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『はだかの太陽』アイザック・アシモフ

動機1『はだかの太陽』というタイトル

90年代の後半、Moon ChildというバンドがEscapeという楽曲を出していた。ともさかりえ主演のドラマのタイトルになった曲で、たぶんこのバンドのヒット曲はこの1曲だけだったのではと思う。Moon Childというバンド名からCharの影響を受けているんじゃないか?と思えたが確証はない。ただ、Charを崇拝する私にはグッとくる1曲だった。その中の歌詞に妙にひっかかるものがあった。

裸の太陽 ああ、この胸に 熱く輝きながら
今目覚めはじめる この想いきみに届くまで
Love you, love you , love you , love you
走るだけ

Escape by Moon Child

この歌自体はラブソングの要素もあるけれど、人生にあがき悶えてる人の苦しみを表現した歌のように思える。それで、歌の主旨とは関係ないけど「裸の太陽」ってどんな太陽なんだろう?と、とても心に引っ掛かっていた。
この歌の中の「裸の太陽」主人公の心の中にあるものなのだろうけど、私は光の放射が見えない巨大な衛星を連想してしまった。

動機2 翻訳者の魅力

私は小尾芙佐さんという翻訳家がとても好きだ。最近ではジョージ・エリオットやジェーン・オースティンなどの文学的なものも訳されているが、初期の頃はアシモフやル=グウィンなどのSF翻訳を多く手掛けていた。年まれが、なんと!1932年、私の母よりも年上。しかもWikipediaによると最新作が2023年なので、まだ現役の可能性も十分あり得る。SFは読みなれていないけど、小尾さんの訳とあって書店で見つけしだい買ってしまった。

この物語の世界

宇宙人というとどこか遠い惑星からやって来て地球を侵略しようとする…というイメージだが、本書で言うところの宇宙人スペーサーはもともと地球人で他の惑星に移住していった人々、地球は人口過密でひしめき合っているのに対して、それらの惑星は1人の人間に対して約1万体のロボットが奉仕する優雅な社会。健康管理もしっかりされ寿命も200年、300年とある。いわば地球以外に暮らすスペーサーは富裕層で、地球に残っているのが一般庶民という図式だ。

物語は新しい惑星の一つソラリアで起こった殺人事件を解決するために地球人の刑事イライジャ・ベイリが派遣される。そもそもソラリアでは殺人事件が起きたことがないので、現地ではとうしていいのかわからない。ベイリは事件の関係者に直接会って話を聞こうとするが…この星の人間は人と人とが直接会って話をする習慣がない。常に映像を通して対話している。対面を拒絶され、証拠物もロボットに処分されて…と思うように操作が捗らない。おまけに外出するとなると地球人のベイリには太陽の直接光は有害で具合が悪くなってしまう。

いまの環境と照らし合わせてみて

冒頭、主人公が他の惑星に派遣されるわりにニューヨーク・ワシントン間の飛行機を恐がるなど、なんとも可笑しい。この作品が書かれたのが1957年、60年以上たった現在は人型ロボットはそれほどいないが、生活のいたるところにAIが関与している。まだ人と人が顔を合わせて暮らしているが、ZOOMを使ってリモートで話すこともでき、SNSを通して人と繋がれるので、他人と会わなくても生きていける社会ができつつある。アシモフの予言もかなり的中していると思う。

工場見学に行くと長いレーンを有する一部屋に機械の不具合をチェックするために一人のスタッフがいるだけ。スーパーやコンビニなどでは店員さんはバーコードを読むだけでお金は客が直接レジに払う。人との接触がどんどん薄れていくけど、これも致し方ない状況なのかもしれない。反面引きこもりやコミュ障の人も増えている問題も起こっている。

小説の中で子どもを躾けるのはロボットだけでは限界があるという記述があった。まさにその通りだと思う。アシモフ先生は老化のことはあまり考えていなかったようだ。ソラリアの人たちは200歳過ぎても元気で病気もしない。けれども現実には人間は年を取るし病気にもなる。医療や介護の現場にロボットの導入を叫ばれているが、そのジャンルもやはりロボットだけでは限界があるように思われる。

高度経済成長期やバブルに浮かれていた時代にこの本を読んでも、へええで終わってしまったかもしれない。コロナ禍を経て労働力不足の今だから無性に身に染みるものを感じる。


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