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020 「モノを残す営為」を執筆しました 

 京都市立芸術大学の卒業生である写真家故井上隆雄のお仕事をまとめた『写真家井上隆雄の視座を継ぐ 仏教壁画デジタルライブラリと芸術実践』が刊行されました。本プロジェクトは京都市立芸術大学芸術資源研究センター重点プロジェクト美術関連資料のアーカイブ構築と活用 井上隆雄写真資料に基づいたアーカイブの実践研究であり、本書は活動記録集という位置付けになっています。
 井上隆雄さんのお仕事は多岐に渡りますが、その中でもインド・ラダックやミャンマー・バガンの壁画にフォーカスしてデジタルアーカイブを行うとともに壁画の模写や模型の作成を行った活動を記録しています。本学の正垣雅子先生をはじめ国立民族学博物館の研究員の方々が写真資料の可能性について論じておられるので、是非ご一読いただきたいと思います。
 本プロジェクトの中で、私はフィルムを始めといた中間生産物ともいうべきものをどのように実体保存していくか、活用するにあたっての著者権の問題整理などを担当しました。そちらについては今後も続いていくものであり、その経緯を含めて機をみてまとめることにしたいと思います。
 ここでは、現時点での思いのようなものを書かせていただいています。短文なので、(少しだけ手を入れましたが)ここに掲載させていただくことにします。


ラダック アルチ寺三層堂一階文殊菩薩千体仏

モノを残すという営為

 京都を主たるフィールドに研究を進める私が直面しているのは、さまざまな理由で家財を廃棄する事に決めたのだが産廃業者の手に委ねるのは気が咎めるので価値があるものがあれば引き取って欲しいという依頼。やはり、時折ではあるが驚くようなものが出てくることがある。そういえば、ネットオークションを覗いてみると思いもよらないようなものが思いもよらないような値段で出品されていることもある。

 この状況が生じる理由は三つ。一つ目は、代替わりなどで家族(先祖)が収集してきたものではあるが自分自身にとっては価値がないと考えたという理由。もう一つは、建て替えなどをしたので、それらを収納しておく場所がないという物理的な理由。最後の一つは、本来は価値があるだろうなと思いつつも修繕・修復する経費もないという理由。モノの価値がわからないなどということではなく、その人にとっては手元に留めておく価値がないと判断されたからに他ならない。勿体無いと思うけれど、私自身の生活に当てはめてみると致し方ないと感じるところはある。

 完成形の作品などならば価値づけも容易であり、保存するべきものを選択することも可能であるが、何かを生み出すために副産物的に生じた「中間生産物」というべきものに対する取り扱いは極めて難しい。例えば、日本画ならば写生・小下絵・大下絵・本画といった流れのうち前三者がそれに当たり、着想を得るために収集した資料もそれに加わるだろう。
 芸術作品のリソースとして重要であるとはいえ、一つの作品が世に出るまでに生じる中間生産物の物量は夥しく、これらを全量保存の対象とするかどうかが悩ましいのだ。近年、作品のみならず原画や落書きなどを含めた大量の中間生産物をも展示することによりアーカイヴしていくという〈庵野秀明展〉が開催された。(私の周りでは)大きな話題を呼び、(その界隈では)非常に評価された展覧会だった。〈鈴木敏夫とジブリ展〉も同様で、名作のバックヤードを覗き見てみたいという興味関心が一定以上あることは理解できるが、それは名作だからこそなのだろう。一方、名作とはいえない友禅染の型紙が業態の変化により廃棄が進められているが、このままだと友禅染の優品を下支えした生産構造の実態が明らかにされることなく雲散霧消してしまう。これもまた残しアーカイヴしていくべきものであると言える。
 つまり、モノにとって価値づけされるものになり得るかどうかは、先に挙げた自分にとって価値があるかどうか、この時点で決まってしまう。極めて大きな最初の関門であると言える。

 価値づけされたものは雨露をしのぐ収蔵庫に移されるが、モノによるとシビアな温湿度管理が必要なものが多い。
 日本映画発祥の地との自負がある京都府は京都文化博物館にフィルム収蔵庫を設け、室温5度、湿度40%に保ち約800作品の経年劣化を抑えている。ここでは施設の建設・維持管理に加えて、それらの保管・活用にかかる専門職員を雇用している。莫大な経費を要する。フィルム類ほどではないが、紙や自然素材でつくられた作品も同様の体制がとられる。容易に想像できるが、それにかかる経費は膨大である。
 人類が生きるために何かを生み出す度に残していくべきものは増え続けるのだから、その経費は減ることはなく増え続けることは間違いない。人口は減少し右肩上がりとはいえない経済状態の中、保管環境を整えた収蔵庫を新たに建設することは簡単にゴーサインが出るようなものではないのであり、価値づけされたとて良好な状態で保管されるかどうかの関門をくぐることになる。

後世に残すべきものは何か、残すべき仕組みをどのようにつくっていくか、残し続けていくための施設や関わる人にかかる経費をどのように捻出するかが喫緊の課題であり、その只中に井上隆雄資料も含まれるということになるのだ。

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