努力と才能とコンプレックスと幸福の話
ここらへんの記事が話題、というか燃え盛っていたので、努力や才能という言葉に対して自分は今どう思ってんだろうな~ということを記録として書き溜めておきます。上の記事の内容とはあんまり関係ないです。参考になる人に参考になれ。
才能もあるし環境要因もあるし運もあるし努力はほとんど関係ない
結論
結論から言うと、多くの人が肌感覚で知っているように、成功する(ここでは人並み以上の暮らしをすることを指します)かどうかはひとえにその人の持つ選択肢の広さで決まります。
そして、選択肢の広さは才能や環境や運で決まります。個人的には環境>運>才能ですね。親ガチャなんて言葉が流行るのも、誰しもが環境に一縷の不満を抱いているからでしょう。
そもそも努力という言葉の使い方がおかしい
皆さん当たり前のように努力という言葉を「夢を叶えたり社会を成立するためにすべからくすべきもの」という文脈で使ってますよね。ぼくは言語学者じゃないので確証はありませんが、多分、これ日本人だけの感覚な気がします。
実際、英語で日本の「努力」に該当する言葉はないんですよね。「make an effort」は「できるかぎり頑張るよ~」くらいの言葉ですし、「exertion」になると「死ぬほど労力を費やして作業する」くらいの言葉になります。
多分、日本でこれほど努力という言葉が独り歩きしているのは、エジソンのせいだとおもいます。「天才とは1%のひらめきと99%の努力」この解釈は(本人の弁も含め)色々あると思いますが、どっちにしても「才能と努力の両輪こそが成功には必要なんだ!」というイメージを植え付けます。
これ、原文は
「Genius is 1 percent inspiration and 99 percent perspiration.」
なので、本人は「韻も踏んでてええやん!」くらいの感覚だったと思います。Perspiration には元々「汗」「汗かいて頑張る」くらいの意味しかありません。しかし、みんな「ええやん!」と思ったので当時から既にこの言葉は大いに独り歩きし、エジソン自ら弁解する羽目になったわけです。
努力する才能は存在するけど、なくても問題ない
努力する才能という言葉をよく聞きまして、これもまた大いに論争を生むのですが、自分は実際のところこれは「ある」と思います。しかし、ちょっと思っているものとは違うかもしれません。
人間(あるいは生物全般)は元来「努力できない」のが自然だと思います。だから、報酬系が必要なんですね。人間は人間社会にとって有益なことに対してオキシトシンなりドーパミンなりを放出する個体が生き残ったからこそ今があるわけです。
なので、夢を叶える、あるいは成功するために人がなすべきことは、努力ではなく「自分なりに報酬系を感じられる」ものを見つけることです。ここに「選択肢の広さ」が関わってくるわけですね。
人間は何かしらに興味を抱きます。興味を抱いたことがビジネスに繋がるなら、それは幸せなことです。実際は興味を抱いていることがお金にならないことの方が多く、趣味として活動するために日銭を稼いでいる人の方が多いのですが、最近 Youtube などで「自分の趣味の活動」が収益化できたりもするわけで、そういう意味では結構いい時代になったなあと思うわけです。
で、努力する才能ですが、たまーに極小の報酬でめちゃくちゃ頑張れる人がいます。一日十二時間勉強して東大入ったりハーバード入ったり。成果の出ない研究を何十年も続けたり。プログラミング言語仕様にめちゃくちゃ詳しい人とかもそうですね。こういう人たちは、努力する行為そのものが楽しくて大体やっています。これは努力する才能と言ってもいいかもしれません。
一方で、努力する努力もあります。アスリートは必然的にキツイ練習を無報酬でこなさないといけないので、幼少期からみっちりしごかれるわけです。アスリート全員が「練習大好き!」というわけでもないのに努力できるのは、そう訓練されているからなのです。(あるいは、全く努力できない人はその時点でふるい落されます)
で、それが成功に寄与するかといえば、確かに博識な人はそれなりに珍重されますし、メチャクチャ頑張ったアスリートは最低限プロとして活躍できることも多いでしょう。しかし、芽が出ないまま生涯を終える研究者や、プロ一年目で挫折したり、プロになったけど食べていけない人なんてのもごまんといますし、「必ずしも寄与するとは言えない」程度の表現に留めざるを得ないとおもいます。
好きこそものの上手なれ
じゃあ、何が寄与するかといったら先程述べた通り。自分の性質に合う好きなことあるいは得意なことを見つけられるかどうか、です。
多くの成功者(ここでは会社の経営をして本を出したりしている人などを指します)は「自分は好きでやっていただけ」「やりたいことをやっていたら運が味方した」「たまたま時代と環境がよかった」ということを言います。めちゃくちゃ努力しました!なんて人はそういう筋書きの書籍以外で見たことないですね。好きこそものの上手なれ、は実に本質的だとおもいます。
ちなみに、ぼくも努力できない側の人間です。学生の頃一時間半だけ勉強してテストでそこそこの成績を取っていたんですが、「もうちょっと勉強時間増やしてもっといい成績取ろうか」と言われて「え、無理……」ってなりました。無理。
娯楽が好きでゲーム作ってたらこうなりましたが、プログラミングは嫌いですし才能もないとおもいます。プログラミングが好きな天才たちによって作られたライブラリ群に足を向けては寝られません。
努力ではなく、コンプレックスとの戦い
アドラー心理学の言葉で、「劣等コンプレックス」というものがあります。これは、劣等感は誰しもに発生するけど、それをバネとするか、コンプレックスとするかはその人の問題、というものです。劣等感を抱くこと自体は悪いことではなく、劣等感をこじらせて劣等コンプレックスにしてしまい、自ら行動の障壁にしてしまうことこそが諸悪の根源なのです。
スヌーピー(PEANUTS)の有名な言葉に、こんなものもありますね。
才能がなかったり、恵まれていない環境にいたとしても、それをコンプレックスとするか、それを乗り越えて夢を追いかけるかは本人の問題です。大事なのは、結果として乗り越えようが乗り越えまいが、どちらも素晴らしい人生だということ。
幸福な人生とは、実際は成功することではなく、コンプレックスから解き放たれ自分の価値観を尊重して生きることです。劣等感と向き合って、思い悩むその過程こそが大切なのです。
他人に言われる筋合いはない
が、ここで敵が登場します。インターネットです。こいつはいつも人の人生を台無しにするな。
日本はインターネット普及率が異常に高く、住民税非課税世帯であっても余裕でスマホからインターネットにアクセスできます。ネットに生息するインフルエンサーは他人の羨望を食べて生きているので、見えるのはキラキラした世界ばかり。世界には自分の上位互換が何人もいて、自分はいかにも劣っているようにしか見えません。あー電話を作ったエジソン憎い。
そういうコンプレックス・ポルノに浸された人たちは、自然と他人を攻撃したり、マウントを取るようになります。「努力できないのはそいつが怠惰なだけだ」「環境や才能を言い訳にするな」そんなことを言われたら誰だって、「格差に目を向けろ!!」って叫びたくなります。戦いの始まりです。
繰り返しますが、コンプレックスとは自分の中の問題であり、コンプレックスとの戦いは自分との戦いです。「環境や才能を言い訳にしない!」は環境や才能に恵まれない自分が、自分に向けてしか言ってはいけない言葉なのです。
他人といくら戦って、時に論破しても、それは自分の中での戦いを放棄して、自分を傷つけているにすぎないのです。
インターネットをやめろ
インターネットをしていると、あたかも「無知蒙昧でいることは罪であり、現実を見て、成功のために努力しなければならない」という価値観が普遍的であることに思えますが、それは錯覚です。先程も言ったようにインターネットのヒエラルキーは見てくれの華々しさだけで決まるので、みんなでパリコレのモードくらい着飾ってますが、人生の価値はそんな所には全くありません。
99%の他人の意見や物差しや価値観はただのノイズだとぼくは思っています。あるいは、この記事でさえも。どこまで行っても、結局納得できるのは自分が考えたことだけで、自分を導けるのは自分が出した結論だけなんですよね。まず、自分の中で折り合いをつけるしかないのです。
一人で考えるのが辛ければ、古くからの友人と言葉を交わしましょう。この歳になると気付きますが、インターネットで着飾ってない自分を認めてくれる友人ってとても大切ですよね。それが未成年の頃からの付き合いならなおさらです。(念のため言っておきますが、あなたを非条理に攻撃するような人間は友達ではないので距離を置きましょう)
そして、インターネットをやめろ! 自由になれ!
まとめ
成功するかどうかは才能と環境と運に因るが、それすらも幸福な人生には大して関係がない
努力という言葉に惑わされてはいけない
自分の中で折り合いを付けるしかない
インターネットやめろ
余談:極度の貧困について
衣食住が保証されない、「文化的で最低限度の生活」ができない極度の貧困については例外となります。インターネットできないし。生活保護が目指すラインがそこなのも、極度の貧困状態にある人は選択肢そのものを持てないからですね。
しかし、制度の不理解や窓口の対応によって生活保護を貰えず極度の貧困に陥る人は残念ながら日本にも存在します。そういった人たちには一般論では対応できませんので、社会問題として社会全体で支援していく必要があります。
それでも俺は成功したいんだ!!という人へ
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