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自己主張と我儘と大学と

自己主張と我儘の違いって日常において明確でないと思う。
片方が自己主張の範囲だと認識していることがもう片方にとって我儘と受け取られることは多いように感じる。その人が自分にとって大切かどうかで受け取り方は異なると思うし、人望溢れる人はより多くの人から我儘と受け取られずに済むだろう。

大学に通うメリット。少し前まで、私は大卒の肩書がもらえる、くらいしか見当たらなかった。

最近気づいたこと。生きやすくなる。

私は正直、地元の中学校が苦手。
馬鹿騒ぎする集団とか、個性とマナー違反を勘違いしてる集団とか、真面目という言葉を冷やかすように使う集団とかが苦手。大嫌いって思わないように頑張ってるよ。
華奢な子に対して、華奢という言葉じゃなくてガリガリとかゆう言葉を使う輩が多い。ほんっとに苦手。偏差値とIQの低さが会話に滲み出る集団、これは言葉が尖り過ぎた。醜い感情が湧き上がる。

中学校は好きじゃないけれど、高校は好き。大学は別に楽しいわけじゃないけれど、まあ好き。

これって、生きやすいからだと思うんだ。

なんでかって、当たり前のレベルが自分と同じ位だからだよ。当たり前のレベルってきっと育ってきた環境が大きく影響していて、その当たり前に自己主張と我儘の範囲も含まれていると思うんだ。中学時代苦手だなと感じていたタイプの人は、高校では出会わなかった。大学でも。高校、大学で過ごしてきて思ったことは自分と似たような家庭環境だったり、人生経験を積んできた人が多いということ。だからこそ、自分の中でのルールやマナー、選ぶ言葉や人に対して絶対使わない言葉が似ていて過ごしやすいんだと思う。

自己主張と我儘の明確な違いが分からず意見することが苦手だったり、大丈夫とかどっちでもいいとか、便利な言葉を多用しちゃうけれど、そしてそんな自分自身が凄く嫌いだったけれど。無意識に人を不快にさせるより、良いと思うんだ。

こんな些細な事や、相談する程でもない小さな悩みを消化させてくれるのは、当たり前のレベルが同じ位の友人達。明確な自己主張と我儘の違いは分からないけれど、きっと彼らとはそのぼんやりとした認識が合う。だからこそ、彼らの何気ない一言でさえも救われたり、気づきをもらえたりするんだと思う。そのぼんやりとした認識が合わない人からの一言は気づきを与えることが少なくただ、棘になってしまうことが多い気がする。

人間関係って厄介だね。こんな文章書いてる私も厄介だ。厄介事を考えるうちに厄介と一体化している。

自分がより生きやすい環境を作る為の大学、私にとってはこれが一番大きな理由かもしれない。

大学に行くメリット。それは、生きやすい環境が手に入る。かな。


勿論、大学が全てじゃないです。
今、生きにくさを感じているのなら何処か別のコミュニティに所属する、書店や喫茶店に通って店員さんと話しても良いと思うし、趣味の繋がりで友人を増やしてもいい。

ただ、もし、今、学校が苦手だと感じる中高生がこの文章を読んでくれていたら、生きやすさを求めて大学進学を目指すこと、アリだと思います。


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