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服好きはどこから始まったんだろう。第二話

こんばんは。
前回の話から少し話が続きます。

大学生になると世間は裏原ブームへ移り変わっていました。
当時、メンズノンノで連載していた藤原ヒロシさんの”A LITTLE KNOWLEDGE”を読んだ時に衝撃が走りました。

古着のリーバイス505にエルメスのダッフルコート。足元はレッドウィングのアイリッシュセッター。カバンはPORTER。
アメカジにちょっとモードを取り入れるファッションセンスに手がワナワナしたのを今でもよく覚えてます。

それからは藤原ヒロシさん界隈にどっぷり。
A BATHING APE、UNDERCOVER、GOODENOUGHなどなど裏原ブランドに足を入れました。

そこからドンドンと派生してコムデギャルソン、ヨウジヤマモトなどハイブランドにも目を向けるようになり、ファッションの世界の奥深さを知り、着る事の楽しさを知りました。

服を買いたくて、バイトをして、様々な服を着ました。
気づけば、アルバイトもアパレル。
大学を出てからもアパレル。

服飾系学生に負けない精神が確立されていました。
でも、今、振り返るとこの時の自分は本当に最低でした。
ブランド品に身を纏い、雑誌に掲載された服と同じ物を着て、なんかオシャレを気取っていました。

これは個性ではないです。
きっと、周囲も同じように観ていたかもしれません。

お金に物を言わせれば、何でも手に入ります。
でも、それはお金がなくなると買えなくなります。勤めいた会社は倒産し、私は家業に入りました。しかし、お金は前よりも稼げず、着古され、流行から外れたブランド物をいつまでも着ていました。そして、体型が変わり、それすらも着れなくなる始末。
新たにお金を得ようと買取に出しても定価の1/10…
新しい服が買えず、辛かった…
そこで、この社会人になってからの買い物が失敗だった事に気付かされました。

数多く、買い物で失敗をしてきましたが、サイズ違いなどの見た目の失敗ではなく、渾身の痛手でした。

その後、支えがなくなった私は、オシャレもしなくなり、何かに対し、楽しさや面白さを見出せなくなる時間を何年も過ごす事になりました。
そして、あの音楽に出会いました。

eastern youth 男子畢生危機一髪

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