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【映画】12歳の時『スタンド・バイ・ミー』を観て私の映画人生は始まった


掛け値なしの思いやりをくれた人
【スタンド・バイ・ミー】(1986年/アメリカ/監督ロブ・ライナー)

■ジャンル/青春、友情、冒険
■誰でも楽しめる度/★★★★★(マニア度低し)
■後味の良さ/★★★☆☆(もの悲しいが、しみじみとした感動)

(個人の感想です)



※以下、映画の内容にふれます

****************

 映画が大好き。
 でも、「いちばん好きな作品は?」と聞かれたら、邦画か洋画かによっても違うし、ジャンル別ならともかく、全体としてナンバー1を決めるのはとても難しい。

 さらに人から「おすすめは?」と聞かれても悩んでしまう。その人の好みやマニア度、年代や環境によっても違うから、これも考える時間が必要だ。

 ――でも、「映画を好きになったきっかけは?」と聞かれたら即答できる。

 『スタンド・バイ・ミー』を観たことだ。

 この映画を観た時、私は主人公の少年たちと同じ、12歳だった。
 残念ながら劇場ではなく、レンタルビデオだったけど、これはもう、衝撃と言ってよかった。

 本当にどこにでもいる普通の小学生だった私は、設定としては数十年前の、はるか遠い街で、同い年の少年4人が繰り広げる冒険に・・・いや冒険というよりも「生きている姿」そのものに、心を打ち抜かれた
 それまで何となく観ていたアニメやテレビドラマとはまったく違う、「子どもの人生」がそこにあり、息づかいまで伝わってくる気がしたから。




(1)ざっくりあらすじ・・・悩み多き少年たちの2日間の冒険

 
 映画のつくり自体は、とてもシンプル。

 舞台は1959年のアメリカ(日本では昭和34年というとイメージが湧くかも)、オレゴン州のキャッスルロックという小さな――人口1281人の――架空の街。
 そこに住む12歳のゴーディ、クリス、テディ、バーンという仲良し(いわゆる悪ガキ)4人組が、ある目的のために森の奥深くへ、小さな冒険に出かける

 4人の少年と、彼らがひた歩く森の風景で大半のシーンが構成されていて、映画自体「ひと夏の冒険」と紹介されることもあるけれど、実際はほぼ2日間の出来事。
 少年たち以外の登場人物もさほど多くないし、だから話そのものは、小学生でも(とくに高学年なら)充分に理解できると思う。


 冒険の間、立ち入り禁止区域に入って猛犬(?)に襲われそうになったり、汽車に轢かれそうになって猛ダッシュしたり、沼に入って全身(とか大事なところ)をヒルに食いつかれたり・・・と、次々に起こるハプニングは観ているだけでも楽しい。

 
 ーーけれど、子どもらしい笑顔に垣間見える彼らの人生は、なかなかハードで、胸をぐっとつかまれてしまう。


ひたすら線路を歩く旅…片道50kmってホント?(イメージ)


(2)本筋はここにある・・・大好きな兄の死、味方じゃない大人、苦しい心のうち

 
 4人のうち、中心となるゴーディとクリスは、深刻な家庭の事情を抱えている。
 
 小説を書くのが好きなゴーディは数カ月前、大好きな兄デニーを事故で亡くしたばかりか、父親から愛されていないことに苦しんでいる。
 死んだ兄は家族のなかで唯一、ゴーディの才能の理解者でもあった。宝物の帽子をくれるくらい、愛情にあふれた兄だった。これだけでもう、泣けてくる。

 一方、クリスは不良の兄をもち、家庭環境のせいで周囲から悪ガキとレッテルを貼られている。悪ぶっているけれど、本当は優しく賢い少年だ。クラスで給食のミルク代盗難事件があった時、犯人と決めつけられたクリスがその後、どんな思いをしたのか、誰も知らない。


 冒険という非日常のなかで、だんだん本心を明かしていく2人。彼らはもうすぐ中学生で、「進学コース」か「職業コース」を選ばなければならないという岐路にも立っていて、悩みが深い。


 ーー観ていると、子どもの苦しみとしては現代となんら変わらないとも思う。

 
 そしてそんななか、森を歩きながらクリスが、小説なんてどうでもいいとヤケになるゴーディを、とてつもなく、まっすぐ励ますのだ。

 (英語が得意ではないので、以下、地上波で放送された際の、吹替のセリフを引用します)

クリス「おまえは愛してくれない父さんに反抗してるんだ。父さんの関心はデニーだけだったもんな。・・・お前はまだ子どもさ」
ゴーディ「よせ、父さんのマネすんな!」
クリス「本気で心配してるんだ。おれが父さんなら、職業訓練コースをとるなんて言わせないよ。神様がお前にくれたんだぞ、小説を書く才能を。子どもっていうのは大事なものも簡単に捨てたがる。だから誰かが注意してやんなきゃならないんだ。おまえの両親がダメなら、それをやるのはこの俺しかいない

映画『スタンド・バイ・ミー』金曜ロードショー吹替より/訳・森みさ

 
 

(3)最大の観どころ・・・子どもだけの世界、むき出しの魂の美しさ


 ーーだんだんと明らかになる胸のうち。
 そして夜、焚火の前、テディとバーンが寝ている横で、2人だけで話をするゴーディとクリス。

なぜだか素直になってしまう(イメージ)

 
 そこでクリスが打ち明けた信じがたい事実は、盗んでしまったクラスのミルク代を、反省して担任の教師に返したが、そのお金を教師がネコババし、自分は犯人のまま終わった・・・ということだった。

 そう、この映画は、爽やかなだけの友情物語ではない
 これでもか、というほど、子どもの味方をしない大人が出てくるのだ(ゴーディが買い物をする雑貨屋のオヤジも、簡単にゴーディを傷つける。何も言わなきゃいいのにね・・・)。
 誰かがそれを掬い上げなくてはならない。本当は夜の森で、子どもだけで泣きながら話すようなことではないから。

クリス「俺もうやだよ。どっか行っちまいたいよ、誰も知らない土地にさ・・・。こんなの意気地なしだと思うか?」
ゴーディ「思うもんか・・・わかるよ」

映画『スタンド・バイ・ミー』金曜ロードショー吹替より/訳・森みさ

 

 
 子どもは心に武器を持たない。Tシャツとジーンズというこれ以上ないシンプルな服装と、ただそこにある大自然が、まるで少年のむき出しの魂みたいに、そこに存在するーーそういう映画のように、今は思える。

 先日この映画を観返したら、やっぱりこの焚火のシーンで泣いてしまった。


 初めて観た時、12歳の私は、少年たちの姿にただただ圧倒された。
 その時はうまく言葉にできなかったけれど、映画であっても、フィクションであっても、そこに一片の真実があるということは、子どもでもわかる。そのくらい、クリスとゴーディが映画のなかで生きていた。


そして・・・翌朝のゴーディの秘密(イメージ)



(4)冒険の終わり・・・に私は知る、こんな凝縮されたドラマを観せてくれるのが映画というものなんだ!

 
 そんなわけで、夜が明け、翌日もいろんなことがあって、最初の思惑と違ったかたちにはなったものの、ゴーディたち4人はなんとか無事に冒険を終わらせて、キャッスルロックに帰ってくる。

2日しか経っていないのに、なぜかキャッスルロックが、前より小さく、見知らぬ街に見えた。

映画『スタンド・バイ・ミー』金曜ロードショー吹替より/訳・森みさ

 

 それぞれに帰っていく、バーンとテディ。残ったゴーディとクリスは、高台から街を見渡し、話す。


クリス「いつかこの街を出られると思うか」
ゴーディ「君ならなんだってやれるよ」

映画『スタンド・バイ・ミー』金曜ロードショー吹替より/訳・森みさ


 
 ーーこの2日間の冒険が彼らにもたらしたものは何だったのだろう。


 その後、ゴーディとクリスは進学。やがてクリスは努力を重ねて大学を卒業、ついには弁護士にまでなったと語られる・・・すごいじゃないか。彼の精神の強さは本物だったのだ。そしてゴーディは作家になった。


 当たり前だけど、自分がどうしたいか、何を選択するかが、いちばん人生に影響を与えると思う。
 ゴーディとクリスは環境からくる困難をそぎ落とし、自分の魂にしたがって生きたのだろう。けれどもし12歳のとき、お互いの存在がなかったら、自分を信じて生き抜くことができただろうか。 

 
 ーー観終わって、12歳の私がトータルで抱いた感想は、「映画ってすごい!」というものだった。

 
 こんな凝縮されたドラマを観せてくれるのが映画というものなんだ。

 
 もっともっと、いろんな映画を観てみたい!


 完全にハマった。そして10代の後半は、自分の持ち金の大半をレンタルビデオショップと映画館(と書店)におとした。それが血肉となった。

 社会人になり、雑誌の編集部で映画担当になったことも勉強になったけれど、どんなに環境が変わったり年齢を重ねても、映画への情熱が薄れないのは、『スタンド・バイ・ミー』を12歳の時に観た感動がいつもそばにあったからだ。

 
 ちなみにこの映画で私は、子どもながらに「男の友情」を少しだけ理解した気がする。
 お互いを汚い言葉でののしり(!)、歩きながらお尻をけり合ったりしながらも(笑)、深いところでは絆で結ばれている・・・そんな友情のあり方は、女同士では難しい、たぶん。


(5)名文&名ラストシーン・・・「誰でもそうなのではないだろうか」


 この映画は、作家になったゴーディが、少年時代を思い出しながら、小説として書き綴る・・・というスタイルをとっている。物語の構成としては珍しくないけれど、この映画ではこれ以上ない効果をあげていると思う。


 そして、作家ゴーディが小説の最後として締めくくる言葉が素晴らしい。この映画のラストは、これ以外に考えられない。

 英語原文では、

I never had any friends later on like the ones I had when I was twelve. Jesus, does anyone..

映画『Stand by me』より

 
 ーーとなっていて、前半は直訳すると「私は12歳の時のような友人をそれ以来持ったことがない」という意味になるのだけど、後半の  Jesus, does anyone..  がとても英語的な表現なので、日本語として理解する場合、訳す人によってニュアンスが違ってくる。
 そして吹替版も何本か観たけれど、「パソコンに表示された英文」だけを見せて、ナレーションで語らずに終わるパターンもある。ちょっと寂しい。

 字幕、吹替、どの訳が好きか、どのニュアンスがしっくりくるか・・・は人それぞれだけど、いまの私は、数年前に地上波で放送された吹替の訳がけっこう気に入っているので、それを書いておきたい。

「私は、あの12歳の時に持った友人に勝る友人を、その後、二度と持ったことはない。誰でも、そうなのではないだろうか」

映画『スタンド・バイ・ミー』金曜ロードショー吹替より/訳・森みさ

 

 
 そして小説を書き上げた作家ゴーディは部屋を出ていき、映画のタイトルにもなっているベン・E・キングの名曲『Stand by me』が流れるのだった。


秘密基地…2人のラストシーンもツリーハウスでした(イメージ)



(6)絶対的に映画の一部の主題歌『Stand by me』は最後まで聴いてナンボ

 
 この、あまりに有名な主題歌。サビで歌われる「darling」=ダーリンという英単語には、直訳できるぴったりの日本語がなかなか見つからない。誰が歌うか、誰に歌うかでも違ってくるからだ。ーーでも、総合的には「大切なあなた」なのだろうと思う。だからこの映画にとっては友達だ。

 
 聞いていると、まるでこの曲を堪能するための壮大なPVだったのでは・・・と思えるほど、映画の内容にマッチしている。名シーンを思い出しながら、宝箱を静かに閉じていくような余韻がもう、たまらない。

 もし「映画の内容とエンディング曲が完全に一体化している作品選手権」なるものがあったら、私の中ではこれがナンバー1だ(地上波で放送されると、曲が途中で終わってしまいすごく残念・・・。最後まで流してほしい)。


 Stand by me・・・そばにいて。

 未熟な、何者でもない自分を受け入れ、ただ「大切な人だから」という理由で掛け値なしの思いやりをくれる人。
 
 この映画のゴーディにとって、それをしてくれた相手は同い年の、同じように心に傷を負った少年だった。

 あなたがいたから今の自分がある。何度観返しても、私がこの映画から感じ取れるメッセージはとてもシンプルだ。

 人生にはこういう相手が必要だし、願わくば、自分も誰かのこういう相手になれたら・・・と思ったりもする。


 ーー誰でも、そうなのではないだろうか。

次の汽車は意外と早くきますよ(イメージ)



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