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どんな経験も、過去のものとして、引き出しにしまいっぱなしにするのはもったいない

何事も「過去のもの」とラベルをつけてしまったら、もったいないと思うのです。先日、私にも読書に救われた経験があったことを思い出し、noteに書きました。

中国に住んでいたのは過去のこと、と思っていたけれど、思い起こせば、思考の原点がたくさんあると思いだせたのです。

いろんな経験をしてきても、それを活かすかどうかは自分次第。過去の経験を、もう済んだこととして引き出しにしまうのも自由です。

反面、同じような経験であっても普遍的な気づきが得られるのなら、いつでも語る価値が生まれると思うのです。

そこに語り継ぐ価値が生じる限り。
時間軸も、空間軸ものりこえられると思います。具体的→抽象化する過程を通じて。

具体的な話で景色を補い、原体験を共有する試み。
抽象化をすすめて価値を見出し、また違う気づきを得て抽象化する。

価値観が変換する瞬間、自分では気づいていないのかもしれません。人と話をすること、聞いてもらうことを続けると、いろんな糸口が広がって、とても面白いと感じたのです。

たくさんの話を聞ける仕事がしたいし、その話の良さを言葉で伝える仕事がしたい。スキルを身につけたい。そう思って、今日もnoteを書きました。

もし、過去の経験を過ぎたことして、ラベルをつけてしまった方へ。
いつでも、あなたの価値をふたたび見出すことができます。解釈は変えられます。過去の経験は、今を生き抜く力に変えることができるのです。

備忘録として、留めておきますね。

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