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心の消しゴムの話

夢は楽しい夢であったからよかったんだけど、夢とは裏腹に、昨日の現実、仕事関係で、嫌味だなって思うことを言われてね、そのときは耐えたんだけど、人もいたし。大人気ないこと言うな、傷つくなと思ったけれど、言わなかった。わかって言ってるのかわからないで言っているのか。きっと強いひとならば、ばーん、と「それ、失礼じゃないですか?」って言えるんだろうけれど、私はあんまり言えないタイプ。あと、言わない。わざと言ってるのだろうから、それに対して言ってもね、、、。なんかその土俵におりたくない。また、どんくさいというのもあります。けっこう、辛かったことにあとで気づくタイプ。笑。

なんか嫌だな、ひどいな、と思いつつも、その場はやり過ごし、そのあと、じわじわと、あれってどうしてああいうこと言うんだろうなぁ、いい気持ちにならないのになぁ、とじわじわ、大きく、くるんですね。遅いの。笑。

きちんと言えばよかったなとかあるんだけどね。まあ、大抵軽んじられていることが多いのです。存在自体をね、軽く観られている。敬意とか、尊重がないというか。

人間としての尊厳というか、存在を、無視されるようなやつですね。

対面でねそういうことがあると、忙しいからという理由ではないからね。

大抵私は、そういう振る舞いにびっくりをして、びっくりしてるから対応できなくて、あとでじわじわくるんですね。無下な発言や態度があると、そしてその方がね、年上だったりね、社会的地位がある場合などはガックリ来ますね。2面性というやつです。

まあ、それはいいとして、何が言いたいかと言うと

そういうときどうするか、を書きたいなと思ったんです。夢は無関係な楽しいものであったけれど、朝目覚めてしまえば、思い出してしまう。後味悪い。そういうとき、どうするか。

色々、コロナな年だということもあり、ただでさえ暗鬱としている中、そして寒かったし雨降ってたし、気持ちに重くのしかかるというか。情けなくなるというか。どよーんとするわけです。そして悲しいニュースに気持ちも同調する。

このどんよりは、たいしたことないつもりでも、じゃあ人に聞いてもらうかというとそういう元気もない。めんどくさい。ただなんとなくやるせない、しんどい。

そんなとき、どうするか。

私はよく、想像の消しゴムをだしてきてその悲しみや出来事を消します。

ただ、その前に、消す前に、きちんとやらないといけないことがあって。それは、

その感情と向き合うということ。悲しい、辛い、腹立たしい。そしてどうしてそう思うのかを、対話方式に。少しつらい作業ですが、気持ちを自分でうけとめる。

そうかそうか、そりゃないよね。でも今度はきちんと言い返そう。まあ、そんとき気づかないタイプだから後の祭りだし、言い返せなかったらどうする?じゃあ、言い返せないなら、もっとその人を超えられる存在になろう。もしくはその人と関わらなくていいくらい圧倒的な存在になろう。それは、権力ではなくて、心がとてもとても大きく達観していて、もう雑音が気にならない。ほざいてるな、くらいになろう。いや、それすらも感じない。光のことしか考えていないからその人が見えていないくらいになろう。生きていることが楽しくて仕方ないので、全く雑音が気にならない。光り輝いて眩しくて、思いやりと感謝のない人は近寄ってこないというようになろう。

なんて考えたりしています。まあなかなかすぐにはできないですけれど。あとは自分をしばらくいたわります。今日は早めに仕事おわろうとか。

午前半休とろうとか。

(会社員の方へのアドバイスも込めて書いてます。意外と午前休オススメです。勇気を出して休もう。1日休んでもいいし。会社員の場合、誰かが穴埋めしてくれますから、休みやすいという考え方をしましょう)

そして

消しゴムで消すんですね。その人からくらった、ネガティブな感情を、消しゴムで消す。

だって損ですもの、時間が。そんな人のために損をしてはいけない。何もしていないし、むしろ助けにいったんだから、それなのにどうして、そんな私が嫌な気持ちになる必要があるんでしょうか。

まずその人とその人の言葉を消す。そしてその人の幸せもいっしょにお祈りしてあげる。そして、忘れる。それで少し眠くなったら寝る。

というわけで、今日は仕事の合間によく寝ました。眠くなるんですね。

こんなことは普段書かないし言わないんですけれど、いろいろ続くものですから、これが役に立つとも思わないのですが、もしかしたらと思って、書きました。

個人差がある。ガーンと来る人とそんな来ない人といる。

こんな私でも元気なようで、実は日々、嫌なことはあるし、傷つくこともある。課題があるんですね。観音様みたいに半眼で穏やかに生きられるまでにまだまだかかりそうです。

みんな、日々色々あると思う。

たまにね、自分の思い通りにならないと不機嫌になったり意地悪したりする人がいるから。人はそれぞれの不器用さ、器用さがあるのに、みんな自分と同じだと考えて、力や立場で強要して来る人もいたりします。その人の心を、個性を、大切にしてることを踏みにじる人。

みんなが他者に対して優しかったらいいのにね。

でもね、そういう社会でもないので、関わってしまった場合、その場から立ち去れない場合は、消しゴムしかないなって私は思っています。

その都度、そのじぶんの悲しくなってる気持ちを、受け止めたら、

ごしごし消しゴムで消しています。

人間が厄介なのはたくさんの素晴らしい人に囲まれたり素晴らしい出来事があったとしても、たった一人の、たった一言で

全てが汚されてしまうことがあるということです。

不思議なんですが。あんなに愛されてるんだからそこに目を向けて、といわれてもその悲しい言葉にとらわれてしまう。

そう、とらわれる、って感じです。覆われてしまうんですね。そこで、意識的にはずすんです。その言葉を。出来事を。仕打ちを。ごしごし消す。ありがとう、ばいばーいって。

自分は消さない。

その嫌な感情を消す。

そういう悲しい気持ちをもっていると、

自分の感情ではない他人の悲しい感情まで引き寄せてしまうと人から聞きました。

そう、小さな悲しい感情が、他人の誰かわからない悲しい感情もとりいれて雪だるまみたいになるんです。

ということで、何が言いたいかというと、

悲しい感情は、自分で掃除しておこうということです。

心のお掃除。

あ、悲しい感情にした人が悪いとも思わないです。その人はその人の人生だから。

いろんな人がいますから。

今回は言葉のいじめ、について書きましたけれど、でも、これは人からのものでない場合もあるし、人と比較してしまって不安になってしまう場合もあると思います。比較してしまうことについてはまた書こうと思います。

嫌なことがあったからこれが書けたので、ある意味書かないといけないのかな?お告げ?笑 と思って書いてみました!どきどき。



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