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大学院に進学するかどうか

今でこそ学部と修士とで通った大学が違うとか、修士と博士とで所属した研究室が違うことはそんなに珍しくはないですが、私が現役学生のときは珍しい部類でした。

「学歴ロンダリング」という言葉も当時は存在せず、入学した大学でそのまま大学院に上がり修士博士と進むのが一般的。もちろん外部受験する人もいましたけど、全体の割合からみたら少数派でしょう。

ワタクシ、その「少数派」。

そもそもは通っていた大学に大学院がなく、進学したいという意思を持った時点で受験決定でした。都内の小さい大学だったので、卒業研究を外部研究機関や他大学など広い範囲で出来たのは利点でしたね。私も学外の研究機関で卒研をさせてもらったおかげで視野が広がり、進学を決意したわけです。

とはいえ(以前にも書いた気がしますが)、修士時代は私にとっては受難の時代でした。周りの(内部から上がってきた)学生に比べると圧倒的に学力にも知識にも見劣りがして、劣等感と自己否定だらけの2年間でした。今にして思うと、案外周りも似たり寄ったりだった気もするのですけどね。当時は自分以外の人たちがみんな優秀に見えて苦しかったです。

自分に対する自信も失っていたし、「仕事をする自分」というビジョンも曖昧模糊でしたから、就活も全敗でした。指導教員の先生からは博士課程への進学を勧められたものの、意気揚々と進学する決意を固めている同級生に比べたら、私なんて無理無理無理とはなから受け付けませんでした。

あんなに「無理無理無理ー」と思っていたのにねえ。

修士を出て結婚して、近所の研究所にパートに行き始めたら面白くなってきて、博士課程に進学することになるわけですよ。

何が自分の考えを変えさせたのかな、と思うといくつかの理由に行き当たります。1つ目は指導教員との相性。

気が合うとか合わないという意味では、私は修士時代の先生とは決して相性が悪かったとは思わないのですが、「やり方」という意味では全く合いませんでした。この先生は一人一人の学生がその日何をしてどんな実験をしてどんな結果が出ているかを常にチェックするような、ある意味熱心な先生だったのです。

私は「勉強しなさい」と言われると途端にやる気を失うタイプ。それが毎日毎日チェックされてダメ出しをされるわけですから、イヤになってしまうわけですよ。

博士での指導教員は真逆で、完全放任型でした。テーマだけ示されて「あとはご勝手に」という感じ。部屋も別で滅多にやってこないので、何をどうすればいいのか、自分で手探りでやっていくしかないのです。私の場合はこれがうまくハマったのですね。

もっとも、この話を知り合いの研究者にしたところ「私は放任絶対無理。ほったらかされたら何も出来ないしやらないもの。細かく指導してもらったから学位が取れたと思う。」とのことなので、やはり「相性」なんでしょう。

2つ目の理由は、「研究者にもいろいろいる」ことがわかったこと。

修士時代の先生はとにかく頭の切れる方でしたし、他の研究機関で実験を教えて下さった研究者の方々もとんでもない記憶力の持ち主だったりして、みんな素晴らしく頭のいい方でした。そんな研究者ばかり見てしまったせいで、修士時代の私は「研究者なんて無理無理無理」と萎縮してしまっていました。

ですがそこを出て違う分野に行ってみて、いや案外研究者って抜けてる人もいるよね、という至極当たり前なことに気づいたのです。もっと気楽に考えてもいいのかな、と目が開いた瞬間でもありました。

3つ目の理由は「テーマ」。

元も子もないじゃないかと言われたらオシマイなのですが、その自分の研究テーマをどれだけ好きになれるかということです。卒論や修論は基本的に教員が示してくれるものですし、博士では自分でテーマを見つけるとしても研究室全体のテーマから逸脱することはないはずなので、やはり基本的には教員のテーマということになるでしょう。

今から思うと、修士時代はそれなりに一生懸命やっていましたし面白いと思っていましたけれど、そこまでの熱望はなかったのですね。夜遅くまで実験していても、「終わらないからやむを得ずやっていた」だけで、決して「熱中していてこんな時間になった」というわけではない。

博士のテーマはたまたま私にとっては面白かった、あるいは自分で面白くしたのかもしれませんが、これは熱中できるものだったわけです。だから学位を取っても「これくらい面白いことがあるなら」と研究を続けているのでしょう。

私は面白いと思えることを見つけられて、面白いと思うことを出来るのですから、幸せなことだと思います。