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日記:2024年4月11日 晴れのち曇り

・今朝は派手に寝坊してとんでもない事になりかけた。どうやらアラームをかけ忘れていたらしい。薬のせいなのか昨夜の記憶がまったく曖昧なので再発防止策など講じようもないが、とにかく気を付けたい。

・自覚はなかったが、昨日の一件を思いのほか引きずっているらしく、半ば無意識にずっと水瀬いのりさんの去就に思いを馳せていたため、作業効率はもちろん日常生活のパフォーマンスも主観的にはガタ落ち君であった。もっともどんなに憂いてみせたところで、所詮は余人の杞憂にしか過ぎないので彼女にしてみれば、さぞいい迷惑であろう。日ごろからさして高い能力を発揮しているという訳でもないため、傍から見れば俺の挙動などせいぜい誤差の範疇であった事がせめてもの救い。思い詰めた表情は心配されたが。

・相手の目を見て話すのが苦手なのをどうにか改善しようと思い、近ごろは意識的に見るようにしている。あんまりじっと見過ぎてもかえって失礼なのではないかと思うが、いまいち塩梅を掴みかねている。そこから得られた発見としては、相槌を打つ時などに決まって白目を剥く癖のある人が一定程度いるという事である。おそらく適切な返答を模索する間に脳内の引き出しを探ろうとして、無意識的にそうなるのではないかと勝手に想像する。笑えるほどに滑稽ではないが、いちいちピスタチオ(お笑いコンビ、2022年に解散)を思い出してしまうのでどうにも反応に困る。結構好きだったけどな、あの白目漫才。

・いちおうオタクとしてのスタンス的には一貫して「女性声優」という偶像を処女崇拝している俺だが、現実は彼女達だって、肩書き以前にプライベートでは等身大のいち個人であるという事は流石に納得の上、弁えているつもりである。一般的な感性から言えばそれは車輪の再発明じみて今さらの発見に思われるかもしれないが、実際問題、未だこの辺りの分別がついていないオタクが驚くほど巷には溢れかえっている。とはいえ、俺自身もある程度歳を重ねるまで、親のことは個々人以前に「親」としてしか見られず、学生時代は教職員が須らく「先生」としか映らなかったので、およそ理屈としては似たようなものだろう。まこと彼らの想像の及ばぬ領域に「アイドル声優」が配置されているだけである。

・今となっては周囲でも一児の母であったり、教職に就くなどした人間もさほど珍しくはない。そうして彼らの生の声を聞くにあたって、ようやく当時の親や先生方にも、普通人となんら変わらぬ苦労があったのだと実感が伴うようになった。メディアに露出している知人だって居ないわけではないからまた然りである。加えて言えば、件の水瀬いのりだって自分とは同世代であるから、芸能人としての苦悩は分からずとも、三十路が差し掛かっての懊悩は多少なりとも共通の事柄であろうし、そういう意味ではより身近な存在になったとも言える。立場を置き換えて考えてみれば、そりゃ結婚やその後のキャリアを考えていたってなんら不思議ではない。むしろそんな事を考える余力もなく、未だにありもしない幻想に縋る俺の方が遥かに異端なのだ。盲目なままで居られれば幸せなのだろうが、苦しいことにそれが分からぬ歳では居られなくなってしまった。

・ただそれでも俺は「女性声優は処女である」という信仰を捨てずにいようと思う。より正確には、せめて目の届く範囲ではそうあってほしいと願うばかりだ。今さら異性としての可能性を感じているわけではないし、別に男とまぐわった位で役者としての本質的な価値が損なわれるものではないとも理解しているが、それはそれとして、自らの与り知らぬ所でどこの馬の骨ともわからぬ男と身体を許すまでの関係値を築いていた事実を直視させられる謂れはない。それは単に寝取られたとかいう話ではなく、仮に母親や妹に男が出来たと言われたって、直感としては同じように嫌である。実際、見知った声優同士の結婚発表であれば辛うじて、「まぁ、あんたほどの男なら……」と渋々ながらでも納得出来る程度には、俺も成長している。だからせめて伏線もなしに知らないキャラクターを推しのカップリングに組ませないでほしい。フィクションならざる現実には求めるべくもないが、つまるところ俺の祈りとは、ただそれだけの話なのです。

でも、やっぱ球界だけは本当に勘弁してください……。



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