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路線バスの美しい記憶

少し前だが、久しぶりに路線バスに乗った。
庶民的なフランス料理のお店へ出かけるためだ。
わたしは普段ほとんどお酒を飲まないので、いつもなら(酒飲みの)妻を助手席に乗せて自分が運転して出かけるのだが、今回はちょっと違った。

最近、わたしたち夫婦の共通の友人が、旦那様と二人同時に脱サラをして日本酒専門の酒屋さんを始めたのだが、その友人夫妻がフランス料理店の食事に合う日本酒をコーディネートすることになったのだ(日本酒ソムリエ的な感じ)。お店同士のコラボのようで、予約が必要なほどの盛況ぶりだった。だから普段はお酒を飲まないわたしも、ちょっとは飲むつもりでバスで出かけたというわけだ。

普段は滅多に乗らない路線バス。最近はテレ東の「路線バスの旅」くらいでしか親しみを感じていなかったのだが、実際に乗ってみるとどこか懐かしい気持ちになった。
※ちなみに「路線バスの旅」は、似たようなシリーズ「陣取り合戦」「路線バスvs電車」も好きでよく観ている。太川陽介の必死さが〝怖くて〟面白い。

そんなわけで、半分太川陽介になった気分で(あ、わたしは怖くない)バスに揺られながら外の景色を眺めていたら、ふと幼少期のことを思い出した。

わたしは、幼稚園のとき(三歳)からピアノを習っていた。
動機は不純で、幼稚園の好きな女の子が習っていたから自分もやりたくなっただけ。しかも、その子はすぐに辞めてしまったのに、自分はいつの間にか中学一年の初めまで習うことになった。

ピアノ教室までは車で30分くらいだった。
小さい頃は、毎回母親の車で送り迎えをしてもらっていたのだが、小学校の中学年あたりから「そろそろ一人で通えるようになってね」と言われ、バスで通い始めた。

生まれて初めて、一人でバスで通うことになったわたし。
一回目は、さすがに母親が同行してくれた。
と言っても、隣に腰かけるのではなく、わたしは車内の前方へ座り、母親は後部座席に座ってわたしを見守るという完全なる予行練習だった。

整理券を取り、席に着き、降車ボタンを押して、バスを降りる――。
それを一人でやる。それを母親が監視。
そしてわたしは、それを難なくやってのけた。

さて、いよいよ本番。
わたしはピアノ教室に行くときに持参するカバンを片手に、バスへ乗り込んだ。整理券も取ったし、あとはタイミングを見て降車ボタンを押して、降りるだけ。
バス停からは、15分も歩けばピアノ教室に着く。帰りは母親が迎えに来てくれるから、行きだけ頑張ればいいのだ。

緊張していたとは思う。
でも、「やれる!」という自信もあった気がする。
車窓から景色を眺める余裕があったかどうかまではわからないが、「予行練習通りにやれば問題ないはず!」とエレパン少年は自分を信じていた。

バスに乗っている時間はだいたい30分。
気がつくと、わたしはまだバスの中にいた(当たり前だ)。

「え? どこだ、ここは?」
気がつけば、わたしの周りには中学生らしき男子が数名、わたしを見てゲラゲラと笑っていた。

そう、わたしは爆睡していたのだ。
降車する予定のバス停は、すでに通り過ぎてしまっている。
バスの椅子から落ちそうになるくらい派手に乱れた姿勢で、口を大きく開けて眠っていたらしいわたしを、中学生たちが笑うのも無理はない。

わたしは焦った(走れメロスみたいだ)。
しかし、驚くほどすぐに立ち上がった。
一刻も早く降りなければいけない! 
誰も助けてなどくれない。とにかく一人で解決しなければならないのだ。
なにしろ今日は、後部座席に母親はいないのだから。

たまたまバスは、バス停で停車中だった。
慌ててピアノ教室のカバンを持ち、降車ドアに向けて走り、運転手さんの横にある運賃箱に当初支払う予定だった運賃を入れ、わたしは急いでバスを降りた。
もしかしたら運賃は不足していたかもしれない。
でも、そんなことを考えている余裕はなかった。
(あとから知ったが、運賃は当初支払う金額と同額だった)

降りた場所は、降車予定のバス停の次のバス停だった。
その場所にはうっすら記憶があった。とりあえず、一つ前のバス停まで行こう!
わたしは走った(また、走れメロスみたいだ)。
ピアノ教室に遅れないように、必死に走った(いよいよ本格的にメロスのようだ)。
きっと周りなど見えていなかっただろう。
わたしは、とにかく走った(本当にしつこいが、やっぱりほぼメロスだ)。
ピアノのレッスンに間に合うように……その一心だった。
人生で初めて乗り過ごしてしまったわたしは、「今、頼れるのはこの自分しかいないのだ」と思って懸命に走っていたことだろう。

そして、どうにかピアノ教室に到着。間に合った!!
一時はどうなることかと思ったが、なんとか間に合い安堵するエレパン少年。安堵と達成感で満ちていたことだろう。

歳を重ねてからもこれだけ鮮明に覚えているのだから、あの日の自分はきっと頑張ったに違いない。そういう積み重ねが今の自分を作っていると思うと、なんだか感慨深い。

そんな懐かしい話をバスの車内で妻に話した。
……なのに、リアクションはいまいち。仕方ない、妻はそういうタイプの人間なのだ。
でも、わたしの中では(自分で言うのもなんだが)美しい記憶だと思っている。

――さて、久しぶりに路線バスに乗って到着したフランス料理店。
店内では、友人夫妻が料理に合う日本酒について、お客様にあれこれ説明していた。
すごいなぁ。脱サラして夫婦でこんなことをして、素敵だなぁ。
料理も美味しいし。。日本酒はやっぱりちょっとキツかったけど、ちびちび舐めるようになんとか飲んだ。

やがて酔いが回ってきた。一時的に気分は高揚したが、しだいに気持ちが悪くなってきた。
……そうだった、わたしは酒が飲めないんだった。

帰りのバス。
酒の影響で、わたしは眠くて仕方がない。ウトウトし始める。
朦朧とした頭の中に、うっすらと「人生初の乗り過ごしエピソード」が蘇る。酔いと過去の記憶が、わたしを少しだけ気持ちよくさせる。

たまには路線バスっていいな。
このまま寝過ごして、どこまででも行っちまいたい気分だ。
そんな現実逃避が頭をかすめるも、現実がわたしの脳みそを支配してくる。
ゆったりとした時間が去り、しだいに目の前の景色が鮮明になってくる。降車予定のバス停の2つ前で、わたしの目はスーッとする目薬を点した直後くらいにバシバシ冴えてきていた。

時々、現実に戻ることがちょっぴりつまらないと思うことがある。
このまま思考の世界に居続けたいと思うことがある。
でも、遠慮なく、淡々とやってくる現実――。
いろんな思いを巡らせながら、わたしはバスを降りた。

バス停から家まで歩いた2~3分ほどの間。
冷たい風は確かにわたしの頬を冷たくさせたが、痛いほどではなかった。
きっと幼少期の自分が、今のわたしを温めてくれたのだろう。

思い出は、時に今の自分を苦しくさせるが、そればかりではない。
どんな思い出も、今のわたしにはなくてはならないものなのだ。
そう。なくてはならないものなのだ。

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