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interview AMARO FREITAS『Sankofa』:我々黒人の祖先、自然、そして、音から受け継がれるものを讃える音楽

2010年代にブラジル音楽が面白くなっているという話はアントニ・ロウレイロらが話題になったこともあり、それなりに少なくない人が知っている話かもしれない。

彼らの特徴としては、21世紀以降のジャズの文脈を押さえていたこと。その結果、前述のロウレイロやペドロ・マルチンスらがアメリカのジャズ・ミュージシャンたちとコラボするようになっていった。日本における”ブラジルの新しい世代によるジャズ”のイメージは彼らが担うようになっていた。

とはいえ、ブラジルは広い。才能豊かなミュージシャンは山ほどいるし、シーンのレベルも尋常じゃなく高い。他にも面白いジャズ・ミュージシャンはいるはずだ。

そんなことを思っていた2018年、たまたま聴いたのがアマーロ・フレイタス『Rasif』だった。彼の2作目だ。

僕はこのアルバムにとても驚いて一発でファンになってしまった。

ブラジルの音楽が取り入れられているが、サンバのリズムが聴こえる程度ではなく、「Troupe」「Afrocatu」「Paco」ではブラジル北東部=ノルデスチのアフロ・ブラジル系のリズムが聴こえてきた。フォホー(Forro)やマラカトゥ(Maracatu)、フレヴォ(Frevo)のような北東部のリズムと言えば、エグベルト・ジスモンチ「Maracatu」 「Frevo」)やエルメート・パスコアル「Forro Brasil」)もそのリズムをテーマにした曲を書いていたので、ジャズのリスナーでもなじみがある人もいるだろう。

ただ、アマーロが面白いのはそのリズムの上で即興演奏をするだけでなく、そのアフロ・ブラジル系のリズムをポリリズムの中に組み込んで、クール且つミニマルに調理していて、それはまるでヴィジェイ・アイヤー以降のピアノ・トリオの方法論でブラジル音楽をやっているような現代的なサウンドになっていた。つまり、これまでのブラジル人のジャズからは聴かれなかった音楽が鳴っていたわけだ。

しかも、ベースのJean Elton、ドラムのHugo Medeirosの2人も素晴らしい技術とセンスを持っていて、このトリオはめちゃくちゃグルーヴしている。その部分は『Rasif』が90年代以降のクラブ系のブラジル音楽を代表するレーベルでジョイスマルコス・ヴァ―リアジムスらの新録でクラブシーンをけん引し、近年はアジムスの発掘音源から、アルトゥール・ヴェロカイの新録、ブラジルの新鋭アントニオ・ネヴェスなど、他にも絶妙なリリースで再びブラジル音楽好きを喜ばせているUKのFar Out Recordingsからリリースされていたこととも繋がっているはずだ。

そんなアマーロ・フレイタスが2021年に3作目の『Sankofa』を発表した。

前作よりも確実に洗練されていて、リズムの扱いも楽曲の完成度もはるかにレベルアップしていた。そして、タイトルから伺えるコンセプトも面白そうな予感がした。

Sankofaとは鳥の形のシンボルで、アフリカ系アメリカ人とアフリカのディアスポラの文脈の重要なシンボルとして知られているもの。Sankofaは「成功した未来を構築するために過去を振り返る必要性」を表している。

アフロ・ブラジル系の要素を音楽的に取り入れるだけでなく、アフリカ系アメリカ人の文化をテーマにしているところを見ると、もっと広範にアフリカン・ディアスポラみたいなものを意識しているのは明白で、その点でも興味がわいた。彼の音楽を通して、アフリカ系のブラジル人によるブラジル独自のジャズ、ということを僕が意識するようになっていたこともある。

とりあえず、彼がどんなアーティストのなのか知りたかったし、新作のコンセプトについても聞いてみたかったので、インタビューをやることにした。

取材・構成・編集:柳樂光隆 通訳:島田愛加 協力:江利川侑介(Diskunion)

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■ブラジルでも教会がミュージシャンの苗床に!?

――教会で演奏していたそうですが、どんな音楽を演奏していたのでしょうか?

 僕はキリスト教福音派の教会に通っていた。ブラジルの宗教で最も多いのはカトリックと福音派。僕らのコミュニティの教会は、金銭的に余裕がある人々のが住んでいる人たちが通う教会とは異なる傾向があるんだ。ここではもちろんHarpa Cristã(讃美歌)も演奏するんだけど、身体が動かされてしまうような音楽も演奏する。なぜなら、Periferia(直訳すると“郊外”。都市部に住めない貧困層が住む中心部から少し離れた地域。ファベーラ=スラム街とは異なるニュアンス)にある福音派教会に参加するのは僕のような黒人系のブラジル人がほとんどで、アフリカのスイングが私たちのDNAにあるからね。

 アフリカ音楽は鼓動だし、身体の動き。だから、教会でも身体が動くような音楽、例えば、ブラジルのファンキなども取り入れる。僕らの文化であるフォホー(ブラジル北東部の音楽とそこで演奏されるリズム)、バイアォン(ブラジル北東部で演奏されるリズム。ルイス・ゴンザーガが有名)、またクラシック音楽の要素を感じられる讃美歌も演奏する。つまり、教会ではペルナンブーコ(ブラジル北東部の州。バイーア州に隣接。)にある伝統的な音楽と讃美歌が混ざり合っていたってことになる。これは意図的なものではなく、自然と起こったものだね。ファンキカリオカ(ブラジルのファベーラ発祥のベース・ミュージック。別名バイレファンキ)やアメリカのファンクを演奏することもあるし、スティービー・ワンダーの曲に自分たちの歌詞をつけて歌うこともあるよ。

 また、教会ではブレーガ(ブラジル北東部の大衆音楽)やブレーガにファンキなどをミックスした音楽を聴くこともできる。ブラジルではパッスィーニョと呼ばれるムーブメント(ブレーガの音楽に合わせて踊るステップ)が起こっているんだけど、このムーブメントでは教会出身のミュージシャンが演奏面で役割を果たしている。つまり教会は僕らのようなPeriferiaに住む人たちに対して、ブラジル政府が与えてくれないものを与えてくれる場所でもある。音楽教育、そして恵まれた環境にいない人達の才能を開花させる機会を与えてくれる。教会は一つのことを信じることにように教えるのは確かだけど、それだけじゃなくてコミュニティーの中で人々が生きるための自尊心を養う役目を務めているってことだね。

―― その教会の感じはロバート・グラスパーたちが教会で音楽を学んだアメリカの状況と全く同じです。ブラジルでもそうなんですね。あと、一年間音大に通われていたそうですが、そこではどんなことを学んだのでしょうか?

僕には2つの選択肢があった。1つは器楽学科のピアノ専攻、もう1つはprodução fonográfica(録音技術や音響、プロデュース、マーケティング、音楽の基礎知識を学ぶ学科)のコース。僕は後者を選んだ。だから、僕にとってのピアノの学校はジャズ・クラブ。クラブでジャズを弾いている人たちと共に学んだし、実生活の中でピアノを身につけたってことだね。

 ちなみにprodução fonográficaを選ぶ前に自分自身に問いかけたんだ。「自分の可能性や自分の文化を考えた上で、クラシックのピアノの先生になりたいんだろうか?」と。世界各地にある音楽大学でも学べる17世紀のクラシック音楽をわざわざブラジルのペルナンブーコで勉強するということに違和感を感じていたし、自分たちの伝統を研究したいとも思っていた。だから、produção fonográficaを選択して、まずはどのように自分自身=Amaro Freitasをアーティストとして確立していくかを学ぶことにした。そのために3年半、Centro Universitário AESO Barros Meloという大学に通って、CD制作、アートワーク、ソーシャルメディアでのプロモーション、ミックスやマスタリング、マイクの使い方などを学んだんだよね。

■チック・コリア、モアシール・サントス、そしてゴンサロ・ルバルカバから受けた影響

――2016年にデビュー作の『Sangue Negro』をリリースしていますが、デビュー以前に特に研究していたピアニストはいますか?

ピアノと僕の関係について話すためには、僕がジャズと出会った時のことを話さなきゃいけないね。きっかけは15歳の時にチック・コリアのDVDを貰ったこと。チック・コリアジョン・パティトゥッチデイヴ・ウェックルのトリオが1991年にニューヨークのブルーノートで演奏したときのもの。このDVDは僕に新しい視野を与えてくれたし、僕の音楽のおけるストーリーを変えてしまったとも思う。15歳までは教会で演奏されていた音楽にしか触れていなかったので、初めてチック・コリアを聴いた時は「オーマイゴッド!音楽ってあらゆる可能性があるんだ!!!」と。

 そこからオスカー・ピーターソンセロニアス・モンクゴンサロ・ルバルカバを聴くようになっていった。僕が最初に聴き始めたピアニストはその4人だね。

 大学に入学するころにはトム・ジョビン(Tom Jobin)やエイトル・ヴィラ=ロボス(Heitor Villa-Lobos)も聴いていたんだけど、自分のピアノの方向性が認識されたのはモアシール・サントス(Moacir Santos)に出会ったこと。

ブラジルだったら、その他にもドン・サルヴァドール(Don Salvador)、ラエルシオ・ヂ・フレイタス(Laercio de Freitas)、ジョニー・アルフ(Johnny Alf)…この4人が僕にとっての特に重要なピアニストだね。

例えば、ジョニー・アルフの曲は構造はすごくディープなんだ。アメリカのジャズの影響による抒情的な部分を持ちながらも、ブラジル音楽の活気やみずみずしさを表現していて、そこはボサノヴァの先駆けとも言える部分でもある。彼はボサノヴァの発起人の一人なんだけど、その功労を受けなかった音楽家なんだよね。

――モアシール・サントスに関してはどんなところから影響を受けましたか?

僕がモアシールの作品に感動するのは、同郷だからって理由もある。モアシールはペルナンブーコの田舎町フローリスに生まれ、ロサンゼルスで亡くなって、ブラジルよりも国外でより高い評価を得ている。

 僕はモアシールの音楽の構成方法は複合的なリズムのパターンだと理解している。『Coisas』ではアフロブラジル文化へのオマージュとしてそれぞれの曲がオリシャ(西アフリカのヨルバ人の宗教における神々のこと。西アフリカ由来の黒人奴隷によるキューバのサンテリアや南米のカンドンブレの神もヨルバと同じくオリシャ)を意味している。彼はアフリカ音楽の最大の魅力であるリズムのその身体を止める(固まる)ことのない流動性を音楽に込めることができているので、我々の身体が音楽とともに動く機会を与えてくれる。僕はモアシールのそういったところに感動し、共感するんだよ。なぜなら、僕もそうだから。僕のトリオが自分たちの音楽を演奏するときに明確になるのは、楽器を演奏した経験がない人でもポリリズム、イソリズム、ポリフォニーを楽しむことができること。なぜならそこには流動性があるし、そして僕らを感じられる鼓動があるからだと思う。だから、モアシールは僕に大きな影響を与えたピアニストと言えるね。

――さっき名前が出たジャズ・ピアニストの中ではゴンサロ・ルバルカバのことが気になりました。彼のどんなところに惹かれましたか?

 ゴンサロの話の前に1つ話したいことがあるんだけど、僕は日本人ピアニストHiromi(上原ひろみ)の大ファンなんだ。いつか彼女と共演したいと心の底から願ってる。彼女がリオデジャネイロのブルーノートで演奏した際、僕はツアー中だったため観に行くことができなかったんだよね…

――上原さんのことが好きなのもよくわかります。もし会ったら伝えておきますね(笑)。

で、ゴンサロ・ルバルカバだよね。ゴンサロの沢山の作品、彼がもたらす瞬間瞬間そのものにいつも感動させられているんだ。彼が若い頃にイヴァン・リンスジョアン・ボスコと共演したショーがある。そこで彼は歌手の隣で演奏するインストゥルメント奏者の可能性を示していたんだ。それはとても美しく、僕がどんな音楽家になりたいかの手本を見せてくれていると感じたよ。ゴンザロが歌手の隣で弾くとき、伴奏者でもなく、歌手よりも良いポジションでも悪いポジションでもなく、一人のアーティストとして彼らと同じ場所に立つことができる。彼が偉大な2人の歌手と同じ場所で共演している誇らしい姿は、当時の僕を魅了したんだ。それにゴンサロがピアノ・ソロを弾くと、歌のメロディのようなものを感じられるんだ。

――なるほど。

それにゴンザロのトリオも大好き。ゴンザロがドイツでロン・カーターと演奏したショー”Live at the Münchner Klaviersommer”は非の打ちどころがないんだ。絶頂とも思える彼のテクニックはピアノがまるで彼の魂の拡張のように感じられる。そのDVDは何度も何度も繰り返し見たね。

なぜならゴンザロはキューバの音楽をジャズとミックスしオリジナリティのあるものを生み出し、新しい世代として音楽を更新していった人だから。僕はジャズを15歳から聴き始めたので、僕が作曲するフレーヴォマラカトゥバイアォンシランダコーコは、自然とジャズの影響がかなり強く出てしまうんだ。それはゴンザロが新しい活気をジャズと共にキューバ音楽に取り込んだのと同じように、僕も自身のインストゥルメンタル音楽にブラジルのアフロブラジル音楽をジャズと共に取り込んでいるってことだと思う。こういったゴンサロや僕がやっているような音楽は僕らの世界に対話をもたらしているんだ。今、ロンドンやニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスなどの多数の音楽シーンで世界的なディアスポラが起こっているよね。シャバカ・ハッチングスクリスチャン・スコットカマシ・ワシントンなど、彼らの音楽は革新的であるだけでなく、祖先の伝統を取り戻すことでもあるんだよ。それは『Sankofa』のビジョンが“過去”、“現在”、“未来”であることと同じことなんだ。

■『Sangue Negro』と『Rasif』で目指したもの

――まずはデビュー作『Sangue Negro』のコンセプトを教えてください。

 1枚目のアルバムにはサンバ、フレーヴォ、マラカトゥなど、ブラジルのトラディショナルな響きもあるけど、クラシカルなジャズにかなり近いコンセプトがあります。ジャズのスイングだけでなく、ジンボ・トリオなどを思わせる古典的なサンバジャズなどがブラジリアン・ジャズのリファレンスとなってる。『Sangue Negro』は、黒人によって作られた音楽ジャンルの成長/進展と関係があって、タイトル曲「Sangue Negro」ではビバップを弾いています。速いテンポによるビバップは、僕らがこの国で生きている忙しい(慌ただしい)日常を表現している。僕らの身体が熱くなったり締め付けられるような感覚だね。ブラジルでは黒人の身体、黒人の血を持っている若い人たちの死亡率が最も高いんだ。ここでビバップのリファレンスを持ち込むことで、僕はブラジルの黒人たちの血に対する称賛と崇敬を表現しています。『Sangue Negro』は伝統的なジャズの要素が強くて、ペルナンブーコの伝統の世界に少しずつ入りかかっているという感じだね。

――では、二枚目の『Rasif』のコンセプトは?

 2枚目のアルバム『Rasif』は、より僕らの故郷と深く関係するようになっている。僕は教会の中で音楽を始め、教会は沢山の事を与えてくれたんだけど、同時に僕の故郷の伝統を知る機会を奪っていた側面もあったと思う。僕は自分の故郷の伝統を知り始めたころ『Sangue Negro』を録音して、『Rasif』でそれを深く追求したんだ。

 ちなみに『Rasif』はアラビア語。それは僕らが住むセルタォン(ブラジル北東部の半乾燥性の地帯。干ばつによって困難な暮らしをしている人が住んでいる)が、アラブからの影響も受けている地域だから。ヴィオラ(10弦のギターで、ブラジルのセルタネージョなどで伝統的なポピュラー音楽にて使われる)やハベッカ(ブラジルのフィドル)などの楽器のようにアラブから辿り着き、この土地に適して変化した楽器もある。このように、僕らの故郷はイベリアの文化、アフリカの文化、先住民の文化など多くが混ざって独自の伝統が発祥していった土地なんだ。

例えば、ペルナンブーコにアルコヴェルジという場所があるんだけど、そこはセルタォンの入り口で、そこではペルナンブーコに複数あるコーコの様式の中の一つが存在している。アルコヴェルジでは木でできた舞台の上で、木のサンダルを履いてダンスを踊るんだ。しかも、ここのコーコの旋律は他のコーコとは異なっている。楽曲「Trupé」を作曲した時、僕はアルコヴェルジのコーコの木の舞台と木のサンダルによるリズムにフォーカスして、そのリズムの上に(他の要素を乗せて)音楽を作った。そして、僕はこのリズムをイソリズムに入れたかった。以下のリンク「Samba Coco Raízes de Arcoverde - Rumos Música 2004-2005」を観れば、きっと僕のアイディアを理解してもらえると思うよ。

次は「Afrocatu」「Rasif」バイアォン「Dona Eni」について。多くのブラジル音楽は2拍子で、僕はバイアォンの2拍子に掛け算して4つ(拍)にし、更に8にしてから最後の拍である8だけを取り除くことにした。ブラジルの伝統である自然な2拍子を取り去って、新しいバージョンを作ったんだよ。フレーヴォコーコサンバ、これらは全て2拍子。このリズムを壊す(崩す)ことによって、別の世界に連れていくことができるからね。

――『Rasif』ではミニマルな構成や、ポリリズム、変拍子などのリズム面でのチャレンジが印象的でした。こういった楽曲のインスピレーションになったアーティストはいましたか?例えば、ヴィジェイ・アイヤーとか。

 ヴィジェイ・アイヤー!もちろん!僕はヴィジェイとクレイグ・テイボーンが大好きだし、僕はヴィジェイの音楽から強い影響を受けていると思う。先ほどの質問で僕に影響を与えたピアニストの話をしたけど、ヴィジェイやクレイグ・テイボーンシャイ・マエストロアヴィシャイ・コーエンなど複合性のあるリズムを手掛ける音楽家たちからは常に影響を受けてきた。僕らのトリオはリズムの中に幻想を描いているんだ。ヴィジェイはポリリズムイソリズム、取り決めのないポリフォニーのパターンに取り込んでいるんだけど、同時にそれを現代の音楽と関係づけることに没頭しているよね。例えば彼はそれをマイケル・ジャクソンの楽曲と結びつけたりしている。僕は「Vitrais」でそれを少し取り入れたんだ。ポリリズムと現実的な時間を衝突だね。片方の手にはマントラを保持する現実的な時間を5拍子で、もう片方の手にその5拍子に対立するように僕らの伝統的なバイアォンの2拍子のメロディを始めるような感じ。ヴィジェイはジャズを演奏するけど、実験的な取り組みもしているよね。きっとそれは彼が東洋人の家系であることも関連していると思う。彼は微分音などをジャズと織り交ぜているしね。

ミニマルってところだと、ヤン・ティルセンエリック・サティなどフランス人ピアニストもよく聴いてる。彼らは美しいメロディをもつミニマリストであり、また異質な空間性をもっています。僕の音楽は影響を受けていると思う。

――ミニマリストの話が出たので、クラシック音楽についても聞きたいです。好きな作曲家はいますか?

 特に好きなのはバルトークだね。彼はクラシックの作曲家だけど、慣例とされる拍子ではなく5拍子の作品を作っていたりするんだけど、彼は常に自然な形で変拍子を書いているんだ。特に彼の組曲が素晴らしいね。

 それと僕はショパンの大ファン。ノクターンを弾くのが大好きで、「Vila Bela」のインプロヴィゼーションでは、ノクターンの影響を受けている瞬間があると思う。僕の音楽はジャズとブラジル音楽以外には、旋律的な部分でショパンの影響を受けていると思うよ。

■『Sankofa』について

――では、ようやくですが、新作『Sankofa』について聞かせてください。まずはアルバムのコンセプトから。

 『Sankofa』は私(ピアノ)、ジャン(ベース)、ウーゴ(ドラム)トリオの一体性のプロセスでもある。『Sangue Negro』、『Rasif』、『Sankofa』、この3枚は僕らトリオの音楽家としての親密さを披露しているんだ。僕はジャンから影響を受け、ウーゴからも影響を受け、彼らが僕から影響を受けるように、僕らはお互いに影響し合っている。彼らは僕の音楽の相棒であり、共同制作者なんだ。今では共にヨーロッパを始めとする数多くの国で僕らのオリジナルの音楽を演奏するようになって、世界中を一緒に回るようになった。『Sankofa』は黒人のディアスポラを表現するだけでなく、僕らが世界中で演奏できるような状況とも関係のある世界的なムーブメントを表していると思ってる。

 この『Sankofa』という言葉との出会いについては、僕がアメリカ合衆国のハーレムの(アフロ)市場にて服売りの男性アリーから1枚のシャツを購入したことがきっかけだね。そのシャツを着てリンカーンセンターのディジーズクラブにて演奏して、その写真をSNSにアップしたら、友人が「なんて美しいシャツ!Sankofaのシンボルが胸に書かれてるよ!」とコメントをくれた。そして、Sankofaのシンボルの意味を理解した時、僕は3枚目のアルバムへのミッションだと感じたんだ。つまり、3枚目のアルバムの根本は、先祖から受け継がれるものを言及するトリオの新たな情況だと言えるね。僕らが存在する以前の人々からの遺産や、それを取り巻く自然からの遺産を表現している。

ブラジルの偉大な先住民の活動家アイルトン・クレナッキはこんなことを言っている。「木は私たちの兄弟であり、川は私たちの祖父であり、山は私たちの叔父であることを理解しなければなりません。自分はこれらの自然の一部だと気づいた時、自然を敬う必要があるということがわかるでしょう。私たちはこの構造の一部で、より優れているわけでも、より衰えているわけでもありません」。アルバムはこういった(自然からの遺産への)称賛が込められている。

 また、音から受け継がれる遺産に対する称賛でもある。なぜなら、おそらく音は最も古い祖先だと思うから。音は強い権力を持っているんだ。例えば、神やオリシャの声など、全てにおいて音が存在していた。更に、音は人を感動させる。例えば、僕とあなたが一緒に仕事をすることになった際、親しくなるまでには会話を繰り返したり、一緒に食事をしたりと時間がかかるよね。しかし、僕が自分の音楽を演奏する時、人々は感動して涙を流し、演奏後に抱擁し、大好きだと伝えてくれ、すぐに親しみを感じられる。これは音によって可能になることだと思うんだ。つまり、このアルバムは我々黒人の祖先、自然、そして、音から受け継がれるものを讃えているということだね。

――『Sankofa』は前作『Rasif』の延長上にありつつ、より普遍的で、ユニバーサルなサウンドだと僕は感じました。音楽的なコンセプトは何かありましたか?

その通り。ここにはブラジル的なサウンドも込められているけど、よりユニバーサルなサウンドも込められている。例えば、ザ・バッド・プラスブラッド・メルドーロバート・グラスパーはアルバム内の「Sankofa 」「Ayeye」「Vila Bela」「Nascimento」に影響を与えていて、そこにはR&Bのビートやロックンロール、フュージョンなどユニバーサルな要素が含まれていると思う。最近は特にザ・バッド・プラスを聴いていて、その響きに感化されたのが「Cazumbá」

でも、同時にブラジル音楽の響きも取り入れている。ブラジルのメストリ(先生、師匠の意味)であるパーカッショニストのナナ・ヴァスコンセロスは僕と同じペルナンブーコ出身で、彼自身の音楽の中には自然との強い結びつきがある。鳥の声や森の音が彼の音楽の中に存在しているからね。僕は「Cazumbá」でマナウスの港のことを考えたんだ。マナウスは森林がありながらも、ビルや商業システムが揃う主要都市だからね。この都市の現実から港に入り、水に入り、森林に触れる感覚を、音楽的にブラッド・メルドー/ザ・バッド・プラスからナナ・ヴァスコンセロスに入っていくことで表している。

「Batucada」を作曲した時は、ヴィジェイ・アイヤークレイグ・テイボーンのリファレンスを意識しながら、サンバの一つであるパルチード・アウトのリズムを使い、その中のいくつかのリズムを転位させている。ヴィジェイが彼の作品でよく使う方法だね。例えば、1つの音だけを弾いて3つは弾かないなど音を欠落させることやリズムの転位、リズムが負数の時に音を増やすことなどの手法を僕も取り入れている。

「Malakoff」ではフリージャズの世界も取り込んでいる。ポリリズムの構造を持ちながら、インプロヴィゼーションの際は決まり事なしで僕らが感じていること、僕らがその瞬間にお互いから影響を受けていることを演奏している。ハーモニーのパターンもなく、決まったメロディもない曲だね。

――フリージャズの話が出たので聞きたいんですけどセシル・テイラーは好きですか?なんとなく、あなたの音楽からはセシルを感じる部分があると感じていたもので。

 すっかり話すのを忘れていたけど、セシル・テイラーは大好きだね。セロニアス・モンクの後に聴き始めたのがセシルだ。それに彼の演奏法から影響も受けている。僕はエルメート・パスコアールが言っていた「私たちはそれぞれが自分自身のリズムを持っている」という言葉をセシルから感じることができる気がしているんだ。セシル・テイラーは人々が進む(目指す)方向とは逆方向を行っていたんだ。自分自身の身体に刻まれるリズムを表現することを何よりも大切にしていた人だと思う。だからこそ彼の音楽はオリジナリティに溢れていると思う。セシル・テイラーを聴くとジャズ・スタンダードのレパートリーの習得やインプロヴィゼーションのためのパターン練習も大切だけど、時にはそれらを一旦忘れて自分の中にあるものを大切にするべきだなって感じさせてくれる。それに、彼は時にピアノのボディやピアノ線を叩いたりして、ピアノの鍵盤を越えて、私の想像力をどこまでもまき散らしてくれるんだよね。

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以下、オマケのテキストです。

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