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introduction of Danish Jazz:ジャズ・クインテット60から辿るデンマーク・ジャズ入門(with playlist)

ジャズ作曲家の挾間美帆が2019年にヨーロッパを代表するビッグバンドでデンマークで活動しているDRビッグバンドの首席指揮者に就任しました。

世界的な名門ビッグバンドの首席指揮者就任は単純に快挙だと思います。これまでに首席指揮者として招かれたサド・ジョーンズボブ・ブルックマイヤージム・マクニーリーは全員ジャズ・ビッグバンド史の重要人物。つまり彼女はその系譜に連なることになるわけですから。

とはいえ、よほどのジャズマニア以外は「デンマークでジャズ?」って考えると思うんですよ。「イギリスでもフランスでもドイツでもなく北欧のデンマーク?」みたいな。ジャズが盛んなイメージってそんなにないかもしれません。なので、ここでは超大雑把ですが、デンマークのジャズを掻い摘んで紹介してみようと思います。

以下、デンマーク人ジャズ・ミュージシャンたちが主に60年代に録音した重要作を集めたプレイリストも作りました。BGMにどうぞ。

◉ヤズフス・モンマルトル(Jazzhus Montmartre)

まず最初に紹介したいのがヤズフス・モンマルトル(Jazzhus Montmartre)。英語ではカフェ・モンマルトル(Cafe Montmartre)と呼ばれています。

ここは1959年にコペンハーゲンにオープンしたジャズ・クラブです。マイルス・デイヴィス『Kind of Blue』が録音/発売されたこの年はデンマークのジャズ史にとっても重要な年になりました。

このヤズユフ・モンマルトルはすぐにデンマークのジャズ・シーンの拠点になりました。特に大きな意味を持ったのがアメリカの大物たちがヨーロッパ・ツアーの中でここを訪れてライブを行ったこと。本場のジャズを体験できる拠点が生まれたことはデンマークのジャズが開花するきっかけになったと思います。

ベント・アクセン「1959年は刺激的な年だった。スタン・ゲッツオスカー・ペティフォードが夏にコペンハーゲンにやってきて、オープン間もないヤズスフ・モンマルトルに出演していた。(中略)デンマークにもジャズ・ミュージシャンがいないわけではなかった。でも、きちんとお金を取って、毎晩ジャズを聴かせてくれるような場所はまだ存在しなかった。もしも、”ダニッシュ・ジャズ”というものが存在するとしたら、その歴史はヤズスフ・モンマルトルがオープンした1959年に始まったんだ。」
(※ヨルゲン・フリガード執筆のベント・アクセン『アクセン』ライナーノーツより)

これはデンマークのジャズ・シーンにおける最重要人物の一人のピアニストのベント・アクセンの言葉。

スタン・ゲッツは1958年から1961年までスウェーデン人と結婚していて、コペンハーゲンを拠点に北欧で活発に活動していたので、彼の演奏を度々聴くことができました。

またオスカー・ペティフォードはそのままとどまり、1960年に亡くなるまでの時間をコペンハーゲンで過ごしました。そこでペティフォードはコペンハーゲンのミュージシャンたちとジャズ・セッションをしたり、レコーディングをしたりと深い交流をしたことで、たった一年ちょっとの時間ではありましたが、デンマークの若手たちに大きな影響を与えることになります。

以下の『Montmartre Blues』(『My Little Cello』のタイトルでデンマークでリリースされていたもののアメリカ・リリース版)に収録されている。デンマーク人はドラムのヨルン・エルニフ(Jørn Elniff)、トランペットのアラン・ボッチンスキー(Allan Botschinsky)、ヴィブラフォンのルイス・ホルマンド(Louis Hjulmand)に、スウェーデン人はピアノのヤン・ヨハンソン(Jan Johansson)、サックスのエリック・ノードストルム(Erik Nordström) がペティフォードと共演しています。

◉ヤズフス・モンマルトル以前のデンマーク・ジャズ

ヤズユフ・モンマルトル以前だと、1950年以前のデンマークのジャズが『Dansk Guldalder Jazz』シリーズにまとまっているので、おススメです。1933-1938、1940-1941、1942-1943、1943-1949の計4枚。

vol.4ではベント・アクセンが影響を受けたというKjeld Bonfils Trioの音源が聴けます。

◉ベント・アクセンとジャズ・クインテット60

そんなデンマークのシーンから出て来たのが上記のベント・アクセンらの世代。ベント・アクセンはオスカー・ペティフォードらから得たものを形にするために活発に活動をし始めます。

1960年録音の『Let's Keep the Message』はペティフォードの死後に録音されたもので、前半の4曲は彼に捧げたもの。ベント・アクセン(当時25歳)が、ペティフォードとの録音にも起用されていたヨルン・エルニフ(当時22歳)、アラン・ボッチンスキー(当時19歳)、そして、サックスのベント・イェーディッグ(当時25歳)らを集結させたこの録音はDebutレコードからリリースされ、19歳から25歳までの超若手によるデンマーク・ジャズの開花を捉えた瞬間を記録したものとなりました。
※ベント・アクセンのDebut音源の編集盤Bent Axen『Axen』に全曲収録されています。

そして、デンマーク国内で高い評価を受けたアクセンはレコーディングを続け、同1960年にベント・イェーディッグ、アラン・ボッチンスキーらデンマークの若手を集めてジャズ・クインテット60(Jazz Quintet 60)を結成し、まずは4曲入りのEP『Jazz Quintet '60』をDebut Recordからリリースします。ここではオスカー・ペティフォードに捧げた「Message from Oscar」など、ペティフォードへのオマージュも含まれています。
※編集盤Bent Axen『Axen』に全曲収録されています

1961年にはベント・アクセン・トリオ名義で『Axen In Action』『Jingle Bells』『The Man I Love / Laverne Walk』の3枚のEPをDebutからリリース。アクセンを中心にシーンができていっているのがわかります。
※Bent Axen『Axen』で全曲聴くことができます。

このトリオでのEPでベースを演奏しているのが初レコーディングの時期のニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン(Niels-Henning Ørsted Pedersen)。後に世界屈指のジャズ・ベーシストとなる彼は当時なんと14歳!!こうやってアクセンの周りに徐々に才能が集まっていきます。

ビヨルネ・ロスヴォルド名義でベント・アクセン、アラン・ボッチンスキーらと『Bjarne Rostvold Quartet & Trio ‎– Jazz Journey』(1961)を録音したりと、徐々にこのコミュニティの音楽性が固まっていきます。

そして、デンマークのジャズ・シーンを刺激する歴史的な事件がエリック・ドルフィーのヨーロッパ・ツアー。1961年にコペンハーゲンで現地のミュージシャンたちとライブをして、それを翌1962年にDebut『In Europe』としてリリースします。その後、1964年にアメリカのPrestigeレーベルが『In Europe, Vol. 1』『In Europe, Vol. 2』『In Europe, Vol. 3』としてリリースしたことで、世界的に知られることとなり、エリック・ドルフィーのライブ録音の傑作として評価されることになります。

この時に共演したのがベント・アクセンヨルン・エルニフ

その翌年1962にはアメリカから移住していたサックス奏者のブリュー・ムーアのデンマーク録音が行われます。

スウェーデンに移住していたサックス奏者のサヒブ・シハブとお隣のスウェーデンのサックス奏者のラース・ガリン以外はデンマークのミュージシャンで、アクセンペデルセン、オスカー・ペティフォードのデンマーク録音に起用されていたヴィブラフォンのルイス・ホルマンドが参加しました。

こうやって録音が残っているだけでも、様々なきっかけがあり、それらで得た刺激を糧に進化していったベント・アクセンらはジャズクインテット60名義でのデビュー・フルアルバムのレコーディングの機会を得ます。満を持して1962年に『Jazz Quintet 60』をスウェーデンのレーベルのメトロノームから発表します。

ベント・アクセン、ニールス・ペデルセン、アラン・ボッチンスキーに加え、ドラムにビョルネ・ロスヴォルド(Bjarne Rostvold)、サックスにニルス・ハサム(Niels Husum)の5人。アメリカのハードバップやクールジャズ、モードジャズを消化したデンマーク人によるジャズアルバムです。

翌1963年には2作目の『Presenting Jazz Quintet 60』をリリース。

この時期にデンマークのジャズの基盤ができたような感じでしょうか。

アクセンのピアノにはバド・パウエルやビル・エヴァンス、アーマッド・ジャマルが、ボッチンスキーのトランペットにはマイルス・デイヴィスが、ぺデルセンのベースにはポール・チェンバースが、と言った感じで、アメリカで起きたことを吸収しながら、なんとか自分たち独自の表現を探ろうとしている様子が聴こえます。

◉1960年前後のヨーロッパ・ジャズの胎動

ちなみに若手たちが試行錯誤しながらアメリカ産のハードバップやクールジャズを輸入して、自分たちのものにしようとしていたのはデンマークだけでなく、ヨーロッパ各地で起きていました。

◉イタリアのジャンニ・バッソオスカル・ヴァルダンブリーニ『Basso-Valdambrini Octet - The Best Modern Jazz In Italy 1962』(1962)

◉イギリスのタビー・ヘイズ『The Jazz Couriers Featuring Tubby Hayes And Ronnie Scott - The Last Word』(1959)

◉イギリスのイアン・カー『Emcee 5 - Let's Take Five! ‎』(1962)

◉フランスのジョルジュ・アルヴァニタス『Georges Arvanitas Quintet ‎– Soul Jazz』(1960)

◉フランスのバルネ・ウィラン『Barney Wilen ‎– Barney』(1960)

◉スウェーデンのスタファン・アベリーン『Staffan Abeleen & Lars Färnlöf - Quintets 1961-66 』(1961-66 )

◉オランダのダイアモンド・ファイヴ『The Diamond Five ‎– Brilliant!』(1964)

◉日本の白木秀雄『Hideo Shiraki Quintet - Plays Horace Silver』(1962)

アメリカのハードバップやクールジャズ、モードジャズを自分たちだけでなんとかものにしようとした若者たちのジャズがこのあたり。これってアメリカのロックをなんとかものにしようとした若き日のビートルズやローリング・ストーンズのようなイギリス人だったり、みたいなことと同じなわけですよね。そういう意味ではどこか物足りなさもあるけど、同時にここにしかない若さゆえの勢いや衝動、アメリカへの真っ直ぐな憧れがある、という感じで、00年代にこの辺りの音源をジャズ系のDJが漁った理由が何となくわかる気がします。パンク的、とでもいいましょうか。

話をデンマークに戻すと、その後、デンマークではジャズ・クインテット60周りの人脈が様々な作品に貢献します。

例えば、サヒブ・シハブ『Sahib's Jazz Party』(1964)にはニールス・ペデルセン、アラン・ボッチンスキー、ビヨルネ・ロスヴォルド、アレックス・リールが参加していたり
※Black Lionレーベルから『Comversations』とタイトルを変えて再発されている。

サヒブ・シハブ『Sahib Shihab And The Danish Radio Jazz Group』(1965)にはベント・アクセン、ベント・イェーディッグ、アラン・ボッチンスキー、ニールス・ペデルセン、ニール・ハサムとアレックス・リール。ルイス・ホルマンドやパレ・ミッケルボルグも参加。当時のデンマークの若手のオールスターズといった布陣だったり、
※Storyvilleレーベルからリリースされた『Sentiments』のボーナストラックとして一部が収録されている。

サヒブ・シハブ絡みで言えば、1963年にヴォーカリストのペドロ・バイカー『Pedro Biker ‎– Evergreens In Danish Design』のバックをサヒブ、ボッチンスキー、アクセン、ペデルセン、ロスヴォルドが務めています。

ベント・イェーディッグがユーゴスラビアのトランぺッターのダスコ・ゴイコビッチを迎え、アラン・ボッチンスキー、ベント・アクセン、ニールス・ペデルセンのジャズ・クインテット60組に加えて、ドラマーのアレックス・リールを起用した『Danish Jazzman 1967』(1967)をリリースしたり、

アメリカから移住してきたサックス奏者のレイ・ピッツを迎えての『The Radio Jazz Group』(1965)がDebutにより制作されたり、

アラン・ボッチンスキーのようにポーランド奇才クシュシュトフ・コメダがスウェーデンやポーランドの名手を集めた『Krzysztof Komeda - Ballet Etudes / The Music Of Komeda』(1963)に録音に起用されたるミュージシャンが出てきたりと、国外でも活躍するミュージシャンも出てきます。

海外でも活動するようになった枠と言えば、ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン。ヨーロッパを代表するベーシストになり、ヨーロッパ・ジャズの名盤への参加が多いだけでなく、オスカー・ピーターソン、アルバート・アイラー、デクスター・ゴードン、サヒブ・シハブ、スライド・ハンプトンなどなど、ツアー中のアメリカの巨匠との録音多数しています。

1963年にはコペンハーゲンに来たローランド・カークが自身のバンドにペデルセンを加えてライブを行ったり。

◉[Label] Debut records

この60年代のデンマークのジャズの流れになったら、Debut recordsについて語らないわけにはいかないかと。

1957年に設立されたレーベルで、オスカー・ペティフォード『My Little Cello』ブリュー・ムーア『Brew Moore In Europe』サヒブ・シハブ『Sahib's Jazz Party』などのアメリカの巨匠とデンマーク人の共演から、ベント・アクセン&ベントイェーディッグ『Let's Keep The Message』を皮切りに、ベント・アクセン・トリオジャズ・クインテット60のEPのようなデンマークの新世代による作品まで、これまで紹介してきた重要作の多くをリリースしています。これらはレコードが希少なため、レコードコレクター/ジャズDJだけ知られているイメージもありますが、普通にデンマーク・ジャズ史的には最重要レーベルのひとつとして考えるべき存在です。

とはいえ、このレーベルはデンマーク国内に止まらずジャズ史的に重要です。それはデンマークで録音されたアルバート・アイラー『My Name is Albert Ayler』(1963)、『Ghost』(1964)、『Spirits』(1964)、セシル・テイラー『Live At The Cafe Montmartre』(1962)をリリースしてるから。つまりこれらのフリージャズにおける重要録音はデンマークのレーベルが関与しています。『My Name is Albert Ayler』のクレジットを見ると、ピアノのニールス・ブロンステッド、ベースのニールス・ペデルセンがデンマーク人で、ドラムのロニー・ダーディナーはスウェーデン人。『Ghost』はすべてアメリカ人ですが、デンマークでの録音です。それらに加え、Debuteには前述のエリック・ドルフィー『In Europe』もあるわけです。

60年代にはそうやってデンマークのジャズ・シーンはどんどん豊かになっていきました。

ちなみにここまで何度もサヒブ・シハブが登場していますが、その理由は当時、彼がアメリカでの人種差別のひどさに耐えかねてヨーロッパに移住し、スウェーデンやデンマークを拠点にしていたから。50年代末以降、ヨーロッパに移住するジャズ・ミュージシャンは少なくありませんでした。マイルス・デイヴィスのドキュメンタリー映画『クールの誕生』を見ると、パリでフランス人に歓迎されリスペクトされたマイルスがアメリカへ帰る際に、母国での差別を思い出し憂鬱になるようなシーンがあります。彼らにとってヨーロッパは人間として、芸術家として扱ってもらえる場所だったことがわかります。

挾間美帆「デンマークでは人種差別がひどかった時代に、差別なくアメリカのジャズ・ミュージシャンを受け入れた背景があります。サド・ジョーンズはそこを気に入って住み着いてて。だから、サドはDRビッグバンドの指揮をすることでデンマークに還元しようとしたんです。他にもベン・ウェブスターデクスター・ゴードンケニー・ドリューオスカー・ペティフォードがデンマークに住み着いていたんです。今やその人たちの名前がついた通りの名前があって、コペンハーゲンにはサド・ジョーンズ通りやベン・ウェブスター通りがあるんですよ。」
※Rolling Stone Japan”挾間美帆、世界的ビッグバンドを指揮するジャズ作曲家のリーダーシップ論"より

デンマークにはヤズフス・モンマルトルがあったこと、そして、優れたジャズ・ミュージシャンが少なくなかったことで、演奏する機会がコンスタントに得られる場所だったこともあり、彼らにとってヨーロッパの中でも特別な場所となったと言えます。デクスター・ゴードンは1962年から1976年までコペンハーゲンに、ベン・ウェブスターは1964年から1973年までコペンハーゲンとアムステルダムに、ケニー・ドリューは1964年から、エド・シグペンは1974年からコペンハーゲンを拠点にヨーロッパで活動していました。

デンマークはビバップ~ハードバップ期のアメリカの巨匠たちとの関係が深い土地だった、と言えると思います。そういった状況を最大限に活用したレーベルがステープルチェイスです。

[Label] SteepleChase records

1972年に設立されてから、ヤズフユ・モンマルトルでのライブ録音を中心に多くのレコードをリリースして人気レーベルになりました。レーベルの1作目はジャッキー・マクリーン『Live at Montmaertre』(1972)

デンマークにきていたジャッキー・マクリーンデクスター・ゴードンケニー・ドリュージョニー・グリフィンベン・ウェブスターなどのアフリカン・アメリカンの巨匠たちの円熟の演奏を数多く残した功績は大きく、傑作も多数。ジャズファンにとってデンマークといえば真っ先に浮かぶであろうデューク・ジョーダン『Flight to Denmark』もステープルチェイスです。

そこに貢献したのがニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセンであり、アレックス・リールです。アレックス・リールはヨーロッパ・ツアー中のビル・エヴァンスにも気に入られて何度か共演したとか。レコードこそないものの以下のような共演動画が残っています。

彼らの後にもボ・スティーフ(Bo Stief)イェスパー・ルンゴー(Jesper Lundgaard)マッズ・ヴィンディングス(Mads Vinding)らのベーシストがつふぃ次に頭角を現し、ドラマーではアメリカから移住してきたエド・シグペンがアレックス・リールと共に活躍し、Steeplechaseの録音に貢献しました。アメリカの巨匠たちがデンマークで傑作を作ることができた理由には、クオリティの高いリズムセクションがいたから、というのは確実にあると思います。

ペデルセンとケニー・ドリューのデュオなどもデンマークならではの名作ですね。

Steeplechaseに関しては、1978年にBent Axen『Axen』をリリースし、1996年には同作をCD化したことでデンマーク・モダンジャズ黎明期のDebut records音源を入手しやすくしたことや、そこにヨルゲン・フリガードによる歴史と文脈を整理するようなライナーノーツを付けたことも功績として語っておきたいところ。これによりヨーロッパの中でもデンマーク・ジャズだけが歴史を把握しやすく、それが再評価を促し、加速させたと思います。そういう意味でもSteeplechaseはデンマークにおける最重要レーベルと断言できると思います。

そして、80年代以降にはもうひとつのレーベルがデンマークのジャズシーンを盛り上げます。それがストーリーヴィルです。

[Label] StoryVille records

1950年代に設立され、ジャズというよりはブルースを多数リリースで、ジャズに関してはニューオーリンズ・ジャズなどトラッド系が中心でしたが、1980年代以降はヨーロッパ滞在中のアメリカのミュージシャンを多数録音するように。トミー・フラナガンデューク・ジョーダンズート・シムズジェイ・マクシャンバディ・テイトジョニー・グリフィンアール・ハインズらの円熟の演奏を残しています。ここでも地元のミュージシャンが巨匠たちと共演しています。

Storyvilleのおすすめといえば、アメリカからヨーロッパに渡り、デンマークに移住したアーニー・ウィルキンスが結成していたErnie Wilkins And The Almost Big Bandの録音。これもデンマーク・ジャズ史の重要な1ページ。

上記のSteeplechase、Storyville、Debutがどれもヤズユフ・モンマルトルでのライブ録音をリリースしていたことを考えるとこのライブハウスの偉大さに驚きます。ロンドンのロニー・スコッツと並ぶかそれ以上に重要なヨーロッパのジャズ・スポットだったと言えるかもしれません。ダラー・ブランド『African Piano』もここでの録音だったり、デンマークのジャズに止まらず世界のジャズ史における重要作も少なくないライブハウスです。

そして、こういった場所があり、アメリカの巨匠たちと日々演奏する機会があったことが、オーセンティックなジャズが根付いているデンマークのジャズ・シーンの特徴になっている気がします。そのような下地がシーンにあるからこそ、DRビッグバンドがサド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラのサウンドを受け継ぐような活動ができているのかもしれません。

ちなみにサド・ジョーンズが首席指揮者だった1978年のDRBB『Danish Radio Big Band And Thad Jones – By Jones, I Think We've Got It』にはペデルセンベント・イェーディッグアラン・ボッチンスキーが参加していますし、イェスパー・ルンゴーもDRBBのメンバーでした。DRBBの首席指揮者だったこともあるオーレ・コク・ハンセン(Ole Kock Hansen)はピアニストとして、SteeplechaseやStoryvilleでベン・ウェブスターを支えた名手でした。デンマークのジャズの歴史はDRBBとも深く繋がっている気がします。

挾間美帆が「ヴァンガード・オーケストラみたいな(スウィンギーな)ソロをとれる人はDRBBにはいっぱいいる」と語ってましたが、その背景にはデンマーク・ジャズの歴史的な経緯があるのかもしれません。

アメリカのミュージシャンとデンマークのミュージシャンの共演音源を集めたプレイリストを作りました。興味ある方は聴いてみてください。

◉クラブ・シーンからのダニッシュ・ジャズへの再評価

1993年にジャイルス・ピーターソンがドイツMPSレーベルを集めた『Various - Talkin' Jazz (Themes From The Black Forest) 』あたりから、クラブ・シーンでヨーロッパのジャズへも注目が集まりはじめます。このシリーズは評判を呼び、『Talkin' Jazz Volume 2 (More Themes From The Black Forest) 』(1994)、『Talkin Jazz Vol [III] 』(1997)と続編もリリースされます。

その流れからイタリアのニコラ・コンテやドイツのジャザノヴァら周辺により、ヨーロッパのジャズの発掘が更にディープに進みます。西ドイツ・ジャズの『Various – Formation 60 "Modern Jazz From Eastern Germany · Amiga 1957–69"』(1998)、ポーランド・ジャズの『Various – Polish Jazz "Modern Jazz From Poland 1963-75" 』(1999)などの旧共産圏のジャズを発掘したジャザノヴァ、イタリアン・ジャズをまとめたジェラルド・フリジーナの『Various ‎– Rearward In Italy / A Selection Of Rare Italian Jazz Tunes』(2000)がその代表例かなと。ジャイルスもその流れで、2002年にイギリスのジャズを集めた『Various ‎– Impressed With Gilles Peterson』をリリースしました。

そう言ったトレンドの中でデンマークのジャズも注目を集め、様々なコンピレーションがリリースされました。

◎Various – Danish Drive (The Finest Collection Of Danish Jazz) 1997
◎Various – Copenhagen-Rio Non Stop

デンマークのレーベルMusic Meccaが1997年と2000年にリリース。
1997年のリリースってどこよりも早く、デンマークのレーベルが自身の国のジャズをプッシュしていたのは興味深いです。ジャズロックやジャズファンクっぽい曲も多いので、デンマーク・レアグルーヴって感じもあります。デンマーク産ブラジル音楽のコンピレーションを出しているのも90年代のクラブシーンのブラジリアンのトレンドの文脈を感じます。

◎Various – Copenhagen Dancefloor Classics
◎Various ‎– Copenhagen Dancefloor Classics II

2000年と2002年にデンマークのMurena Recordsがリリース。
DJ向けの選曲で、ジャズに限らずポップスやロックも含めてなので、ダニッシュ・レアグルーヴという感じでしょうか。これもデンマークのレーベルなんですよね。

ちなみに『Copenhagen-Rio Non Stop』『Copenhagen Dancefloor Classics』にはクラブジャズやサバービア系にも人気のデンマークのヴォーカリストのビアギッテ・ルゥストゥエア『Birgit Lystager』が収録されています。実はこのアルバムはボッチンスキー、ペデルセン、ロスヴォルド、マッズ・ヴィンディング、レイ・ピッツ、オーレ・コク・ハンセンなどの重要人物勢ぞろい。ブラジリアンやソフトロックの文脈で人気ですが、ダニッシュ・ジャズ的にも聴ける傑作です。

◎Various ‎– On The Spot - A Peek At The 1960's Nordic Jazz Scene
◎Various – On The Spot Vol. 2 - A Peek At The 60s Danish Jazz Scene

2006年と2008年にフィンランドの Ricky-Tick Recordsがリリース。
ファイブ・コーナーズ・クインテットでお馴染みのフィンランドのクラブジャズ系レーベルによるコンピレーションでスウェーデン、フィンランド、ノルウェー、デンマークの北欧4国のコンピレーションを第一弾としてリリースした後の第二弾はダニッシュ・ジャズ。ファイブ・コーナーズ・クインテットやニコラ・コンテに合いそうなジャズ・クインテット60周辺のハードバップやモードジャズが収録されてます。ちなみに本国フィンランドのジャズを集めたコンピレーションは2008年に『Various – Ricky-Tick Records Presents Love Jazz 66-77』としてリリースされてます。

スウェーデンのユニットのKoopが2001年作『Waltz for Koop』でサヒブ・シハブに捧げた「Soul For Sahib」をやっていたり、イタリアのジェラルド・フリジーナが2006年作『The Latin Kick』でサヒブからのインスピレーションで作った「Latin Seeds」をやってたり、ジェラルド・フリジーナのレーベルのSchemaから2004年にリリースされたPaolo Fedreghini & Marco Bianchi『Several People』にもサヒブのカヴァー「Please Don't Leave」が収録されたり、00年代にはヨーロッパのクラブジャズ・シーンではサヒブ・シハブ再評価のブームが起きていました。Ricky-Tick Recordsからのデンマークのジャズへの関心はその流れだったと思われます。

◎澤野工房
日本にデンマークのジャズを広めた功績という意味では澤野工房は外せないかと。そもそも澤野によるヨーロッパのレアなレコードのCD化で日本にもヨーロッパ・ジャズ・ブームが起きて、その中でリリースした2002年のサヒブ・シハブ『Sahib Shihab And The Danish Radio Jazz Group』のインパクト大きかったと思います。その後も、2007年のジャズ・クインテット60『Jazz Quintet -60』、2009年のビヨルネ・ロストヴォルド『Bjarne Rostvold Quartet & Trio ‎– Jazz Journey』をリイシューしてます。

澤野が独自に進めたヨーロッパのレコードのCD化は上記のクラブジャズ・シーンでのヨーロッパジャズ再評価と結びつきながら日本でかなり盛り上がりました。その澤野とクラブジャズを結び付けていたのがサヒブ・シハブのデンマーク録音だった、と言えるかもしれません。

◉デンマークのジャズ・ミュージシャン

上記の文脈で説明しきれなかったデンマーク・ジャズの重要人物&おすすめをここで紹介します。

◎ジョン・チカイ(John Tchicai)

New York Art QuartetNew York Contemporary Fiveジョン・コルトレーン『Ascension』アルバート・アイラー『New York Eye and Ear Control』などで知られるフリージャズのサックス奏者ジョン・チカイはデンマーク出身。と知ると、デンマーク録音のフリージャズが少なくないのもしっくりくるかと。StoryvilleやSteeplechaseもしっかりジョン・チカイをリリースしています。『Real Tchicai』はペデルセンと一緒にやってる珍しい録音。

◎パレ・ミッケルボルグ(Palle Mikkelborg)

マイルス・デイヴィス『Aura』のプロデュースでも知られるヨーロッパを代表するトランぺッター。ジョージ・ラッセル『The Essence Of George Russell』ジョルジュ・グルンツ『The George Gruntz Concert Jazz Band - GG-CJB』、ピーター・ヘルボルツハイマー『Rhythm Combination & Brass*, Peter Herbolzheimer - Wide Open』などのヨーロッパ屈指のグループに参加したり、ECMにも録音多数。ECMだとゲイリー・ピーコック『Guamba』がおすすめ。

ちなみに『Aura』はDRBBのコアメンバーを中心としたバンドにデンマークの腕利きを集めたデンマーク・オールスター的なグループが演奏しています。ペデルセントーマス・クラウセンマリリン・マズールイェスパー・シロベント・イェーディッグらをパレが取りまとめ、そこにジョン・マクラフリンやヴィンス・ウィルバーンらのマイルスと近いミュージシャンが加わると言った座組。現在もDRBBで演奏しているヴィンセント・ニルソンの名前もあります。

◎イェスパー・シロ(Jesper Thilo)

デンマークの70-80年代を代表するサックス奏者。Storyvilleなどの録音でアメリカのジャズ・ミュージシャンとの共演作も多数。1966年から1989年まで在籍したDRビッグバンドや、アーニー・ウィルキンスのオールモースト・ビッグバンドなど、デンマークのビッグバンド・サウンドに多大な貢献をしたことでも知られています。

◎マリリン・マズール(Marilyn Mazur)

晩年のマイルス・デイヴィスの録音や、ヤン・ガルバレクとの共演などのECMへの録音で知られるヨーロッパを代表するパーカッション奏者。

◎クリス・ミン・ド―キー(Chris MInh Doky)

80年代末にピアニストのニルス・ラン・ドーキーと共にシーンに登場し、世界的に活躍しているベーシスト。2000年代末からデンマークで自身のレーベル Red Dot Musicを運営。シーネ・エイやDRBBなどの作品を数多くリリースしていて、2010年代のデンマークのジャズシーンの重要なレーベルになっている。クリスとの共演経験や交流のあるランディ・ブレッカーマイク・スターンリチャード・ボナクリス・ポッターヴィンス・メンドーサなどとDRBBのコラボ・アルバムをリリースしているという意味で、首席指揮者不在期のDRBB史的にも重要です。

◎平林牧子(Makiko Hirabayashi)

平林牧子は日本生まれですが、デンマークへと渡って活動しているジャズ・ピアニスト。デンマークのシーンに根を下ろし、マリリン・マズールとも活動していて、お互いの作品にも参加し合っています。自身の作品はドイツのEnjaやデンマークのStuntsからリリースしています。

◎ヤコブ・ブロ(Jakob Bro)

晩年のポール・モチアンリー・コニッツとの共演で知られるギタリスト。ジャズだけでなくロックやエレクトロニカ的なサウンドも取り入れる個性派。ECMへの録音が増えていて、『Returnings』ではデンマークの先輩パレ・ミッケルボルグと共演。パレや『Aura』的なサウンドを引き継ぎつつ、現代的なセンスで先に進めているのはヤコブ・ブロかもしれない。

◎ガールズ・イン・エアポーツ(Girls in Airports)

ジャズとエレクトロニック・ミュージックの融合的なサウンドはヨーロッパでも多数聴かれますが、その中でも特に素晴らしいのがこのデンマークのグループ。UKのEdition recordsからリリースされていたので知りました。エレクトロニック・ミュージックだけでなはなく、インド音楽も入ってれば、フリージャズも入っている、といった具合で、しかも、それがECM的なシリアスなサウンドにはならずに終始フレンドリー。

◎フローネシス(Phronesis)

デンマーク人のベーシストのジャスパー・ホイビーと、イギリス人のピアニストのイヴォ・ニーマ、ノルウェー人のドラマーのアントン・イーガーのトリオ。
スウェーデンのエスビョルン・スヴェンソン・トリオ=E.S.T.が残したものを引き継ぐようなトリオであり、アメリカのマーク・ジュリアナとも共振するようなエレクトロニック・ミュージック的な要素も感じさせるハイブリッドなセンスを持つヨーロッパでもっとも面白いトリオ。ほとんどの作品を挾間美帆『Imaginary Visions』と同じUKのEdition Recordsがリリースしています。

[Label] Stunts

現代だとStuntsがデンマークのレーベル。ここはヨーロッパを代表するレーベルのひとつで、ストレートアヘッドからコンテンポラリー、ハイブリッドなサウンドまでと言った感じで、ACT辺りと通じるヨーロッパらしい多様性を発信しています。

日本でも人気なのはピーター・ローゼンダールアレックス・リールトーマス・クラウセンインゲル・マリエ・グンナシェンシーナ・エイあたりでしょうか。

と言った感じで、デンマーク・ジャズの文脈を知ったうえで、挾間美帆が首席指揮者を務めているDRビッグバンドを聴くと、更に楽しめるかと思います。

さらに掘りたい方はSpotifyで”Danish Jazz”で入れると、以下のようなプレイリストがいくつか出てきます。それらにいろいろ入ってますので、ぜひチェックしてみてください。

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