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うちの教育方針

この春から小学校に入学した長女。
小学校の膨大な提出書類を夜な夜な記入していたら、教育方針を問われる欄があってビックリしました。

うちの教育方針って何だろうね?と夫にも念のため確認したところ、共通認識だったので一安心。

1行だけ「自分で考える」と書きました。

これといった英才教育もしておらず、保育園も両親の利便性一番で選んでおり、非日常体験を積極的にさせてあげられているわけでもない、教育熱心とはとても言えない我が家。子育ての専門家でもないので、果たしてこれが子どもたちにとって良い教育なのかどうかは常に疑問ではありますが、うちの教育方針はこれに尽きると思っています。

キャリア支援の仕事や採用業務でいろいろな方と接してきて、自分で考える力が弱いのは何をする上でもネックになると痛感しています。
なので、我が子には自分で考える強さを持ってほしい。
自分で考えて間違って失敗したとしても、それは必要な経験だし、自分で考えたことなら本人の納得感もある。
とはいえ、何もない中で考えろ!といっても無茶なので、うちの教育方針を実践するために、暗黙の了解で夫婦で大切にしていることはあります。

選択肢を与える

長女は7歳、次女は3歳なので、まだまだ知らないことはたくさんあります。
決して大人の方が優れているわけでも正しいわけでもないですが、大人の方が知識と経験が多いのは事実。
なので、考える上で必要な選択肢は与えるようにしています。
例えば、習い事を決める時にも興味があるものを聞いた上で、考えうる選択肢(正直ここは送迎や時間帯など親の事情を考慮…w)を伝えて、実際に経験させます。
その上で、これがいい!というのを本人に選んでもらうようにしています。
余談ですが…
個人的には自分と同じくピアノをやってほしいと思ってさりげなく提案し続けていますが、頑なに姉妹ともにやりたいと言わないため、本人たちの意志がないと判断して、悲しいですが習わせていません。

実現するためのサポートは可能な限りする

選択肢を与えて選んでもらいますが、たまに子どもたちの方から突拍子もない希望が来ることがあります。
◆長女の場合:「裁判所に行ってみたい」
しかもなぜ興味を持ったかというと、『不思議の国のアリス』の裁判のシーンで裁判所ってどんなところだ?と思ったとのこと。
ちょうど近々夫が有休をとる予定だったので、一番近い裁判所を夫が調べて、長女を連れて行ってきました。
(厳かな雰囲気にビビッて5分で退出したそうですが、何事も経験)

◆次女の場合:「この服でお出かけしたい」
イヤイヤ期ママのあるあるでしょうか。
珍しく都内にお出かけの日。長女とおそろいのお気に入りのワンピースを渡して、一通り家事を終えた後に振り返ると、サイズアウトしたピッチピチのTシャツ&半ズボンというわんぱくコーデでリュックを背負って準備万端で立っている次女。
え、いつもはあんなにこのワンピース着たがってるじゃん…せっかくおしゃれなところに行くのに…としばらく思考停止しましたが、次女はドヤ顔。
せっかくのお出かけだから、むしろ次女なりの勝負服なのだろうと諦め、そっと私のリュックにワンピースを忍ばせて出かけました。

ちなみに、可能な限りのサポートをする上で、お金がかかることを理由に断念させたくないのである程度のお金も必要です。お金の大切さは教えつつ、子どもにはお金の面で我慢させたくない。かといって夫だけに頑張ってもらうよりは二人で頑張る方が気持ちも楽。宝くじでも当たらない限り、我が家はこの先もダブルインカムで過ごしていくと思います。

大人の考えも伝える

一つ目と被りますが、必ずしも大人が正しいわけではないし、子どもを信用したいものの、ちょっとそれはおかしくないか?と思うポイントもあります。そういう時には「こうしなさい!」「ダメ!」と頭ごなしに否定するのではなく、親の私たちがなぜ賛成できないかをわかりやすく伝えるようにしています。

長女がいきなり泊まりのスキー教室に行ってみたい、と言い出した時。親としては行かせて逞しくなって戻ってくることも期待はしたものの、
・まだ一人で寝られない
・一人でお風呂も入れない(髪の毛を洗えない)
・日帰りならまだしも泊まりかつ遠方なので迎えにも行けない
・淋しがりで近所の祖母の家にもお泊まりしたことがない
と不安要素が明らかに多かったので、それを一つ一つ話して、まずは一人で寝てみよう、というところから挑戦。5分で断念したので、長女も納得して、もう少し成長してから行ってみようね、という結果に落ち着きました。

一人で頑張ることはさせない

自分で考えて行動させているからか、責任も自分だと、たぶん二人ともなんとなくわかっています。まだ幼い次女は失敗してイヤイヤが発動して大泣きしますが「これがいいって言ったのはだれ?」と聞くと「あきちゃん!」と言って口をへの字にして悔しさを自分の中に少しずつ消化させていきます。
だからといって、「そうでしょ、だからあなたがいけないのよ!」と伝えるのではなく、一緒に悔しかった気持ちを分かち合って抱きしめます。長女であれば次はどうしたらいいのか一緒に考えます。
特に長女は頑張りすぎて一人で抱え込むタイプなので、頑張らなくていいこと、辛い気持ちや苦しい気持ちがあったとしても常に味方だよ、ということをことあるごとに伝え続けています。
とはいえ、親の心子知らずで、
「小学校で困ったことがあったらお母さんに言ってね」と話したら
「でもお母さんわからないじゃん」とドライな長女に一蹴された頼りない母です。
それでもいつも見守っているよ、ということはくどいくらいに伝えていたい。

子どもには苦労してほしくないので、できる限りのことをしたいと思うのはどの親も共通の考えだと思います。ただ、親が考えることが必ずしも全て子どもにとっていいことではないと思っています。
以前ニートやフリーターの子たちを正社員就職させる事業に就いていた時、優秀な大学を出ているのに就職で躓いてしまった子たちにたくさん会いました。共通しているのが、「大学までは親の言う通りに進んできた」ということ。
良い大学に行って良い企業に勤めれば安泰、という時代は終わりました。
親の常識が子どもが大人になった時の常識とイコールであることは果たしてどの程度あるのかなと思います。

時代に合ったいろいろな教育があるし、もっと積極的に子どもにチャンスを与えてもいいのかもしれないけれど、マイペースな私たち親子はたぶんこのくらいの教育方針がちょうどいいのかな。



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