見出し画像

小関啓子さん×東本久子さん対談インタビュー                私たちが思う、杉並の市民運動の歴史とその強み

映画の中でも区長選に向けて奔走する姿が印象的だった小関啓子さんと東本久子さん。映画パンフレットにはそんなお二人の対談インタビューも収録されています。30年に渡って区政と区長選を見つめ、いち市民として戦ってきたお二人だからこそ知っている杉並区の歩みと市民運動の歴史。ここではその一部を番外編としてお届けします。パンフレットとあわせて是非お楽しみください。

写真 左:東本久子さん 右:小関啓子さん 写真/田中創

30年前にわたる市民運動を今一度振り返って
 
東本 小関さんとはかれこれ30年一緒に市民運動を行ってきたけど、最初の出会いは中学校でしたね。娘が在学中で私はPTA役員をしていて、小関さんは理科の先生でした。最初の“運動”は制服の廃止。
 
小関 パンフレットでは詳しくお話したのだけど、生徒たちが本格的に動き出して、議論を積み重ねたことで廃止にすることができたのよね。「自分たちの行動で学校を変えられるかも」と生徒たちが思えたことで風向きが変わった。あれは立派なムーブメントでしたね。
 
東本 他にも、給食のセンター方式や教科書の採択に声をあげたり、通学路にできる中央道路にも反対運動をしたりと様々なことを変えるために議論をしてきました。
 
小関 給食のセンター方式に声をあげたのは、阪神大震災での出来事がきっかけでしたね。センター方式のままだと、災害時に困るから変えた方がいいって動き出したのよね。緊急時に学校の給食室はライフラインになるから。中央道路の時にはPTAで反対の座り込みをやったりもしました。あの頃、学校は市民運動の場であったし、PTAは、子どもを学校に通わせている親たちが議論を交わし、学ぶための場所でもあったんです。署名もたくさんやっていたし、市民運動をPTA発でやるっていう時代。杉並区は市民運動が活発だけど、当時からそういう素地はありましたね。
 
東本 みんなが学びたいことを企画する。そういう勉強会からスタートして、コツコツ活動を積み上げてきたことで機運ができた。灰谷健次郎さんの言葉にもあるけれど、学ぶことで意識って徐々に変わっていくんです。市民運動が面白いのはそこなのよ。私自身もすごく変わったし、周囲も変わっていった。その実感は今でもよく覚えています。
そして、そういった活動の延長線上に区長選もあるんですよね。2000年の教科書採択問題の時に「杉並の教育を考えるみんなの会」っていうのを立ち上げたんですけど、発足当時は4,5人の小さな会だったんですよ。そこから10年間で800人を越える人が集まって、そのネットワークは今の市民運動の全ての基盤にもなっているんです。そんな風に小さなところから、一人、また一人と個人が繋がっていくことでネットワークって生まれていくんですよね。
 
小関 環境問題にしても、道路問題にしても、教育問題にしても、市民運動の動機は区政に対する疑問や異義だから。そこは同じなんだよね。
 
東本 区長選の前年の衆議院選挙の流れも杉並が大きく変わる決め手の一つだったと思います。「ここでまず投票率を上げるしかない」とみんなで奔走しました。「選挙に行ったって何も変わらない」っていうムードもあったけれど、そこを変えないと何も始まらない。そんな運動の甲斐もあって、自民党の石原伸晃氏が東京8区で敗れた上、比例代表の東京ブロックも惜敗率で及ばず落選。投票率も上がったし、大きなうねりになりました。その頃から「区長を変えたい」っていう思いは、あらゆる活動をしている人達の中に共通してありましたよね。
 
小関 そう。各々が普段の生活で感じているあらゆる問題のどれをとっても、区長を変えることで一つの変革になるだろうと。逆に言うと、そうしなければ、私達の暮らしはいつまでも変わらないままということ。普段は違うテーマを掲げて活動をしていても、その一点でみんなが一つに繋がれると思ったんです。
 
東本 有権者は多様なのだから、私たちのように活動する人間も多様でないと勝てない。そう感じました。だから、まずは杉並のいろんなところでサークルを作って勉強したり動いたりしている人たちと繋がって、「住民思いの杉並区長をつくる会」っていう会を立ち上げました。
 
小関 そこでまず「どんな区政にしたいか」っていうことをみんなで議論したんですよね。ものすごい時間をかけて話し合った。ぶつかることもあったけど、あの過程がないと、一つにはなれなかったし、選挙にも勝てなかったと思います。
 
東本 政策のビラ一つにしてもすごく議論しましたよね。「政策は机上の空論であってはいけない」と思っていたから、「こんな言葉じゃ駄目だ、届かない」ってみんなで意見を出し合ってね。選挙に出る人のことを私はすごくリスペクトしているんです。自分をさらけ出さなきゃいけないから。岸本さんは竹を割ったような性格で、「そこまでさらけ出さなくていいよ」っていうくらいやる人だった。
 
小関 それがハレーションを起こして、結果的にはすごい革命になったのよね。私も相当やり合ったけれど。
 
東本 小関さんと岸本さんが言い合っている様子は、映画のワンシーンにも出てくるわよね(笑)。
 
小関 まさかあの場面が映画に使われるなんて思ってなかったですよ(笑)。でも、候補者と市民が思いを共有することはすごく重要だったし、岸本さんはそれをやってくれる人だった。
 
東本 岸本さんは海外での暮らしが長かった人だから、最初は日本の選挙活動にカルチャーショックを受けている様子も見受けられました。その様子に私たちもまたカルチャーショックを受けたりもして…。でも、私たち市民が心に決めて擁立した人だから、とにかく一人でも多くの区民に「岸本さとこ」という名前と彼女がどんな人かを知らせたいと思っていました。
 
小関 いい意味でみんなが勝手に、いろんな駅に散らばってチラシを配ったり、「選挙へ行こう」と街宣をしたりしていましたよね。びっくりしたのは、投票前日にチラシを3万枚作って、1人300枚ずつくらい配り切ったこと。10時に事務所行ったらもう全部なかったのよ。
 
東本 あの時は「ものすごい接戦になるかも」と感じると同時に、「このままでは負けてしまうかもしれない」っていう怖さもすごく感じました。直前で田中前区長もものすごく活発に選挙活動を行っていたし…。だから、最後に駄目押しのチラシを配ろうってなったんだよね。
小関 その一つ一つが票に繋がった。だって、187票差だもの。みんなのやったこと全部に意味があった。選挙を知らせること自体が広がって、投票率が上がったことも大きかったですよね。
 
東本 そうよね。振り返って思うと、最初はお金も全然なくて、「このままじゃチラシ代が払えない」なんてこともありましたよね(笑)。映画に映っていないところでもいろんな人がいろんなところで走り回っていました。
 
小関 そもそも候補が決まるより先に政策が決まっていたんだもんね。「19日は区長選挙です!」ってチラシを撒いて、「候補決まったの?」って聞かれたら、「鋭意努力中です」って答えるような、そんな状況(笑)。そこから、たった2ヶ月で当選するなんて、本当にすごいことですよね。

大切なのは「個」として繋がること、女性が前に出られること
 
東本 杉並の市民運動の強みって、エライ人がいないところじゃないかなって思うんですよね。よその団体はおじさんが仕切ったりしているけど、うちは窓口の様な役割はあっても上下関係はない。基本横並びでみんなが対等に活動をしているんです。選対でも立憲の議員も共産党の議員も無所属の議員もどの人も対等平等でみんな同じテーブルについてやっていたんです。「どうぞこれをやってください」って下請けみたいな形で住民がビラを配ることもあるだろうけど、うちはそうはならないし、させなかった。あくまで「個」として分散して繋がっていたから、分断のされようもなかった。
 
小関 そうだね。
 
東本 そんな風に活動してきたから、政党と一緒に運動をやっているという感覚は全くないんです。あくまで住民が個人として繋がっていく。そうやって築いたネットワークが何より重要だった。「市民と野党の共闘」という言葉があるけれど、それは今日思い立って突然できることではなくて、市民間で様々な個人と個人の交流や繋がりがあったからこそできたことなんです。
 
小関 だから、私達の中では「野党と市民の共闘」とは言わない。「市民と野党の共同候補」として岸本さんを推した。あくまで「市民」が前に来る形に捉えているんです。そこにはこだわっている。だって、岸本さんは「住民思いの杉並区長をつくる会」という市民の集まりが擁立した候補だから。
 
東本 そんな個人と個人の繋がりの中では、今まさに立ちあがろうとしている人を孤立させないということも重要でした。私がすごく感動したのは、若いお母さんが「児童館をなくさないで」と立ち上がった時。彼女は当然街宣なんかしたことないし、最初はチラシ1枚配るにも精一杯だったのに、二、三回やったら、もうこのままマイクを離さないんじゃないか、ってくらい喋っていたの(笑)。その様子を見てすごいなと思ったし、みんなそれぞれ、言いたいことがいっぱいあるんだって思った。そういう人たちが、今もそこかしこで動いてくれているんですよね。
 
小関 女性が主体的に動くことができること。これは、杉並の市民運動のいい特徴ですよね。
 
東本 そうですね。あらゆる運動の歴史を振り返っても、いつの間にかおじさんが仕切っていて、下手したら女の人はお茶くみをやらされているなんてことがあるもの。
 
小関 生活者の目線には女性が絶対必要なんですよ。例えば子育ての目線、そこはもうある意味では女性でなければいけない局面もある。日本はジェンダーの視点においてはいまだに男社会に引きずられてしまうところがあるけど、それじゃもうだめなんです。
 
東本 女性が縁の下の力持ちみたいな役割をやる羽目になりがちだけど、そういう立場こそ男性にやってもらって、暮らしを背負っている女性が前に出ていくことに意味があるんですよね。私達の自慢は、20代から90代全ての世代が揃っていること。そして、女性が前に出られること。これは、選挙に勝つためにも重要なことだと思います。
 
小関 正直言うと、杉並区はこれからが本当に大変な時を迎えると思っています。区長が変わって新しい議会が始まっても、そう簡単に全てが住民の願うようには変わってはいかない。そんな中で、私たちはどんな困難があってもこの区政を支えなくてはいけない。そこだけは乗り越えなくては思っています。
 
東本 一つ一つをどう変えたらいいのかということが、これからもっと問われていきますよね。だから、今変革が起き始めている区政を時間をかけて成熟させて、もっと強くしていかないと。「選挙は続くよ、どこまでも」という言葉通り、選挙はゴールじゃない、スタートだから。

取材・文/丘田ミイ子(文筆家・杉並区民)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?