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Interview Aubrey Johnson:噓をつかず、自分らしくジョニ・ミッチェルやビリー・アイリッシュをカヴァーする方法

僕はオーブリー・ジョンソンというヴォーカリストのことはパット・メセニー・グループの名ピアニストのライル・メイズが総合プロデュースしたアルバムで2020年にデビューしているジャズ・ヴォーカリストということで知った。

ポップさと現代ジャズ的な作編曲の面白さ、そして、カヴァー曲のセンスの良さが合いまった良作で、選曲をする時に何度もここから選んだりしていた。なにせエグベルト・ジスモンチ「Karate」エドゥ・ロボ「Beatriz」といった捻りのある選曲のブラジル音楽から、ビル・エヴァンスの名演で知られる佳曲にノーマ・ウィンストンが詞を付けた「The Peacocks」、そして、極めつけはラヴ・スピークスによるニューウェイブの隠れた名曲「No More 'I Love You's」と選曲が最高で、その上、オリジナル曲も良い。プレイリスト選曲には便利過ぎる良作だった。

そこからなんとなく気になっている存在だったのだが、その後、各所で彼女の参加作を聴いて、どんどん関心が増していた。

例えば、ビリー・チャイルズ『Acceptance』という素晴らしいアルバムを作った時にオーブリーを起用していて「おっ!」となったし、

ライル・メイズの遺作となった『Eberhard』での歌も素晴らしかった

Andrew Rathbun Large Ensemble『Atwood Suites』のようなラージアンサンブルでの器楽的なヴォイスも良かったし、Pedro Melo Alves『In Igma』のようなゴリゴリのインプロでもハマると。すごいヴォーカリストだなと思っていた。

そんな彼女がNYのサニーサイド・レコーズからピアニストのランディ・イングラムとのデュオで『Play Favorites』を2022年11月にリリースした。

ブラジル音楽はジョビントニーニョ・オルタだけでなく、ソニー・ロリンズ『What’s New』でジャズ・ボッサ・アレンジで演奏していた「If Ever I Will Leave You」をやるなど、今回も絶妙。それ以外にもビリー・アイリッシュジミー・ウェブジョニ・ミッチェルを取り上げていたり、たまらない選曲になっている。それはジャズ寄りの曲にも言えて、レニー・トリスターノ版「I’llRemember April」ともいえる「April」など、こちらも捻りが効きまくり。

やっぱりこのオーブリー・ジョンソンって人は最高だと思い、来日もあるようなのでということでインタビューをしました。

そもそもライル・メイズの姪って時点で、幼少期から面白いエピソードがあって、タダモノでないのも面白かったです。

◉取材・編集:柳樂光隆 ◉通訳:染谷和美 ◉協力:COREPORT

◎ウエストミシガン大学とニューイングランド音楽院

――ウエストミシガン大学ではどんなことを学んでいたのか聞かせてもらえますか?

専攻はジャズ・スタディーズで、特に集中して勉強していたのはジャズ・ヴォイスですね。

大学時代のメインのアンサンブルのディレクターはスティーブ・ジグリー(Steve Zegree)でした。彼の影響はとても大きいと思います。彼のアンサンブルでは16声のクワイアでスタンダードを歌うんですけど、それはこれまで私がやってきた何よりも要求が高いものでした。この経験はその後の私のキャリアへの準備になるような重要なものだったと思います。

もう一人お世話になったのがフレッド・ハーシュ(Fred Hersch)。彼はインストラクターだったんだけど、私がニュー・イングランド・コンサバトリーに行くための足掛かりを作ってくれました。彼のおかげでセッションやライブでの経験を積むことができたし、レコーディングにも招いてもらうことができた。ひとつはヴォーカル・アンサンブル、もうひとつはローカル・ピアニストの録音の二度のレコーディングに参加できてたんですけど、それを学生の間に経験できたことはクールなことでした。フレッドのおかげで、偉大なドラマーのジミー・コブのセッションに呼ばれたこともありましたからね。

――フレッドはどんな先生でしたか?

私を指導してくれていたのは私の最初の学年の時で、私自身ジャズの経験が浅かったから、彼から学んだのは基本的なことが多かった。でも、「この曲はもっと盛り上げてもいいんだよ、ハイになっていいんだ。曲が落ち着いているからって、君自身の歌も下がる必要はない」とか、そういった歌い方の解釈だったり、歌詞の解釈だったり、そういったことをヴォーカリスト並みに理解して教えてくれる人だったのは覚えていますね。

――そのあと、ニューイングランド・コンサバトリーに入学します。ここでの話も聞かせてもらえますか?

フレッド・ハーシュがニューイングランドに進学することを勧めてくれたんです。私としてはシンガーになりたいと漠然と思っていたけど、卒業してからのことは決めていなかった。そんな時にフレッドがボストンのニューイングランドに行きなさいと勧めてくれた。私はふさわしい実力があるのかどうかはわからないと思っていたけど、フレッドはとりあえず行きなさいと背中を押してくれたんです。結果的に入学することができました。

ニューイングランドではヴォーカリストのドミニク・イーデ(Dominique Eade)がメンターでした。その時の私にとって必要だったアーティストとしての自分を開拓するうえで、歌うだけじゃなくて、作編曲も自分でやるとか、更にはもう少しエクスペリメンタルなことにも挑戦するとか、そういう様々な道筋を示してくれたのがドミニクでした。

彼女はそばにいるだけで勉強になる人でした。彼女は自らもアーティストだったので、ただ教えるだけじゃなかったんですね。自らもアーティスト・ライフを送っていて、自分自身のアートと教えるってことが一体化していました。私も今や大学で教える立場でもあるので、彼女のようにありたいなって思っています。彼女のやり方、アーティストとしての音楽的な進化、そして、彼女自身が自身の活動をすごく楽んでいて、学生を教える場にいながらも、自分自身も刺激を受けてるのが伝わってきたこともすごく良かったと思います。私にとってはアーティストとしてもシンガーとしても尊敬できる憧れの対象ができたってことは大きいと思っています。もちろん即興の方法やコード・プログレッション、コンポジションのコンセプトなど、具体的なことも教わったんですけど、基本的には彼女を見ていて、そのエネルギーを感じながら、彼女の考え方に触れながら過ごせたことが大きかったと思います。

他にはJerry BergonziGeorge Gazoneと言った先生にも指導を受けたり、あとは、Jerry Leakeってインドやアフリカの音楽をやっている打楽器の先生がいて、彼からインドやアフリカのリズムを教えてもらったりもしました。そういったことが私の世界を広げてくれたと思います。

◎器楽的な歌唱の原点とパット・メセニーがいつも流れていた家

――あなたは楽器のように歌うことも多いヴォーカリストだと思いますが、そういうことをやりたいと思うようになったのはいつごろですか?

私は4、5歳の頃から歌うのが大好きで、それを見た両親がすぐに私の歌の才能を見出してくれたんです。7歳の頃からピアノのレッスンを始めたんですけど、何かを弾くと必ずそれに合わせて勝手に歌を乗せてしまう癖があって、それに先生が驚いていました。自分としては変わったことだとは思っていなかったんですけどね。そこからピアノのレッスンのレベルが上がっていって、バッハの「フーガ」とかを弾くようになってからも、それに合わせて勝手に歌を乗せている自分がいました。自分にとっては楽しいチャレンジだと思って、ずっとやっていたんですよ。

――まさかの子供のころからやっていたと。

90年代はホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオン、更にはブリトニー・スピアーズに至るまで、ポップ・アーティストも聴いていたから、歌に関してはそこからの影響も受けているとは思いますけどね。

あと、私はパット・メセニー・グループのピアニストのライル・メイズの姪なので、彼らの音楽を家族がいつも家で流していました。だから「歌詞のない歌」がある音楽を当たり前に聴いていました。そこに私が勝手に歌を乗せていたので、その影響はあると思います。それにライル・メイズパット・メセニーだけじゃなくて、ブラジル音楽もよく流れていて、そういう様々な音楽に触れられる環境だったのも大きかったと思います。なので、私の場合はジャズ・スタンダードはその後になって出会ったもの。ジャズヴォイス・レッスンは高校の終わりくらいから受けていたので、その流れで大学でもジャズヴォイスを学んだって感じですね。

――器楽的な歌からオーセンティックなジャズ・ヴォーカルへ。逆ですね笑

ちなみに大学時代にオペラを2年間やらされたんですよ。オペラが必修で、それが終わった後に正式にジャズのコースに進んでいくって流れでした。そのオペラをやっている間に自分の能力が開発された気がしています。テクニックの基礎的な部分が開発されたので、例えば、こんなに高いところまで声が出せるとか、こんなに大きな声も出せるとか、自分の声の可能性に気が付けたのは重要だったなと思います。

――さっき、自宅でパット・メセニー・グループを聴きながら歌っていたと言ってましたが、ということはペドロ・アスナールのマネとかしていたってことですよね?

そうですそうです。私にとってはそういう音楽を聴くことは呼吸するようなものだったと思います。そういう音楽を聴きながら全員で口ずさんでいたような家族だったので。ペドロ・アスナール(Pedro Aznar)デヴィッド・ブラマイヤーズ(David Blamires)、そして、ナナ・ヴァスコンセロス(Nana Vasconcelos)も。そういった人たちの歌を日常的に真似ていましたね。

そういえば、90年代にライル・メイズがNOA(Achinoam Nini)というシンガーをプロデュースしたことがあったのを覚えていますか?私たちはそういうものも聴いていました。今でこそ、彼女は広く知られているかもしれないけど、当時は無名のシンガーだったんですよ。でも、叔父のおかげですごく早くから彼女の作品を聴かせてもらっていたから、私は彼女そっくりに歌えるようになっていました。そういう特殊な状況ではありましたね。あ!あと、影響は受けたのはボビー・マクファーリンですね。彼は重要です。

◎ボビー・マクファーリンからの影響

――ボビー・マクファーリンと言えば、あなたは彼の『VOCAbuLaries』にも参加していますね。

まだ在学中だったと思うけど、これは私がやった最初のレコーディング仕事のひとつ。ウエスト・ミシガン大時代の先生Steve Zegreeの紹介でアレンジェーから声がかかったんです。どうやらボビーが8年がかりで作っていたアルバムで、そこの2曲にソプラノ・パートを入れてほしいってオファーだった。あれはひとりでNYに行った初めての旅行だったと思う。バスで行って、チャイナタウンに降りて、ここどこなんだろって感じで、そこからサブウェイに乗ってプロデューサーのRoger Treeceのスタジオに行って、そこで録音をしました。その2曲はすごく評価してもらえたので、すごくいい経験だったとと思います。

そのレコーディングではボビー・マクファーリンには会えなくて残念だったんですけど、私は彼からものすごく大きな影響を受けています。きっかけは「Spain」が収録されているBobby McFerrin & Chick Corea『Play』を聴いたこと。大学2年の頃だったと思うんですけど、それまで彼のスタジオ盤は聴いたことがありました。でも、ライブ盤を聴いて「これって実際に出来るんだ…」って思って。だったら、私もこれをやらなきゃって思って、その日から一生懸命取り組んだのを覚えています。ボビー・マクファーリンが人間の声でなんだってできることを証明してしまった。証明されたら自分もやってみるしかないじゃないですか?だからほんとうにインスピレーションを受けました。声のレンジもそうだし、離れた音域をヒュイって移動して飛躍して異なることをやっちゃう様とか、あらゆる意味で刺激を受けています。

――やっぱりそうなんですね。僕はあなたのデビューアルバム『Unraveled』に収録されている日本語で歌っている「Voice Is Magic」って曲を聞いたときに、あなたはきっとボビー・マクファーリンのことが好きなのかなって思いました。

私自身は意識していなかったんですけど、この曲にはストーリーがあるんですよね。ヴァイオリン奏者の大村朋子がワールドフォークバンドってグループをやっていて、学生の頃、そのオーディションに行ったんです。その時に声でアクロバティックなことをやったら、朋子が「ボビー・マクファーリンみたい。あなたボビー・マクファーリン好きでしょ?」って声をかけてくれて、「もちろん」って感じで盛り上がって、そこから一緒にやるようになって、女性二人のインプロ企画をやったりするような仲になった。そこから13年間の友人。この曲は朋子が書いた曲なんですけど、私から日本語で書いてほしいとも言ってないし、こういう曲にしてほしいって言ったわけでもないのに、あれが出来上がってきたってことは、朋子が私について知っていることを全てあの曲に詰め込んでくれた結果だと思う。だから、そこにボビー・マクファーリンを感じてもらえるのすごくうれしいです。

――へぇ!!あなたが日本語で歌いたいって言ったわけじゃないんですね。

朋子に教えてもらいながら日本で歌いました。彼女は私がいろんな言葉で歌いたいって思っているのを知っていたから、こういう曲を書いたんだと思いますよ。

◎デビュー・アルバム『Unraveled』のこと

――では、改めてアルバムに戻って、『Unraveled』のコンセプトを聞かせてもらえますか?

実は結構時間がかかっているアルバムなんです。大学を卒業してからいろんな仕事をするようになって、次のステップは自分のアルバムを作ることだって真剣に考えるようになって、2010年ごろから少しずつ進めていたんだけど、そのたびに叔父からダメ出しが出て(笑) 私にとってもメンターである叔父から「これはまだ準備ができてないね」って。自分の周りで最もクレバーで、しかも、グラミー賞もたくさん取っている人にそう言われたら、しょうがないですよね。

――たしかに。

じゃ、もう少し時間をかけてやろうって思って。NYに引っ越して、バンドを初めて、色んなセッションをやったんですけど、数多くライブをこなすようになるのはNYでは大変なんですよね。ヴェニューも集客力を求めているので、新しい人が新しいことにトライするのはあまり許されない。そんな状況の中でCornelia Street Caféとかで歌ったりして経験を積んで、チャンスを見てはトライしながら、レコーディングもして、叔父に聴かせて、ってのを繰り返していました。新しいアレンジ、新しいコンポジションを試しながら、ようやくここまでたどり着いたって感じのアルバムです。

――いろんなタイプの曲が入っている中で、アニー・レノックス(Annie Lennox)がヒットさせた「No More 'I Love You's」のカヴァーが収録されているのが面白いです。ちなみに僕はオリジナルのラヴ・スピークス(Love Speaks)のバージョンが好きなんですが。

実は私もオリジナルのバージョンにインスパイアされたんです。今も私をずっとインスパイアしてくれているグレッチェン・パーラトベッカ・スティーブンスのことは当時から好きで、彼女たちが80-90年代の曲をカヴァーしているのを聴いて、かっこいいなって思ってて、私なりに昔のフィールグッドな曲をやれないかなって思っていたら、アニー・レノックスが歌った「No More 'I Love You's」の美しいラインに出会った。そこからリサーチしていたら、ラヴ・スピークスのオリジナルがあるって知って、聴いてみたらすぐに気に入ったから、オリジナル・バージョンを研究して、採譜もして分析してみたら、これは絶対私が歌わなきゃって。メロディーももちろんいいんだけど、ベースラインも素敵だったからそこを自分なりに解釈して、出来たのがこのバージョンですね。

――タイトル曲の「Unraveled」もポップで、それでいてジャズ・ミュージシャンが書く複雑さやマニアックさもあってすごく好きなんですけど、この曲についても聞いていいですか?

あの曲は鬱に悩まされていた時期に書いた曲。でも、それがポップな感じになったのは意識して書いたわけじゃないんですよね。いつも曲を書くときはジャンルとか、どんなサウンドとかそういうのを意識せずに書くので。いつもクールなメロディが浮かんだら歌詞も一緒に降りてくるので、この曲の冒頭の部分も何かのインプロをやっていた時にふっと降りてきたもの。でも、グルーヴはドラマーに考えてもらったもの。通常は自分でグルーヴを考えて、それを本職のドラマーに仕上げてもらうことが多いんだけど、この曲では自分では何も浮かばなくて、任せちゃったんだけど、それがこの曲の原動力になっているように思います。歌詞の内容的には落ち込んだ時の曲なんだけど、そこで終わらずにそこから癒されて行くところまでを書きたくて、悩んだ中で真実を見つけて、そこから抜け出すにはどうしたらいいかがわかってベターになっていく、そういう流れの歌詞になっていると思います。

――『Unraveled』もそうですし、次の『Play Favorites』もそうなんですけど、ジョビンエドゥ・ロボトニーニョ・オルタエグベルト・ジスモンチなどのカヴァーが収録されていて、ブラジル音楽がかなり多いですよね。

高校時代、私が15歳くらいの時から教わっているヴォイスとピアノの先生がポルトガル語を教えてくれて、ポルトガル語の発音やメロディへの乗せ方などを指導してくれたんです。これはすごくラッキーなことでウィスコンシンの小さな街にいながら、若いころからポルトガル語に触れることができたことで、私の人生の半分くらいでポルトガル語に親しむことになった。だからポルトガル語で歌うことに対して、ずっと抵抗がないし、私はブラジル音楽のハーモニーやメロディの動きに惹かれているので、自分のバンドでも取り上げるし、私と同じようにブラジル音楽が好きなランディとのデュオでも取り上げています。だから、ブラジルの曲を取り上げることは私にとってすごく自然なことなんですよ。

◎2nd アルバム『Play Favorites』のこと

――2022年11月には『Play Favorites』がリリースされます。ここではビリー・アイリッシュ「My Future」を取り上げています。原曲も素敵な曲だし、ここでのカヴァーもすごくいいアレンジだし、歌唱も最高なんですが、この曲についても聞かせてください。

ポップソングをジャズの人が取り上げることは珍しいことではないけど、私たちはそれをモダンで今に通じるアレンジで作りたいなと思っています。この曲はバークリーに通っている友人が聴かせてくれて知ったんです。メロディもハーモニーも歌詞もメッセージも素晴らしいんですよね。彼女は誰かと付き合ったりする際に何よりも自分を大切にするべきってことを歌っている。その内容にもすごく惹かれました。アレンジに関してはランディがやっていて、彼がハーモニーを組み直して、終わりの部分のリピートのアイデアも書いてくれています。この曲はランディのおかげですね。

――ビリー・アイリッシュってささやくような、それでいてちょっと暗い感じの独特な歌い方なんですけど、あなたはこの曲をどう歌おうと思いましたか?

ビリーってコピーしないでいることの方が難しいっていうか、逆にコピーすることが楽しくなるような声の持ち主だと思うんですよ。それに私の声もどちらかというとライトな方なので、ああいう風に歌うのは難しいことではなかったです。だから、むしろ自分らしさをどこで出すかが課題で、私は歌詞の解釈に重きを置きました。この曲ではあまり暗さでは無くて、むしろわくわく感がある部分や、セルフ・エンパワーメント的な部分にフォーカスして歌いたいと思いました。あの曲は誰かに語りかけて諭すように歌っているとも聴こえますけど、語りかけている相手は自分自身だと思うんです。相手が自分を大事にしてくれないなら、もうさようならって感じで、上手くいかない関係なら、自分から去っていくことが許されるんだよってことを伝えてくれている曲。私も自分の経験に照らし合わせて共感することがあったので、それを伝えようと思って歌いましたね。

◎ライル・メイズの名曲をカヴァーすること

――では、次はライル・メイズの名曲「Close To Home」をポルトガル語にした「Quem é Você」について聞かせてください。

今回のレコーディングで最も難しかった曲です。まず、テクニカルな意味で歌うのが難しかった。そして、感情的な意味では叔父のライルが2020年に亡くなっているのでそれを思い出してしまうということもあった。ランディにとってもアイコニックなピアニストのアイコニックなピアノの曲を弾くってことで、似すぎてもいけないし、同時にオマージュも捧げたいって意味で難しかったみたいです。だから、2人ともすごく慎重になった曲でした。この曲を選んだのはライルがいなくなった今、彼のレガシーを次に伝えていく責任は私にもあるかなと思ったことがひとつ。家族だったこともあるんだけど、彼の音楽家としての立場みたいなものを引き継いでいくこともやりたいと思った。カヴァーするのがすごく難しい曲ではあったけど、私はライルへのラブレターみたいな気持ちで歌いました。

――確かにいろんな意味でハードルが高いですよね。

ポルトガル語の歌詞に関してはライルが亡くなるまで歌詞があることを私は知らなかったんです。というか、そもそもあまり知られていないと思います。でも、ライルの熱心なファンがやっているファンページにこの曲の情報が詳しく載っていて、そこにミルトン・ナシメントが過去に歌っていて、みたいなことが書いてあったので、歌詞があるなら歌いたいって思いました。歌詞はポルトガル語なので、これなら私ならではの独自性を発揮できると思ったのもあります。

――ミルトン・ナシメントのバージョンへのオマージュみたいな気持ちもあるんでしょうか?

最初はミルトンみたいに歌おうかなとも思ったんですけど、それだと私らしい解釈を織り込むのは難しいなと思ったので、そこで参照したのはライルが92年ごろにやっていたライブ音源。メロディやテンポだけじゃなくて、醸し出されるヴァイブスにも惹かれて、私が参照するならこっちだなって思って、そのバージョンを参照しながら歌を作っていきました。

――あと、面白いのがアントニオ・カルロス・ジョビン「Olha Maria」ジミー・ウェッブ「Didn't We」とメドレーはみたいに接続されています。このアイデアについても聞かせてもらえますか?

『Play Favorites』では私とランディがそれぞれ半々で曲を選んでいます。「Didn't We」は私が選んだ曲。サラ・ヴォ―ンのライブバージョンを聴いて歌いたいと思いました。「Olha Maria」はランディの提案。この2曲は似ているんですよ。どちらも上手くいかなかった恋愛のことを歌っていて、悲劇的な展開になっていく。だったら、この2曲を繋げたらいいんじゃないかってアイデアはランディが提案してくれたもの。「Didn't We」をライブでやろうってランディに言われた時、私はライブのための練習をしてなかったので、いきなりやるのは難しいって彼に言ったんだけど、それに対してランディがまず「Olha Maria」をやって、そこからインタールード的に繋いで、「Didn't We」に行けば可能じゃないかなって提案してくれた。それでやってみたら反応も良くて、お客さんの中には泣いている人もいたり、その日の中で一番良かったって言ってくれる人もいた。そんな感じでハッピー・アクシデント的に生まれた曲ですね。

――ジョニ・ミッチェルの「Conversation」を聴くと、あなたにとってジョニが特別な存在なんだなって思います。

ソングライターで誰が一番好きって聞かれたら私は迷わずジョニの名前を出します。徐には私が知る限りの最高の天才アーティストだと思う。大学時代にジョニのことを知って、好きになって、すぐに買えるだけのCDを集めたんですよね。今回「Conversation」を選んだのは歌詞の内容が私に訴えかけるものがあったから。学生時代に正にこの歌詞のようなことがあって、この歌詞は私の実話そのものだったんです。大好きな人がいて、その人とは音楽で繋がっていて、音楽での関係が、そのまま私たち二人のプライベートの関係かと思っていたら、そうではなかった。当時、この曲を聴きながら「ジョニはわかってくれてる!」って思いながら聴いていました。ランディもジョニのことが好きなので、ジャズピアノとヴォイスの組み合わせでジョニをやるには、型にはまらず、ヒップになり過ぎず、コードを増やし過ぎず、いいアレンジに持って行くのはすごく難しかったんです。でも、最終的にはジャズらしさもありながら、興味深い部分もあって、その上でオリジナルにも忠実なバージョンを作ることができたと思っています。

――あなたはどの曲に関してもすごく丁寧に音楽も歌詞も分析して、すごく慎重にカヴァーしてますね。

音楽ってすごくパーソナルなものなんですよ。その音楽に対して噓をつかず、その上で自分らしいバージョンを作るためには必要なプロセスだと思ってやっています。

◉Aubrey Johnson & Randy Ingram Japan Tour 2022

Aubrey Johnson & Randy Ingram Japan Tour 2022

 オーブリー・ジョンソン : vocals
 ランディ・イングラム:piano

 10.15 新宿 PITINN
 10.16 岡山市 Bird
 10.17 京都市 le club jazz
 10.20 名古屋市 Mr.Kenny's
 10.21 武蔵野市 武蔵野スイングホール
 10.22 つくば市 FROG
 10.23 渋谷 Body & Soul

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