「何かをしたい」何もできてないのに

やらなきゃいけないこと、ノルマがあるもの、ノルマがないもの、期限があるもの、期限はないもの。
いろいろたくさん。



それらではなく「なにか」始めたい。

──でたでた。私の悪いくせ。

何も「為していない」のに。
何も「為す」ことができるわけないのに。



久しぶりに、名古屋シティハンディマラソン出ようかなあ?(7,8年ぶり3回め)


私には靴があるから、
今年は1人で出られる。

……と、いいな。


でもなあ。

私が出たら、身体障害で判断されるんだよなあ。

身体よりも、精神のほうがつらいのに(※個人の意見です)

固定して「いつも動かない」身体より、流動的で「昨日できたのに今日できない」精神のほうが、

私にとってはつらいのに。
堪えるのに。

見た目で判断される。


全ての人に説明してまわる権利はないし、それに耳を貸させる強制力もないけど。

「見た目で判断する」という、生物に備わった脳機能の節約。

脳機能の節約だけならいいよ。
「決めつけ」られたくは、ないよ。


「1人に2障害」の可能性を、もっと世間に周知させたい。
私は動かないけれど。持続性気力が足りない。

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