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【非常勤的日常】まだいるの?出羽守

 皆さん、こんにちは。えむ@非常勤講師&大学受験アドバイザーです。

 突然ですが「出羽守(ではのかみ)」という言葉、ご存知ですか?この言葉、ウィキペディアでは以下のように説明されています。

他者の例を引き合いに出して物事を語る人のことである。ではの神という表現も存在する。特に海外と比較して日本を批判する人を「海外出羽守」と呼ぶ。また、「欧米では~、日本では~。だからもう日本は“終わり”だ!」とばかり話している人は「尾張守」と呼ばれる

Wikipedia

 「多様性」なるものがブームになっている昨今、死語というか死滅する言葉になるのかなと思っていたのですが、やっぱりまだまだ多く耳にすることの多い言葉です。しかも、「多様性」を語るその口が「アメリカでは〜」だの「EUでは〜」だのとおっしゃる。

 そういう場面に出くわすと、もう苦笑するしかないです。彼らの言う「多様性」とは、日本を省いた、つまり日本を否定したうえでのものなのだなぁと。

 しかし、自己を含めた何かを否定して成立する「多様性」などがあり得るのでしょうかね。

 もちろん、他者との比較により己を知り、学びが深まることもあります。問題は、「出羽守」らはそこにしか重きを置いていないということ。

 自らが試行錯誤して作り上げたもの、つまり自らが依って立つ土壌を完全否定して、他者のそれを絶賛、無批判に導入するのは多様性でもなんでもなく、単に視野が狭いとしか言いようがありません。そして考察が足りない。

 「海外では〜、だから日本はダメなんだ」。

 そう言いたくなる気持ちも分からないではないです。日本社会に特徴的な理不尽さというか、納得いかないことってありますからね。

 しかし、大事なのは、どうすればそれを改善できるのかを考える際に安易な出羽守(尾張守)になるのではなく、私たちのやり方をもう一度見つめ直し、改善のために他国のやり方を参照することがあるとしても、やはり私たち自身を軸にし、私たちに馴染んだ方法を採用することなのではないかと思います。

 心理学でもよく言われるように、自己否定からは何も生まれません。もちろん反省や自己批判的思考も大事ですが、それ一辺倒になってしまうのは違うよなぁ…と思う今日このごろでした。

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