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チェロのヴィブラートの仕組みと伸張反射

 この文章は、ヴィブラートをこれから学ぶチェリストに向けて書いています。あるいは、それが出来ている方にも参考になるかも知れません。
 チェロでヴィブラートをかけるには、主に左手の指を振動させることによって行います。「主に」と書いたのは、それ以外の部位でかける可能性がないとは言えないからです。また、ヴィブラートは重要な技法のひとつではありますが、「ヴィブラート」という言葉がイタリア語の音楽用語として表現されていることから分かる通り、かける事ができるだけでは出発点にすぎず、それを使うか使わないかということも含め、音楽的な意味を持たせるためには、そのもの以外の多岐にわたる技術や価値観、表現方法が必要です。しかしここでは、まずはその出発点に並ぶための単純化の一つとして、指の振動と伸張反射との関連についての考察を行います。
 単純化と言いましたが、この考察の内容はあまり単純ではないかもしれません。予めお断りしておきますが、ここで話され生理解剖学的内容は、チェリストである筆者が聞きかじりの情報を、チェロの奏法の説明のために論じているもので、体の何がしかの異常の治療等に資するものではありません。そのようなことが気になる場合、例えばチェロを弾いていて手が痛むとかそういった場合は、必ず医師など専門家に相談してください。
 
1.なぜ指の振動がヴィブラートとなるのか

 演奏を聴いていて、はっきりわかることでもありますが、ヴィブラートは音程が上下に変動する振動を含んでいます。指の位置が弦の上の位置を行ったり来たりすれば音程がそれにつれて変動するのは当然ですね。そしてよく聴いていると、音程の変化とともに、音質も強く変化しており、同時に音量もわずかに変化していることがわかります。これは、指の弦に当たる方向や強度が振動しているからに他なりません。また、その周期については、様々です。すなわちヴィブラートは、音程、音質及び音量を適度な周期で振動させるものですが、それを実現するために指の振動が一番手っ取り早いのです。

2.楽器を使わず指を振動させてみる

 楽器を使わず、指を振動させてみましょう。それでも少しチェロを弾いている形に似せてみようと思います。
 楽器を持たずに椅子に座ります。
 まずローポジションを想定した位置から。左手を軽く開いてください。完全に指を伸ばしている状態に比べると、指の関節全体を四割程度曲げている、ぐらいの感じでしょうか。というより、もうチェロの左手はある程度学習していることでしょう、その程度の形を空中に作ってください。
 そして、左肘を軽く張り出し、2か3のどちらかの指先を、みぞおちのやや左側、肋骨が感じられるあたりに押し付けます。その状態で、体に触れている指を上下に振動させてみてください。指先を支点にして、前腕を上下に振る感じです。指先を肋骨の間に押し込んでいるようですよね。
このとき、指先を大きく動かさないように適度に重さをかけていれば、指の関節も伸びたり曲がったりするはずです。
 実際のヴィブラートでも、音程に振動を与えるとは言え、指に荷重をかけずに弦の上を滑らせるわけではありません。ある程度しっかり弦を押さえておくために、何らかの方法で荷重をかけています。その結果、その音の場所周辺で、指を振動させ、指の関節も伸縮します。
 この事が、後にこの考察に於いては重要なポイントとなってきます。
 さて次に、ハイポジションを想定してみるとどうなるでしょう。基本的にはローポジションと変わりません。左手を、胸から、左ももに移動して、同じことを試みてください。
 位置が変わっただけで、だいたい同様のことができると思います。指が、つまり手のひらが下向きで、肘の開きが大きく、腕全体が無理のない姿勢になっているために、こちらのほうが楽かもしれません。この場合も同様に、指の関節が伸縮しながら、太ももに指を押し込んでいるようになりますね。
 ローポジションのときと注意すべき違いがあります。それは、前腕を振動させる方向です。どちらかと言えば上下とか、前後とかの縦方向ではなく、左右の横方向に振るほうが容易ではないでしょうか。あるいはその中間の斜めかもしれません。
 このように、手の場所によって腕の振動が容易な方向が変わってくるのは、関節の構造を考えれば当然なのですが、ヴィブラートでは、ポジションによって方向が変わる、あるいは変えるとより振動させやすくなるということに繋がります。
 実際、親指が指板の上に上がるようなハイポジションの場合は、弦に沿った方向(上下、または前後)に腕を動かすのではなく、斜めに右上から左下に向かって動かすほうが容易に動きます。
 楽器を使わずにといいながら、楽器を使った想定の話も少し入りましたが、まずは体だけを使っての指の振動は、腕の振動から生ずることを感じてください。

3.振動の源泉「伸張反射」

 ヴィブラートはどの程度意識的にコントロールできるのでしょうか。
 楽器を持たずに振動を起こすことを試みたので、同様のことを楽器を構えてやってみましょう。うまくすれば、この時点ですでに出来てしまう方もいるかも知れません。ぎこちなく、動いたり止まったりするという方もいるでしょう。どちらの場合も、ここでちょっと話を聞いてください。
 そもそも、周期的な振動を起こしている仕組みは、意識的に腕を動かしていることだけにあるのでしょうか。その原因に「反射」があるとすれば、その部分は、意識的には出来ないことになります。
 伸張反射は、筋肉が引き伸ばされようとした瞬間に収縮してもとに戻そうとする反射です。この反射は体中目に見えないところで起こっています。そもそも、立っている、姿勢を保っているという状態自体が、筋肉の伸長反射の働きに強く支えられているのです。
 立っているとき体は常に重力によってバランスを崩して倒れようとしますが、足の筋肉(及び体中の筋肉)は倒れようと引き伸ばされる筋肉を収縮させもとに戻すという働きを細かく行うことによって、倒れずに済んでいるのだそうです。
 しっかりと疲労なく立っていると、伸展と収縮を繰り返しているようには感じにくいですが、片足で立ってみるとわかりやすいのではないでしょうか。ふくらはぎあたりが意識とは関係なくプルプル震えてきませんか。
 なるほど、人形で人間と同じ形状、重量のものを作ってもすぐ崩れてしまうのに、人間がうまく姿勢を保っているのは、この伸張反射のおかげなのですね。
 伸張反射は骨格筋の持つ一般的な性質なので、指も例外ではありません。指には筋肉はなく、前腕にある筋肉によって遠隔操作のような形で関節が動いていますが、その前腕にある屈筋、伸筋の伸張反射の繰り返しにヴィブラートが関連していると考えてよいのではないでしょうか。
 もちろん、100%反射であるはずはなく、直立の姿勢を保つために足の筋肉が行っている反射の振動ほどは早くない振幅とするための環境を、意識でコントロールしているということです。これがヴィブラートの意識的コントロールの度合いということです。
 楽器を使わない振動で、指の関節の伸縮が重要と述べたのは、この動きを説明するためです。腕が動かされ、指の関節が伸ばされると、伸張反射により屈筋が収縮に働いて、関節は曲がろうとします。また曲げられると、伸筋の伸張反射により、伸びようとします。
 反射を働きを感じることはできるでしょうか。もしかしたら、「私は意識して腕を動かしているのであって、反射はわからない」と思われるかもしれません。確かに、腕は意識で動かしています。感覚的に反射を知るために、次のことを試してみます。
 先程のハイポジション用の手の位置、すなわち左ももに指を置きます。軽く荷重をかけて腕を振動させる場合(チェロを弾いている想定に近い)と、荷重を変えずに指先を滑らせて振動させる場合(単に弦の上を指が滑っている想定に近い)、どちらがどのように感じるかを味わってみてください。前者が強く指(前腕)の筋肉に反射が生じているはずです。

4.楽器を構えて指を振動させてみる。

 楽器を構えて、左手を第一ポジションD線に用意してみます。先のとおり、ハイポジションの方が振動が容易であるらしいのですが、ほとんどの人はローポジションからチェロを習得するでしょう。最初は弓は使わない、つまり音は出さない方が良いです。なぜなら、振動がままならないうちに音を出せば、とっさに音楽的表現を良くしたいという気持ちが働き、それが目的の邪魔になる可能性があるからです。
 ヴィブラートが指の伸張反射に関わっているとすれば、足などが直立姿勢の安定を保つように、指が本来安定させようという状態、いわば指の静止姿勢を持っている必要があります。これは、もちろんこれまでに習得した左手の指の押さえ方で良いのですが、改めて次の点に注意してください。

・親指が、ネックの裏側で握りしめる形になっていないこと。場合によっては、親指はネックに触れていない方がわかりやすいかもしれないので、試してください。
・肘の位置を適切にし、主に腕を自分(楽器)に向かって引き寄せる方向に荷重をかけ、指で弦を押さえ。指板に向かって荷重をかけること。
・荷重を受ける指板を安定させるために、楽器を安定させること。つまり、楽器が触れている身体の部分、左足、胸などが安定するように座り、楽器を置いていること。
 
 このように、ごく基礎の状態を再確認することで、指が安定すべき状態を知ることが出来ます。
 そして、振動を与える指以外は指板からわずかに浮かせます。
 関節の動きの容易さを考えると、残す指は2の指、もしくは3の指から始めるのがわかりやすいでしょう。2の指Fの場所としておきます。
 基礎では、目的の音の指番号以下の指は、弦にすべて配置しておくことになっていますがすべての指に荷重がかかっていると、振動に係る関節の動きが複雑になり実感しにくいので、ここでは、目的の指一本だけを残しておきます。

 ここまでは、すべて意識的に楽器を構え、指を配置してきました。先に述べたとおり、反射の力を借りますが、そのためには、意識的に反射が働く環境を作る必要があります。直立姿勢の保持は倒れまいとする反射ですが、この環境は主に自然にある重力の働きによるもので、強い意識は必要ありません。
 ヴィブラートにおいては、安定した状態とは指板に静止している指の姿勢なので、指の関節が伸びる方向のきっかけを作ってあげることを考えてみます。その方法が、楽器を構えずに行った振動の試みの中にあります。この状態で、肘、上腕、意識ができれば肩甲骨周りの筋肉を使って、指が弦後方に動く方向にわずかに動かそうとしてみます。
 その瞬間、意識的に戻そうとするより早く腕、指が反応し、元の位置に戻ろうとします。これが伸張反射の働きです。この試みは、余計な筋肉の緊張などを避けるため、できるだけリラックスして行ってください。実感が薄いときは、緊張を避けつつ少し間を開けながら繰り返し試してください。
 このパルス的な反射が感じられたら、次に一定の周期、例えば、MM50くらいの間隔でくりかしてみます。その間隔を狭めて連続して振動するようになれば、振動は完成です。
 楽器を使った振動の練習はこれで終わりではありませんが、あとは、指を変え、ポジションを変えて同じことを行うだけです。ある程度の振動が出来たタイミングで、弓を使ってロングトーンで弾いてみてください。

5.伸張反射とヴィブラート

 この考察は、これまでの演奏や指導を否定するものではなく、むしろ積極的に肯定するものです。音楽的な指導や学習はこれまで通り取り組んでいくべきです。ただ、反射という側面から捉えることで、ヴィブラート(及び演奏技術)の音楽的な見方も、少し変わるのではないかと考えています。
 たまに、「音程をごまかすためにヴィブラートをかけるんですか」という問いを受けることがあります。確かにヴィブラートの振動は音程の変化をもたらします。しかし、大作曲家が残した楽譜という音韻情報から、彫刻を彫るように音楽を創り上げるクラシック音楽芸術においては、正しい音程は欠くことの出来ない構成要素の一つです。
 なのになぜヴィブラートなのかという問いの答えの一部を、筋肉の機能である「伸張反射」が答えてくれているように思います。
 すなわち、人が転ばず直立姿勢を取るように、正しい音程を安定状態で保つ。人間が生活して動くごとく、装飾としての振動がヴィブラートであり、それでも人が立ったままでいられるのも、音楽的に乱れないでいられるのも、伸張反射がうまく働いているからなのです。
 音程があまりに変化しすぎているヴィブラートは、ほとんど倒れかけている人の姿のようで、頼りありません。音程をごまかすためではなく、むしろ正しくいるためにヴィブラートをかけるとも言えるでしょう。
 実は、ヴィブラートと伸張反射について考えることになった個人的なきっかけがあるのですが、それはまた新たに別な記事でお話しする予定です。

 今回は以上で終わります。

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