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Home and Native Lands

オタワに行ってきました。今回はガチに仕事です。2019年1月からプロジェクトを進めているドキュメンタリー映画の撮影がやっと始まりました。パンデミックに邪魔されて、道のりは長かった。しかし、ドキュメンタリー映画制作とはこんなものかもしれません。監督と私はドキュメンタリー制作は初体験なので、ここまでいろいろと試行錯誤の3年でした。それだけで、本が一冊書けそうです。

Home and Native Land(s)これがプロジェクト名ですが、カナダ国歌に詳しい方なら、「ああ!」と思うかもしれませんね。フランス語と英語の2パターンある国歌の1フレーズです。フランス語ではTerre de nos aïeux, 直訳すると「私たちの祖先の土地」です。ドキュメンタリーのテーマである日系カナダ人とその歴史を語るにはぴったりの題名だと思いませんか。

この短編ドキュメンタリーには二人の主人公がいます。日本で生まれ育ったカナダ人のスチュワート、カナダで生まれ育った日系カナダ人のヘンリー、スチュワートとヘンリーのカナダ人と日系カナダ人という境遇は違っても、どこか似通った人生を日系カナダ人の歴史とともに描きます。

オタワでの撮影は、この街にくらす日系カナダ人、ヘンリー・柴田さんのインタビュー撮影。ヘンリーさんとご家族の協力を得て、柴田家の自宅で行われました。パンデミック感染は落ち着き、様々な規制も緩和されましたが、ヘンリーさんとご家族の安全を考えて、少人数、最短時間で撮影に臨んだ二日間。かなりの超強行撮影でしたがヘンリーさんは終始私たち撮影チームを素晴らしいホストぶりで助けてくれました。


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日系カナダ人のヘンリーさんは、広島県出身のご両親のもとバンクーバーで生まれました。移民としてカナダにやってきた一世のご両親と第二次世界大戦中の日系人強制キャンプも経験しました。終戦後、日系カナダ人は生まれ育ったバンクーバーや西海岸の街へ戻ることは許されず、ロッキー山脈の東へ定住するか、多くの二世や三世にとって祖国ではない日本へ帰国するかという選択を迫られました。約4000人の日系カナダ人は、住み慣れたカナダを後にし、複雑な思いを抱えながら日本へと帰っていきました。柴田家もその中の一家族、原子爆弾で破壊された広島へと帰国の途につきました。

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壊滅状態だった広島で、生き残った家族を支えるために帰国した柴田家。親戚を助けるつもりが、色々な意味で自分たちが助けられた、と語るヘンリーさん。両親の祖国日本も、自分には異国の地、初めて自分の目で見る広島は、当時16歳だったヘンリーさんにどう映ったでしょうか。

広島で学校に入り、日本語能力を克服しながら医学部へと進んだヘンリーさんは、広島市日赤病院でのインターンシップなどを経て、アメリカ合衆国へ、そして祖国カナダ、ヘンリーさんのHome and Native Landへと戻ってきました。

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初めて監督と取り組むインタビュー構成や撮影は、ナラティブ作品である前二作品とは違い新しい発見ばかりですが、どのように仕上がるのか、今からとても楽しみです。まだまだこれから撮影は続きますが、その様子はまたこちらで紹介したいと思います。

[写真] ヘンリー・柴田プライベートコレクションから(#1:Henry at Lemon Creek, showing off his hockey jerseys/ #2 Henry at Daisen ski hill, Tottori, Japan)


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