自分でいたい

と思うようになりました。
そこから、自分の心地よい状態って、どんな状態か。
その状態でいるために、
一つ目は、自分の体の声、症状をちゃんと聞くこと
二つ目は、自分の好きなこと、ワクワクすることを知ること

が、私が心地よい状態でいられると気がつきました。
 

自分の体の声を聞く

って、スピリチュアルかよ、精神論かよ、的な感覚にもなりますが
家にいるし、座ることもままならいのに、試験受けてみよーと軽い気持ちで公認心理師の国家試験の勉強もして(あと4点で落ちたんですが)
心理学から、最近は宇宙物理学とか、生物学とか、般若心経とか禅のおしえとか、ジョブスがマインドフルネスを大事にしていたように、すべて同じようなことを言っていて、繋がっていくもので面白いなって最近は思っています。(脱線w)
 
POTSになって、看護師のときは、人のことを100パーセント理解できると思っていて。患者に寄り添う的な……。
ああー自分は驕っていたなと反省しました。
こんな、わけが分からない症状は、他人には分かるわけがないって。
だから、他人には最低限でも言葉にしないと分からないものだって。
伝えなきゃいけないんだって思いました。
 
自分のことを知るって、自然とやっていることを言語化する感じです。
朝起きたら、「今日はどうよ」と、症状をまずは自分で自分と対話します。

「今日は痛みが強いなー」
「低気圧来るのかな」
「あっ、そうか、満月前だ」とか
「満月なら、今日は無理しないで横になってるかな」
「洗濯くらいはできるかな」とか

体力も回復力もないし、日によっても違う
自分のこのくらいの今日なら、このくらいのことができるかもな
っていう感覚が少しずつ分かるようになっていく。
ちょくちょく、無理しすぎたーとなることも、いまだにありますが。
 
そうしていくと、元気なときにでも
自分と体との対話を家族に身近な人に伝えておく
ことで、
今日は、動いてるってことは元気なんだって、
細かく伝えなくても分かるもんなんだなと
遠くに住んでいる友人ですが、
私はやるときはやるし、無理ならやらないからって話してくれたことで
そうやって、私を理解してくれていたんだなって
教えてもらって気がつきました。
 
毎日、共にいる家族とかは
何で苦しんでいるか分からないから何かしてあげたくなって
むやみやたらに話かけられる……
うざく感じるループ(優しさだし、愛なんですけどね)もなくなるw
と思っています。
こういう生活をつづけたことで
月の満ち欠けでも体調悪くなるんだーって気づけたり
予想をしながら日々を暮らしています。
 

自分の心地いい


そして、自分の心地よくいるために、少しでも楽しそうとかワクワクしたり、自然と心が動いたものを大事にしました。
 

無いの沼


健康がなくなり、仕事もなくなり、お金もなくって
「ない」って感覚にとらわれてしまう。沼ですねw
ずっと横になるしかないと
自分で自分を駄目な人間としていくゾーンに入り、落ちていきます。
人間なので。
人の役にたちたいって思うことは、
優しい気持ちのかたまりだと私はとらえるようにしてます。

そう思うことも分かる、
そう思ってしまうことも否定はしないし、誰かのせいにもしない。

病気にならなかった自分って、多分だれもが想像すると思いますが
私は、病気になっていなかった自分も想像します。

病気になっていなければ、私はこうやって自分に優しい自分にはなれなかったし、自分の正義で人を変えようとして、それが正しさなんだって厳しい人間でもあったので……
今の自分だから、今、関われている友人ができたし
好きなことに夢中にもなれているなって。
今の自分もありだなーって思うくらいの
ゆとりが私の心地よさだと思いました。
 
なので、今の「ない」より、今の「ある」に目をむけるように。
まずは、ちょっとでもいいから、心が動いたものを身近においたり
楽しそうを、楽しいにする
ようにしてみました。
 
パンやコーヒーがおいしいと思える豊かさとか
夕日が綺麗とか、桜が咲いたとか、そういうことで自分はワクワクするし。そうすると、お花のお水を交換できたことも、ご飯をたべれたこととか
ちょっとした日々の変化を感じることができる。

神社でみたハロ

「ある」や「できた」が日常の中に増えていく。
調子が悪くて、横になるしかないときも、調子が悪いことを自覚し、
休むことを選択できたことも自分で自分を褒めてやれる
(自己肯定感を強くするってやつだと、書いたあとに気づきました)
 
私は、調子が悪いときほど、ブレインフォグが強くなって、何かをしようとします。何かしないといけないと思う自分、決断するのに迷いまくるときは危険信号だったって気がついて、動くことを止めます。
 
今の自分に何ができるか、今日いけるんじゃない?やってみる?

今日の、イベントに参加してみようってここに参加されたように。
休むを選択することも、チャレンジする気持ちも、ちゃんと持ちながら、
違和感がぬぐえなかったら無理はしない
自分に優しい生活をこころがけてみたことが、
私の一番の心地よい自分でいれると気がつきました。
 

分かりたいと分からない


分かりたいのに分からないつらさや
分かってほしいのに分かってもらえないつらさを

病気を持っている人だけじゃなく
私は人間みんな何かしら抱えて生きてるよなって思っています。
誰かと比べて考えるとかではなくて、
病気はあるは特別でも可哀想でもない。
 
人と人には重なる部分と、違う部分があることを。
それぞれの状況、環境に違いがあることをちゃんと受けとめて
自分のからだの声。体が症状として発していること、
心が感じるわくわくする気持ちをつかんで、大事にして、
今の時間は心地いいなーな時間を増やして満たしていく。

そうすると、思考も自分にゆとりのある自分でいられれるし、
マイナスな気持ちにゆらいでしまう自分をゆるすこともできる。
今、あることを楽しめる自分でいれるように。心がけています。

私と同じように、ないで埋まっている方がここにもいらっしゃったら
自分を好きで満たしてみてください。
その時間が、少しでもホッとする時間に繋がったら嬉しいです。
 
改めて、こういう機会をいただきありがとうございました。
 

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