お正月の料理で気づく親の変化
母方の祖父母とは離れて暮らしていたのですが、年始や夏休み、あるいは折々に遊びに行っていました。私が中学生になったあたりからですかね、徐々に母がぽつりぽつりと言うようになりました。
「ちゃんと掃除出来てないみたい。多分見えていないのだと思う。」
「お煮しめの味がぼんやりしてきている。」
「同じものがいくつも台所にある。」
祖母と話していると、「思い込み」がそのまま「真実」になってしまって、「○○だった気がする」が「○○だった」になってしまうことがありました。忘れもしないのは、一緒に電車に乗っていたときのこと。販売機で途中の駅まで買って、残りは駅を出るときに精算しましょう、と言っていたのに、いざ改札を出るときにはそれを忘れていて、私が言うことにも耳を貸さずに「通しで全部買ったのに止められるなんて」と駅員さんに文句を言っていて、子供ながら大変に閉口したのでした。
そこから数十年が経過して。
年始に帰省してみると、実家の床がどうも汚れているのです。じゅうたんにこびりついた煎餅のかけらをうっかり踏んでしまって、「!!」となったり。でも母としてはこまめに掃除機をかけているのですよ。ただ、「見えていない」。
電車に乗っていたら「パン買ってきて」という指令が入ったので、パンを買って帰宅して台所に行くと、そこにはすでにパンがあって、「??」と思ったり。
年々、おせち料理を縮小して、自分たち(私から見たら両親)の好きなものだけにする傾向はあったのですが、今年はとうとう、お雑煮・きんとん・黒豆のみになっていました。去年はまだ蒲鉾やなます、煮しめもあったと思うのですが、それすらなくなっていたのです。そのお雑煮でさえ、「ごった煮」みたいな見た目になっていて(文字通り「雑」煮?)、吸い口のゆずの皮もなく(なくはないのだけど底に沈んでいる)、「あれ?」と思ってしまって・・・。
両親とは普段一緒に暮らしていないので、そんな変化に気づいてしまうのがツラい。いろいろ、考えさせられるお正月になりました・・・。
とはいえ、トップ写真のショートケーキは毎年恒例の父の自作でございます。これは頑張って作ってくれていますが、デコレーションをしなくなったなあ・・・。