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初夏でも銀世界|2014年に噴火した「御嶽山」に登った

今年、2023年5月に活火山、御嶽山おんたけさんに登った。

暑さすら感じる5月でも、だいたい8合目以降はしっかりと雪に覆われていて、一面銀世界だった。
山頂の立ち入り規制があったため登頂はできなかったものの、立ち入り禁止の手前の最も標高の高い地点「二ノ池」周辺まで行くことができた。

御嶽山は、岐阜県と長野県にまたがる山だ。
周りの山と繋がっていない独立峰なので、富士山のように見栄えがよくシーズン中は登山客も多い。

登る前日に「小学生でも登れる山だよ」と職場のトレラン好きの女性に言われ、ネット上を見ても「登山好きには退屈な山だ」という評価もあった。
しかし、それは夏山の話。
5月の残雪期の登山は本当に怖い思いをした。
いつ雪で足を滑らせて、滑落してもおかしくない。

それに2014年の噴火で58人も死者を出した山だ。
自分が登っている最中に噴火してもおかしくない。

女人堂周辺以降は、大量の仏像が並び、死後の世界かと思うくらい厳かな光景が広がっていた。

ニノ池まで辿りつくと、視界が開けて青空が広がっていた。
それまでのガスで覆われていた状況から一変して、絶景が広がっていた。
こんな雪原を5月に見られるとは考えてもいなかった。

池は凍っていた。
融解した池の水が川となり、地上へと流れ出る。
本当に美しい世界だ。

「死」について考える登山

死を感じた。

御嶽山に登っている最中、「死」について感じていた。

①自分自身の死
②2014年に憤火で亡くなった人々の死
③御嶽山を信仰する宗教的な死

3つの死について考えた。

熊が出るかもしれない。
火山が噴火するかもしれない。
雪の斜面から滑落して死ぬかもしれない。

実際に僕が車を停めた黒沢口六合目駐車場では、活火山であることを知らせる無機質な女性の声での警告音が鳴り響いていた。
そして、滑落で連想するのが、配信中に冬の富士山から滑落したニコ生の配信者のことだ。滑落時の遺体は、性別がわからなくなるほどの状態で発見された。
自分自身も死ぬかもしれない。

全国的にも有名な御嶽山だが、僕も知ったのはある事件がきっかけだ。
2014年秋に突然噴火をして、58人もの登山客たちが亡くなった。
登山客たちが噴火の様子を実際にスマホで撮影し、実際の噴火の様子がニュースで放映された。
僕は当時中学生だったのが、衝撃的なニュース映像は今でも鮮明に覚えている。
御嶽山には、今でも発見されていない噴火の犠牲者がいる。

御嶽山は、2014年の噴火以前から、古来から仏教的な信仰が厚い。
登山道までの道中、無数の仏像が並ぶ山道を車で進んだ。
そしてさまざまな仏像や仏教的なオブジェクトが御嶽山には置かれている。
仏教といえばお葬式というように、仏像は死を連想させる。
あの世を連想させるような仏像たちがたくさん並ぶ絶景のなかを登った。
御嶽山からは宗教的な死を感じた。

登ろうと思った理由

御嶽山は、2014年の噴火から10年弱が経過した。
もっと最近のできごとのように感じるが、それほどの月日が流れていたのか。

あれから大学時代に登山にハマり、それなりの数の山に登った。
2022年に長野に移住して、山がより近いものになった。
毎日、八ヶ岳や日本アルプスの山々を眺める生活を送る。

御嶽山に登ってみたい。
そう思うようになったのは自然なことだった。
僕は、ユニークな山ほど登り甲斐があると感じる性分のため、御嶽山に登りたいと思うようになった。

「知っている山だから登ろう」というそんな理由で、僕は御嶽山に登ったんだ。

写真

チェーンスパイクで雪を登る。
今回行った一番高いところ。この先はオフシーズンは立ち入り禁止。
今回たどり着いた最高地点

最後に

この文章、夏前に書いたんだけど、書き溜めて年の瀬になっちゃった。

今年を振り返っても、この御嶽山を登った経験はかなりのものだ。
怖い世界。
恐怖と美しさ。
ほとんど人がいない中、命の危険があった。
滑って落ちてもおかしくなかった。
でも死ななかった。
それが僕を強くしてくれた。

この御嶽山の山行の翌日は、岐阜県内の飛騨地方へ向かった。
下呂温泉と飛騨高山。桟温泉と平湯温泉。付知峡。
いい経験ができた。

雪山は気をつけよう。
舐めないようにして行こう。