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interview Taylor Eigsti:『Daylight At Midnight』からグラミー受賞、『Plot Armor』まで

21世紀以降のジャズを振り返って、特に印象的なアルバムをリストアップしていくとしたらテイラー・アイグスティ『Daylight At Midnight』は必ず入るだろう。

ルーファス・ウェインライトニック・ドレイクエリオット・スミスイモジェン・ヒープコールドプレイミュートマスのカヴァーを含むこのアルバムにはジャズがより自由になり、どんどんハイブリッドになっていった2010年代のムードが完ぺきに収められている。ブラッド・メルドーレディオヘッドニック・ドレイクをピアノトリオのフォーマットでカヴァーした試みを起点に、よりロックやポップスの側に一歩も二歩も踏み込み、ヴォーカリストを起用し、ジャズミュージシャンによる編曲とアンサンブルにより、ジャズでもロックでもない新たな表現を提示していた。ロバート・グラスパー『In My Element』『Double Booked』でヒップホップやネオソウルに取り組んでいたその隣ではテイラー・アイグスティ『Daylight At Midnight』で別の文脈の試みを形にしていた。

彼は自身のアルバムのみならず、ピアニストとしてケンドリック・スコットエリック・ハーランドウォルター・スミスⅢグレッチェン・パーラトらの多くの傑作に貢献していた。テイラー・アイグスティは紛れもない現代ジャズ・シーンのキーマンのひとりだった。

そんなテイラーだが『Daylight At Midnight』以降、自身のアルバムをリリースしなかった。しかし、2021年、突如『Tree Falls』を発表。レーベルはGSI。メジャーからではなく、ドラマーのエリック・ハーランド、テナーサックス奏者のダニエル・ロビン、ベーシストのオースティン・ホワイトが共同運営するインディーからの再出発だった。特にプロモーションも行われず、ひっそりとしたリリースとなった。

しかし、以前から一転、全曲がテイラーの自作曲で占められ、作曲の即興演奏もより高度に、よりパワフルになった『Tree Falls』は高い評価受け、結果的にその年のグラミー賞Best Contemporary Instrumental Albumを受賞する。

そして、3年後の今年、新たなアルバム『Plot Armor』を発表した。スナーキー・パピーのマイケル・リーグが運営するGroudUP Musicへと移籍した。ベン・ウェンデルジュリアン・ラージベッカ・スティーヴンスグレッチェン・パーラトテレンス・ブランチャードらが参加し、前作の路線をさらに突き詰めたようなアルバムだ。

今回、テイラーが取材を受けてくれることになった。おそらくほぼはじめてに近い日本の取材になる。ということで、今回は彼の音楽の基本的な影響源などからスタートし、まずはテイラー・アイグスティというアーティストを知るための記事にした。

その過程で彼は『Daylight At Midnight』を自分のキャリアの中に位置付け、その後、10年以上、リリースがなかった理由を語り、『Tree Falls』と『Plot Armor』を作った意義を話してくれた。

ジュリアン・ラージらと並び子供のころから天才と称されたピアニストがグラミーを獲得し、さらに次の一歩を踏み出したストーリーは僕自身も話を聞きながら、胸に迫るものがあった。現在、テイラーは大学で次の世代の育成にも携わっている。ひとりのアーティストが成熟していき、いまでもチャレンジし続けている姿をぜひ、聴いてほしい。

取材・編集:柳樂光隆 | 通訳:染谷和美 | 協力:コアポート


◉影響を受けたピアニスト

――特に研究してきたピアニストを聞かせてください。

僕は4歳の時にピアノを弾き始めて、その時の大きな影響源は姉だった。姉はジャズとロックのピアノをやっていた人で僕が3才の時に17才で亡くなっているけど、一番最初の影響というと彼女になるね。彼女を見て音楽を続けていくことに意味があると思った。

そして僕が7歳くらいのとき、コンテンポラリー・ジャズ・ピアニストのデヴィッド・ベノワの音楽に強烈に惹かれた。実際、僕が8歳のときはハロウィンで彼になりきった。ハロウィンで彼の仮装をして、デヴィッド・ベノワの格好で学校に行った(笑)。そんなことをした子供は僕だけだった。でも僕は幸運だったよ。両親からたくさんのいい音楽を聴かされて、いい音楽をたくさん演奏してもらって育ったから。

そして10歳か11歳くらいになって、アート・テイタムオスカー・ピーターソンのような人たちと触れ合って、自分が聴くのが好きな人たちの幅を広げていき、クラシック/ロック/R&B/エレクトロニック/エクスペリメンタルなど、あらゆる音楽を愛するようになった。

そして成長するにつれもう少し様々なスタイルのピアニストを好きになっていった。フィニアス・ニューボーンJrとかね。でも、一番影響を受けたのはジーン・ハリスの音楽だね。

以下、ジーン・ハリスが在籍したグループ、スリー・サウンズの代表作

それとベニー・グリーンジェフリー・キーザーブラッド・メルドーといった人たち。その後はジェラルド・クレイトンアーロン・パークスシャイ・マエストロといった同世代の音楽家たちだ。彼らとは今はとても仲の良い友人で、時々一緒に演奏したり別のギグでお互いの代役を務めたりしている。今、多くの現役ミュージシャンたちによってピアノは様々な発展を遂げていて、そのジャイアンツたちと同じぐらい僕の周りにいる人たちからも多くのインスピレーションを得ている。

いい先生に恵まれて、多くの偉大なピアニストや素晴らしい音楽家に触れることができたのも幸運だった。そして僕はいつも、どこにいてもそういうものを少しずつ取り入れてきて全てのインスピレーションをある意味融合させることができたと思う。そして僕はいつも学生たちに「誰かの真似をして失敗したところから自分自身の音が聴こえはじめるんだよ」と言っている。自分自身も1000人ぐらい真似ようと思ってできなかったので、いつもオープンマインドとオープンイヤーを心がけ、あらゆるものから学べと言ってくれた彼らのおかげで今の自分の独自の音ができているのかな、ということをラッキーに思っているよ。

◎ジーン・ハリスからの影響

――ジーン・ハリスはどんなところが好きですか?

13歳か14歳くらいだったかな、レジェンドのレッド・ホロウェイアーネスティン・アンダーソンとよく共演していた。そして彼らとの演奏の多くでは、ジーン・ハリスのようなスタイルにチャネリングする必要があった。そして最初に自分の曲のショーをやるときは、とてもストレート・アヘッドなジャズを演奏し始めた。そういえばジーン・ハリスの実際のライブを見る幸運にはあまり恵まれなかったな。唯一接したのは野外フェスに出演したときで、僕は別のステージにいてジーン・ハリスは同じ時間に別のステージにいた。そして僕は自分のセットの間、彼のセットを聴くためにピアノを弾かないで完全に沈黙していたいと思い続けていた。僕はいつも彼の演奏を聴く機会を逃していたけれど、その時の彼の弾き方はこれまでのあらゆるピアノ奏者よりも強くスイングしていたと思う。そして、それは僕に大きなインスピレーションを与えてくれた。彼が楽器を弾くときの全体的なエネルギーという点でも、彼がほんの2、3音でも弾いたときの感触のすばらしさという点でも。

その後の僕も、様々な音楽的な状況で演奏してきているけど、場に応じてそういった影響が必要になることがよくあるんだよね。そしてハード・スウィングやブルージーなバックグラウンドを持つ人たちと一緒に演奏する場合はジーン・ハリスや、たぶん僕のお気に入りのアルバムから受けたあらゆる影響のもとで演奏するようにした。そして最近『Live at Otter Crest』を見つけて、僕の個人的なフェイバリット・アルバムになったよ。他のアルバム『Black and Blue』とかも好きだね。

そして彼は後年Paul HumphreyLuther Hughes、そしてその後にドラムのPaul Kreibichを加えたカルテットを結成した。彼のバンドには素晴らしいミュージシャンがたくさんいて、僕はそれが大好きなんだけど、もちろんレイ・ブラウンのトリオでのジーンの作品も大好きだよ。

◉影響を受けた作曲家

――次は特に研究してきたコンポーザーについて聞かせてください。

僕は南カリフォルニア大学に1年半通い、Shelly Bergに師事した。それまでは、特に多くのヴォーカリストと仕事をしたことがなかったけど、歌詞の重要性や曲の中でストーリーを語ることの重要性、それが言葉そのものによるものであれ、ダイナミクスやストラクチャーによるものであれ、必然性や注意力、解放感といったものを生み出すなどといった点でShellyからは多くのことを学んだ。歌詞のことやシンガーの後ろで演奏することに没頭したよ。そして時が経つにつれ、僕は世界最高のヴォーカリストたちと共演する素晴らしい機会に恵まれるようになった。僕は彼らが言葉を使ってストーリーを語る方法を聞いていつも刺激を受けているんだ。だから、ヴォーカル曲を書くのが大好きなんだよね。

他にはヴィンス・メンドーサビリー・チャイルズのような現代作曲家に影響を受けた。そして僕の最も好きな作曲家はフェデリコ・モンポウ。彼は偉大なクラシック・ピアニストであり、ほとんどミニマルなピアノ曲を書くんだ。僕は彼の作品を深く研究したけど、本当に素晴らしかった。

ビョークの曲の作り方や構成も僕に向かって語りかけてくる。ファイストフィオナ・アップルなど現代的なアーティストでも曲の構成が非対称なことがあって、そんな予測不可能なものに惹かれるんだ。きっと自分の音楽も予測不可能なものだからだろうね。僕らが作る音楽は人生を反映するものだとも思うし、人生そのものがちょっと予測不可能で、いろいろな楽器を使ったり、いろいろなものに聴こえたりするのかな、なんて思うよ。聴き手は、それに一生懸命に耳を傾けてくれるんだ。

◎ヴィンス・メンドーサとビリー・チャイルズからの影響

――ヴィンス・メンドーサビリー・チャイルズのどんなところから影響を受けたんでしょうか?

ヴィンスとビリーは、他の多くのミュージシャンの中でも間違いなく重要な影響を受けた2人のミュージシャンだ。

僕がヴィンスのオーケストレーションに惚れ込んだのは、彼のビョークとの仕事を聴いたときだった。特に『Selmasongs』での彼のアレンジだね。『Vespertine』も最も好きなオーケストラ・アレンジのひとつだと思う。

ビリー・チャイルズは非常に多作でスケールの大きなコンポーザーであり、僕はいつも彼の様々なスタイルを融合させる作曲に魅了されてきた。彼のアルバムの中で個人的に一番好きなのはローラ・ニーロのプロジェクト『Map To The Treasure: Reimagining Laura Nyro』だけど、彼がこれまでに手がけたものはすべて気に入っているよ。彼のアルバム『Lyric - Jazz Chamber Music Volume 1』も本当に大好きだ。僕がこの二人に特に惹かれるのは、ジャンルにとらわれない音楽を創り出す彼らの才能だ。彼らが書く曲は気持ちがよく響きもいいし、そしてカテゴライズするのが難しい。僕の好きな音楽は、魅力的で、予測不可能で、感情的で、驚きのある音楽。ビリーとヴィンスは、クラシックの楽器をそのようなサウンドに融合させることにおいて、これまでで最高の2人だと思う。とても刺激になるね。

◉スペインの作曲家フェデリコ・モンポウ

――僕があなたの音楽にハマったきっかけはあなたが演奏していたフェデリコ・モンポウのカヴァーでした。モンポウを知ったきっかけは?

初めてモンポウの音楽を聴いたのはバルセロナで、サグラダ・ファミリア大聖堂にいた時だったね。ガウディが大昔に描いた設計図がちょうど完成したばかりで、とても美しいこの大きな大聖堂を見に行ったんだ。その時、ギフトショップのスクリーンにビデオが流れていて、大聖堂の建設過程を紹介していた。その映像の中で流れている音楽を聞いて、僕は身動きがとれなくなってしまって、ビデオを45分も見てしまった(笑)。ビデオ自体は面白くなかったんだけどね(笑)。僕はその音楽に魅了されたんだ。映像の最後にMusic by Frederic Mompouという文字が映っていた。

その夜、僕はホテルに戻り、iTuneで300ドルくらい使って、モンポウの曲を片っぱしから買った。彼のハーモニーと、彼の一音一音を大切にするやり方に自分との繋がりを感じたんだ。一音一音に意味があり、またとても具体的で、1920年や1930年に彼が弾いたコードの多くが2024年の今、僕が弾きたいコードに近いって感じて、その音楽に心を奪われたんだよね。

――運命的な出会いじゃないですか!

そう。でも、僕は彼の曲はまだ「Secreto」しか録音していないんだよ。

友人のジェラルド・クレイトンにモンポウの曲を見せたことも覚えている。そして、ジェラルドは『Bells on Sand』でモンポウの曲(「Damunt de tu Només les Flors」「Elegia」」)を録音したんだ。それは素晴らしいことだよ。僕もそれを録音したかったけどね(笑)。でも、彼の音楽を誰とでも分かち合えることは嬉しいから、それでいいんだ。

――そうだったんですね。ちなみにモンポウのどんなところが好きなんですか?

モンポウはすごくユニークだよね。ラヴェルやサティとかと混同しそうになる瞬間もあるけれどね。僕は彼の人生についての本もたくさん読んだ。彼はとてもとても内気な人間で公の場で演奏することはほとんどなかった。彼が演奏している映像はほんの数本しかないんだ。僕が好きな彼の作品は、実はジェラルドが録音した曲なんだけど、映像だったらモンポウビクトリア・デ・ロス・アンヘルズ(Victoria De Los Ángeles)のデュエット。彼らはリビングルームで一緒にパフォーマンスをしているだけなんだけどね。

みんなが家に閉じこもっていたパンデミックの間、僕はモンポウビクトリア・デ・ロス・アンヘルズのあの曲のことをずっと考えていた。彼らはリビングルームから史上最高のライブビデオを作っていたわけだから。本当に、本当に特別な音楽だよ。僕が彼のハーモニーを深く愛しているのは、特定のジャンルを感じさせないことだ。僕が最も愛している音楽は種類やカテゴリーを定義するのが少し難しい音楽だからね。本当に、本当に美しいよ。幸運なことに、ちょうど今週の初めストレスの多い一日を過ごしていたとき気持ちをリセットする必要があって、大好きなモンポウのあるアルバムを聞いたんだ。それをかけると自分の中の何かがリセットされて魂に何かを与えてくれるんだよね。

――「あるアルバム」のタイトルは何ですか?

それは「Cancion Y Danza」が入っているアルバムだね。僕が持っているお気に入りのモンポウのアルバムは、彼自身がピアノを録音した作品集『Mompou Plays Mompou』。これは二枚あるんだけど、「Cancion Y Danza」は『Mompou Plays Mompou 2』に入っている。これが素晴らしいんだ。100万回聴いても飽きない。モンポウは僕の心の中の特別な場所を占めているんだよね。

◉歌ものへの思い

――あなたはヴォーカリストのために素晴らしい曲を書く印象があります。シンガーソングライター的なセンスを持っていると言いますか。歌ものの曲に関しての話も聞かせてもらえますか?

それは最高の褒め言葉として受け止めさせてもらうよ、ありがとう。僕はいつもメロディーとストーリーに惹かれているんだ。言葉が絡むと音楽が本当にパワフルになることがある。メロディーがあって、そこに言葉が入っていると、人間の声のリズムみたいなものが生まれる。だから当然、そのメロディーには人間らしさが宿ると思うんだ。

僕が書いた曲の中で、このようなことが重要な役割を果たした例として「Magnolia」という曲を挙げることができる。『Daylight At Midnight』に収録されている曲で、僕は曲を書き、ベッカ・スティーヴンスが歌詞を書いたんだ。

あの曲の裏にあるストーリーは、ロバート・フロスト「The Investment」という詩。僕はその詩に深く入り込んで、その詩と物語に敬意を表し、音楽を通してそれを伝えたかったんだ。そしてこの曲を実際に「The Investment」としてレコーディングして、その詩を歌ったんだ。そうしたらロバート・フロスト財団(Robert Frost’s Estate)がレコード会社に「彼の言葉は音楽には使えない」と言ってきた。僕は打ちのめされたよ。でも、ベッカは「私が新しい歌詞を書く」と言ってくれた。翌日、レコーディングに行って、みんなで全てを録り直そうと。そして僕はベッカがレコーディング・スタジオの地面に座ってペンと紙だけを持ってマグノリアのストーリー全体を創り上げるのを見ていた。歌詞の中にはこの曲の状況に対する幻想が込められていた。曲の後半の歌詞に「Frost White in winter(冬は白く霜が降りる)」とのがあるんだけど、それは冬にこの曲をレコーディングしたという事実と、Frost(霜)という言葉をかけた秘密のメッセージのようなものだったんだ。そして、春を待てば新芽もでてくる。本当に素晴らしいと思った。

――さすがベッカ!すごいですね

曲を書くよりも、その上にぴったり合う言葉を書くほうが難しいことがある。でも僕の周りにはそういうことが得意な人がたくさんいるから、そういう人から学ぶことができる。グレッチェン・パーラトからは「最初、歌詞の中に個人的なストーリーが含まれていることがある。でもその後、創作を施して、新たな生命やキャラクターを宿させていくと、歌詞が個人的なことである必要はなくなる」ことを学んだよ。キャラクターによってストーリーから多くの感情や新たな物語が引き出されることがあるってことだね。

僕は「メロディーは誰かが差し伸べてくれた手のようなものだ」って時々感じるんだ。メロディーって、そこに言葉が付いてようとなかろうと、(聴こえてきたら)人は何かを感じるものだと思う。僕が作曲をするとき、意図的に音楽の背後にはリリシズムを持たせようとしているし、ストーリーを創り上げようとしている。たとえ言葉がなくても、メロディーだけでも何かが伝わるようにしたいんだ。

――なるほど。メロディーへの強いこだわりがあるんですね。

時には『Plot Armor』での「Bucket of F's」とか、前作『Tree Falls』での「Sparky」のように、意図的にカオティックなメロディーにすることもある。誰かがが知っているような叙情的で高らかでメロディアスなものであっては欲しくないって意図でメロディーを書くんだ。

◉『Daylight At Midnight』(2010)のこと

――では、ここからは3枚のアルバムのコンセプトをそれぞれ聞きたいと思います。まず2010年の『Daylight At Midnight』。おそらくあなたのアルバムの中では日本で最も知られているアルバムだと思います。ここでのカヴァー曲の選曲について聞かせてもらえますか?

『Daylight At Midnight』マット・ピアソンがプロデュースした。選曲についてのマットの提案は本当にクールだった。マットは僕のお気に入りのアルバムを何枚もプロデュースしている。マットは『Daylight At Midnight』でブラッド・メルドー『Art of The Trio』シリーズと同じことをやったんだよ。マットはたくさんの曲を選んでブラッドに渡して、それらの曲を彼らがどう扱うかを見ていたんだ。そしてそれは、より多くの人々が同じようなことをするきっかけになった。ブラッドには大きな影響力があった。彼は多くの曲を「さまざまな方法で演奏できるポテンシャルのあるスタンダード曲」として捉えて「ある種のモダンなカヴァー」として演奏していたんだ。『Daylight At Midnight』でもマットは本当にたくさんの素晴らしい提案をしてくれたし、実際そのアルバムを作る過程で僕にいろんなことを教えてくれた。様々な曲を再構築して原曲とは異なるアレンジを作ることができたのはクールだったよ。

ーーメルドーの名作が起点にあったカヴァーだったわけですね

でもね。僕はあのアルバムを録音したことをとても誇りに思っているけど、オリジナル曲は3曲だけだったな…って思いがずっと残ったんだ。その後、僕に連絡をくれた人たちがあのレコードや、その中のいくつかの曲について言及してくれることは何度もあった。大学のヴォーカル・オーケストラが僕のオリジナルの「Magnolia」「Midnight afternoon」のアレンジをしてくれたこともあった。実は『Daylight at Midnight』をリリースしてから最初に意図したのはスタンダード曲ではなく、そういったオリジナル曲をもっと演奏したいってことだったんだ。それに後から言及してもらえた曲は、そのほとんどが僕のオリジナル曲だった。それもあって、やっぱりオリジナルをやらなければって思いが強くなったんだ。

――なるほど。

ただ時にはレコードレーベルに所属していると、彼らが自分のアイデアでレコードを出したがるので難しいこともある。それは彼らのアイデアであり、彼らのコンセプトだ。

――そうですか、あのアルバムは素晴らしいけど、あなたの中では満足はできなかったと。

実は『Daylight At Midnight』が発売された数年後にマットとミーティングをしたんだ。僕がこの話をするのは初めてで、今回のインタビューだけだよ。ここからは僕はマットをとても尊敬しているし、彼は素晴らしい人だと思ってることを前提に聞いてほしいんだけど、彼とランチをしたときに、僕は「自分のオリジナルを中心にしたアルバムを作りたい」って彼に伝えたんだ。すると彼は「それはうまくいくのだろうか。よっぽど良い曲でないとうまくいかないと思う」って言ったんだ。その瞬間、このランチはマットからその言葉を彼から聞くために必要な時間だったんだとわかった。そして、僕は次のアルバムを作らなければならないと思った。それが『Tree Falls』を作るきっかけだね。彼の発言に復讐するためとかそういうことではないよ(笑)。そうじゃなくて「マットが言っていることはもっともだ」って事実が僕にインスピレーションを与えてくれた。

◉『Tree Falls』(2022)のこと

「オリジナル曲をやりたいなら本当にいい曲でなければならない」って思いが僕を奮い立たせ、そのビジョンをまとめたいと思うようになった。 『Tree Falls』では過去10年間に僕が創作してきた音楽のうち、まだ公式にはシェアしていなかったものをたくさんシェアしようと思った。密室で創作した音楽をシェアして、それを実際に人々と分かち合えることは本当に意味があることだと僕は思ってるから。「もし森の中で木が倒れた時に何の音もしなかったら」って考えたんだ。例え、作った音楽が誰にも聴かれなかったとしても、その時に創造性は生まれているはずなんだ。だから、僕はその創造性を共有したい。そんなことをアルバムで表現しようと思った。『Tree Falls』ってタイトルはそんな思いから生まれた言葉なんだ。

『Daylight At Midnight』のために作った自分のオリジナル曲についても、同じように感じていた。僕はあの音楽を分かち合いたかったけど、どうすればいいのか僕にはわからなかった。『Tree Falls』は自分の中にある音楽の集大成みたいなものなんだけど、自分の中にあるため込んでいたものを出さないと自分が破裂してしまいそうだった。だから、『Tree Falls』は世に出さなければならなかったんだ。そして、『Tree Falls』を出したことで、オリジナルの音楽をリリースしてもOKだったって思えるようになった。だから、『Plot Armor』では『Tree Falls』でのアイデアを続けたかったんだ。今、僕は大学で音楽を教える立場になったんだけど、生徒には「20曲書いてようやく1曲だけいい曲ができればいいよ」とよく言うんだ。たくさん書かないと自分に訴えるものが増えていかない。だから僕も良い作品にたどり着くために、とにかくたくさん曲を書かなければならなかったんだ。

――なるほど

僕は3枚のアルバムを経て、ようやく自信をもって、自分らしいオリジナル曲が書けるところまでたどり着いたんだ。そして、マットとの出会いにも感謝している。なぜなら彼は僕に「本当にいいものでなければならない」と教えてくれたからね。彼がいたから、より一層努力してより深く曲作りにコミットするようになった。この3枚のレコードの進化は「できるだけ自分らしいサウンドを追求した」ってことなんだ。

◉『Plot Armor』(2024)のこと

――では、その最新作『Plot Armor』のコンセプトを聞かせてもらっていいですか。

僕はパンデミックの最中の2021年初頭に『Tree Falls』をリリースした。最初の課題は『Tree Falls』の後にどんなタイプのレコードを作るかを考えることだった。グラミー賞の夜の直後にGroundUp MusicのヘッドであるEric Lenseと会ったんだ。そのとき僕は彼に「次のアルバムはGroundUpから出したい」ってプランを話した。

――あなたが自分から提案したんですね。

その時、彼に「トリオかカルテットのような小規模なプロジェクトをやるべき?ソロピアノをやってお金を貯めた方がいい?(笑) それともまたシンフォニー・オーケストラをやるべき?シンフォニック・ミュージックの曲をたくさん書いていて、まだ正式に録音していない曲がいくつもあるんだ」って話した。

すると彼は「大きいことをやろうよ。『Tree Falls』がグラミー賞を受賞したから、より多くの人に音楽を聴いてもらえる機会ができたしね」と言ってくれた。だから『Plot Armor』は『Tree Falls』と同じ要素の組み合わせにすることにした。

◎『Tree Falls』と『Plot Armor』のオーケストレーション

――同じ要素というのはストリングスを使ったオーケストレーションとジャズミュージシャンの即興のコンビネーションですよね。

そのために『Tree Falls』『Plot Armor』では、僕が書いたものをその楽器に合うようにアレンジしてくれる優れたオーケストレーターに編曲を依頼したんだ。『Tree Falls』ではグラミー賞を受賞した素晴らしいヴィオラ奏者ネイサン・シュラム。彼は僕のアイデアをそれらの楽器に本当に合うようにアレンジしてくれた。『Plot Armor』では多作な映画作曲家で素晴らしい音楽家でもあるAndrew Baloghと一緒に美しいストリングス・アレンジを作り上げたよ。

僕は自分でオーケストラのアイデアを作るときは、弦楽器のことを本当に理解してて、僕のアイデアを取り入れる能力があって、そのうえで僕が理解できないような方法でサウンドを作る素晴らしいオーケストレーターと組んで、彼らのフィルターに自分のアイデアを通すのが好きなんだ。どうせなら真のパートナーシップを築いたほうが楽しいし、僕はそういう集団的な努力が好きなんだ。

――なるほど

『Tree Falls』ではオーケストラのテクスチャーをシミュレートするために、弦楽オーケストラを重ねた。木管楽器は入れたけど金管楽器は使わなかった。それは必ずしも意図的なものではなかったけれど、どういうわけか金管楽器がいないのにとてもビッグなサウンドを作り上げてしまったことを僕は誇りに思っていたんだ。『Plot Armor』で変わったのは、金管楽器が入ったことだね。テレンス・ブランチャードがいたからね。あと、フルートはどうしても必要だったから加えている。

このアルバムでは曖昧なテクスチャーが欲しかったんだ。ヴィオラが聞こえてきて、そのヴィオラが突然フルートに変わるような、そしてフルートがピアノに変わり、ピアノがサックスのエフェクトに変わるようなテクスチャーだね。僕は物事が動き続け変化し続けることを望んでいたんだ。「Look Around You」の目的は自分を自分たらしめ、環境問題のような見逃しがちな身の回りのささいなことを喚起することにある。つまり、自分の周りの世界を観察すること。この曲ではジュリアン・ラージが演奏した後、ベン・ウェンデルのディレイが絡んできて、次第に3本のフルートのテールが合わさったサックス・エフェクトのようなサウンドに発展する。僕が欲しかったのはそういうサウンドなんだ。

――ストリングアレンジメント、オーケストレーションに関してもう少し聞かせてください。

そもそも僕はオーケストラの音が好きなんだよね。すべてのレイヤーとテクスチャー、そしてそれらがどのように組み合わさってより大きな音を生み出すのかってことに魅了されてる。

子供のころ、デイヴィッド・ベノワのライヴを観に行ったときに、彼はシンフォニーと一緒に演奏することが時々あった。だからデイヴィッドは、オーケストラという観点から僕にインスピレーションを与えてくれた最初の人だった。彼の曲「Houston」は、彼の音楽におけるオーケストラの使い方の良い例だし、ジャズなのかクラシックなのか、それともまったく別のものなのか定義するのは難しいね。そのジャンルをカテゴライズするのが難しく、どのジャンルとも違ったものに感じられるとき、僕はすごく惹かれるんだ。

それから何年もかけて、ジョン・ウィリアムスハンス・ジマーモリコーネなど多くの素晴らしい映画音楽作曲家たちからインスピレーションを受けるようになって、さらにガーシュウィンエリントンなど、ジャズとクラシックの世界を最初に融合させた人たちの音楽を勉強するようになった。音楽がいかに普遍的な言語であり、オーケストラの要素と組み合わせることで、僕たち全員が一緒に創造する役割を分かち合えるユニークなサウンドを生み出すことができるのかに魅せられていったんだ。

――なるほど。他にはどんな曲がありますか?

『Plot Armor』をレコーディングする際に書かれた曲はすべてパンデミックの後や『Tree Falls』の後に書かれたものだった。「201918」ではパンデミックについて直接的に言及している。これはかつてパンデミックに見舞われた時のことを指している。僕はパンデミックの最中に1918年と1919年に書かれた音楽をたくさん聴いていた。前回、世界がこのような状況に陥ったとき、どんな作曲家が、どんな音楽を書いていたのかを聞きたかったからなんだ。

でも、『Plot Armor』は、僕が取り組んでいる何千ものちょっとしたアイデアの集積なんだ。多くのアイデアの中から本当に強いアイデアだけに絞り込むには長いプロセスが必要だ。アルバム1枚にまとめるためには本当に気に入ったアイデアもたくさんカットしなければならない。だから、このアルバムは、レコーディングを始める2ヶ月前とは全く違うサウンドになったんだ。たった2ケ月で全く別のものになった。でもね、僕はこれまで自分のアルバムを9枚作り、さらに70枚ほどのアルバムに参加してきた。その過程で学んだことは、変化や進化があっても大丈夫だってこと。変化を許容することは『Plot Armor』の重要な部分だったね。

――アルバムを制作することも即興演奏みたいにその場で変化していったわけですね

例えば、「Fire Within」をレコーディングするなんて、目が覚めてその曲が浮かんでくるまでわからなかったんだ。これは母が亡くなった後、母の文章にあったアイデアや言葉や文章を歌詞として引用して書いたとても個人的な曲なんだ。僕は彼女の物語を歌詞としてまとめようと思ったけど、すでにアルバムをほぼ完成していた。でも、僕はスタジオに戻ってこの曲をレコーディングする必要があると思った。すごくエキサイティングだったよ。

時には途中でヴィジョンが変わることもあるけど、「これはレコーディングに入れなければいけない」と思うものがあれば、それは常に価値のあることだと僕は思う。僕の旅はいつも何も考えずに始めるんだけど、それがとても楽しいんだ。最後には、物理的に手にすることのできるアルバムができあがるけど、そんなA地点からB地点への旅では多くの驚きと予測不可能な紆余曲折がある。僕はその都度、どんな状況でもベストを尽くそうと思ってやっているだけなんだけどね。だから、僕のやり方だとアルバムも一緒に成長していくんだ。クールなプロセスだよね。

◉ジャズを学ぶこと、について

――最後にあなたにお伝えしたいことがあるんです。僕は音大の大学院で「21世紀のジャズ」の話をする講義をやっているんです。講義ではジャズを勉強している学生に対して「ジャズをしっかり学んでほしい。でも、色々な音楽を聴いて、その中から自分のやりたいことを自由に見つけてほしい。そして、自分がやりたい音楽を自分がやりたいように自由に表現してほしい。その時にはジャズを学んで得た技術とか知識がきっと使えるはず。ジャズを学んだからって必ずしもジャズミュージシャンになる必要はないんだよ」ってメッセージを込めています。そんな講義で僕はあなたの音楽を聴かせるんです。あなたの音楽はそんなメッセージの好例だと思うんですよね。

ありがとう。それは僕にはとても大切なこと。それに関しては「Hell Yeah(全くその通りだ)」って言いたいね。

僕はジャズを勉強している学生といつも話をしている。学生たちの中には自分が聴いてて好きな音楽と、自分が演奏したり、自分が作る音楽は違うと考えている人もいるんだ。でも、ジャズについて、そしてジャズを演奏するためのメカニズム、それらの楽器を演奏し、即興演奏し、耳を傾け、反応の仕方を学ぶこと、そのような情報は何にでも生かすことができる。そして世界には人々が演奏できる場所がたくさんある。僕の好きなポップ・ミュージシャンの何人かはジャズを学んで育った。僕の好きなサウンド・エンジニアの何人かはジャズの楽器を学んでいて、その後素晴らしいサウンド・エンジニアやプロデューサーになった。ジャズを学べる場所はアイデアを得るための美しい場所だと思うよ。すべてはジャズを聴くとはどういうことなのか、ジャズが何を意味するものなのかを学ぶことから始まると思うんだ。

ただ、そうやってジャズを学んだ結果、その人が作る音楽がジャジーなサウンドになるのか、それとも他の音になるのかはわからないよね。だから、僕は自分ができることなら何でもしてあげたい。自分が良いと思う音楽でも、自分が悪いと思う音楽でも、それが自分の心がどこにあるのかを学生には見つけてほしいんだ。その方が自分が奏でる音楽がより正直なものになると思うから。しかし、君も大変な仕事をやっているんだね(笑)

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