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育児と仕事は両立しなくていい

育児と仕事の両立、家事と育児の両立、介護と仕事の両立、不妊治療と仕事の両立・・・
悩まれている方も多いのではないでしょうか。
私自身も独身⇒結婚⇒出産とライフイベントを経て、いかに生活を両立するかに悩み続けて試行錯誤していました。
こちらの記事で書いたように、人はいろいろな役割を同時進行で果たしています。なので、両立に悩むのって当たり前なのです。

さて、私が悩みに悩んで出た結論。
両立する必要はない
それに気づかせてくれたのは子どもたちでした。

「両立」という言葉を広辞苑で引くとこのように出てきます。

双方ならび立つこと。両方とも支障なく成り立つこと。

広辞苑

改めて見るとすごく強い言葉じゃないですか?
支障なく成り立つこと、ですよ。
育児をしながら仕事をしていると、子どもの突発的な体調不良で穴を開けることもたくさんあります。仕事が残業になって、保育園のお迎えが遅くなって子どもを寝かせる時間が遅くなることだってあります。
支障が出ない毎日なんて夢物語です。
それなのに、どれも完璧に、どれも問題なく、こなしていくことに頑張ってしまう人が世の中には多すぎると思うのです。
「両立」という言葉が無意識に重くのしかかっているように感じるのは私だけではないはずです。

私自身も、母として妻として完璧であろうとどこか勝手に自分へ課してしまって、どれも中途半端に感じてイライラしてしまう、みたいなことがたくさんありました。

そんなある日、仕事が忙しくてどうしてもごはんを作る時間が取れず、お惣菜を買いに行く時間もなかった時に、ふと皆既月食の日であることを思い出し、急いで握ったおにぎりと冷凍唐揚げとブロッコリーをタッパーに詰めて、子どもたちのお迎えに行きました。
そして、「今日はお月様を見ながらお外でごはんにしよう!」と言ったところ、子どもたちのテンションの高いこと(笑)
あっという間に完食で、私自身もちゃんとしたごはんが作れなかった罪悪感が半減しました。

また別の日、私の体調不良と仕事の忙しさで疲弊している姿を見て5歳の長女がかけてくれた言葉。
「おかあさんがしんどいときにはわたしがやるからいいの。おとなしかできないことだけをおかあさんがやってくれればいいよ。」
2歳の次女ですら買い物袋を引きずりながら持ってくれて、
「おとなっしょ?すごいっしょ?」とどや顔。

その経験から、あぁ、完璧って必要ないんだな。完璧を求めているのは自分のエゴであって、この子たちはどんな母親だろうが、どんな状態だろうが、受け入れてくれるのだな、と思いました。
無償の愛は親から子へ、だけじゃなく、子から親へ、もあるのだな、と小さい二人を見ていて実感しました。

リモートワークが普及して、ともすると仕事と育児の両立がしやすくなったように思えてしまいます。
体調不良で保育園から呼び出しがあっても、子どもを看ながら家で仕事ができてしまう。一見ありがたいし、便利になったなと思うのですが、リモートワークの弊害とも言える気がします。

長女が熱を出した時、寝ている隣でPCで仕事をしていたのですが、寝入る時に彼女はしっかり私の服を掴んでいました。また、熱が下がって自宅療養している間、私に迷惑がかからないように黙って一人でお絵かきをしながら、そっと私に手紙も書いてくれていました。
それを見て、体調が悪くて不安な時くらい、仕事の手を止めてゆっくり一緒に過ごしてあげるべきだったなと反省しました。
これが出社する仕事であったら、仕事には穴が開くかもしれないけれど、家に仕事を持って帰ることはなく、長女のそばにずっといて絵本を読んであげたりしていたかもしれない。
下手に仕事も育児も、と考えると、本当に大切なものを見失ってしまうような気がしました。

そう考えると、両立よりもハイブリッドを目指したい。日本語で言うと「混合」ですね。どちらかがうまくいかなくてもどちらかがうまくいってたらトータルOK。バランスはその時その時で変わってしまっていいのだと思います。

愛情たっぷりの手料理を作る時間がなければ、お惣菜を買って負担が減った時間にたっぷり遊んで愛情を伝えればいい
仕事で疲れたのであれば子どもと一緒に寝てまた明日頑張ればいい
昇進のタイミングだったとしても、自分の中での優先順位が仕事より育児なのであれば、思いとどまったっていいし、またチャンスがあるかもしれない

その時その時の自分にとって何が大切なのか、何に力を注ぐべきなのか、優先順位をつけながら進めていきたいと思っています。

#子どもに教えられたこと

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