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函南駅前から

◆東海道線が熱海駅を出発した。窓の外、トンネルの暗転がいくつか繰り返された。そしてわたしが下車したのは函南駅、日曜日の午前9時より少し前。ホームを歩いているのはわたしだけ。日当たりは良好。空気の透明が冷ややか。幸先は良好。
◆二つ並んだ改札の左側を通った。顔見知りでもない駅員と会釈を交わす。太陽光に引き寄せられる。呼吸を止め、大股に数歩で駅舎を抜けた。光が一瞬で全身と五感を覆った。呼吸再開。遮るものがない。高層ビルどころか低層建築物すらない。商店街どころかシャッターの下りた廃れた店すらない。駅前だというのに、商業的な営みがなかった。ロータリーらしき小広場には、タクシー、自動販売機、郵便ポスト、トヨタ車。牧歌的な駐車場の赤色の「満」のサインは、日常的なのか限定的混雑なのか。この見渡す限りにコンビニやそのサインがないことが、函南のコンテンポラリーアートのスタートだ。わたしのつむじのうしろあたり、直感が騒ぐ。
◆視界の正面には十五分も歩けば越えられそうな山、その先には青空、その先には白雲。人間の生活臭が、都会版も田舎版も香ってこない。この函南駅前ではわたしの日常センスは役に立たないらしい。函南駅前通りは右と左にしか繋がっていなかった。正面は谷と山で、背後は山だった。入ってくる五感情報から、右折は海へ向かい左折は山へ向かうのが分かった。存在音の隙間に水が石を叩く音が聞こえた。冷川の音だろう。川を上るなら山の方に向かうわけで、わたしは左折を選んだ。駅の改札の音が後ろに聞こえた。電子音のジングルはもう必要なかった。道はそのまま左に湾曲し、下り坂。その先がコンテンポラリーアートの道。■