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【猫や猫②】 野良猫のケンカ見届け午前二時

自慢じゃないが猫素人だった。
前に住んでいたアパートで庭に来る野良猫に餌をやったり、冬場は部屋のストーブに当たらせたりしたけれど、責任をもって飼ったことなどなかった。
実家で飼っていたのは犬だったし。

十六年前。六月の土曜日。
図書館に行く道すがら子猫を見つけてしまったのだ。
駐車場で車の下に隠れているくせにミャーミャー声を上げていた。
ここ三日ほど夜になると、どこかで子猫が鳴いていた。
こいつだったのかとよく見れば、全身黒く汚れている。
逃げ回るのを何とか捕まえた。黒い汚れはベタベタの粘着質のものだった。汚れたから捨てられたのか。そんなの捨てる理由にならないが。
けれど私もどうすればいいのかわからなかった。
そもそも私の住まいはペット禁止のアパートなのだ。
覚悟など何ひとつなかった。

【細い声ひとりじゃないと猫が鳴き】

汚れた子猫をアパートに連れて帰ってとりあえず無糖ヨーグルトを与えてみる。
ぺろぺろ舐めた。よしよし。
風呂場で身体のベタベタを取ろうと試みた。
そもそも猫にシャンプーをしていいのかもわからない。こわごわ湯をかけてみたが、そんなことで粘着質の汚れが取れるはずもない。
濡れた小さな身体をタオルで拭い、肩を落として途方に暮れる。
そうか。「途方に暮れる」とはこういう状況かと身に染みる。
やがて子猫は玄関の腰掛け台の下に潜って隠れた。
私の靴と靴の間で粗相をした。下痢便である。ヨーグルトはまずかったか。
雑巾で掃除して子猫も拭いて、部屋の真ん中でまた途方に暮れる。
暮れっ放しである。

実はアパートに帰る前、近所の獣医二軒に駆け込んでいた。
「捨て猫を拾った」と訴えれば引き取ってくれると思っていた私が甘かった。適当にあしらわれて仕方なく自分の部屋に連れ戻ったのだ。
けれど猫素人の私にはどうしようもなかった。
まだパソコンもGoogleもなかった。
いや、あったのかも知れないが我が家に装備されていたのは親指シフトのワープロだけだった。
ちなみに携帯電話はガラケーで、電話といえばFAX付きの家電だった。
紙の電話帳で調べてまず電話したのは保健所だった。「殺処分」という言葉はまだ知らなかった。電話は呼び出し音が鳴るばかりである。今思えば誰も出なくて幸いだった。
仕方なく先の二軒とは違う獣医を調べて電話した。
「捨て猫を拾った」とまた言ったら即座に「連れてらっしゃい」と答えてくれた。
それが、かかりつけ医になった。
仮にママペットクリニックと呼ぶ。

【飼い猫の匂い枯野の記憶かな】

デパートで財布や化粧品を買った時に入れてくれる小さな手提げ紙袋がある。
子猫はそれに余裕で入った。すっかり眠っている子猫を手提げ袋に携えて家を出た。
ちなみに当時我が家には自動車も自転車もなかった。どこに行くにも徒歩である。江戸時代か。いや平成だったが。
ママペットクリニックは徒歩+電車+バスを乗り継げば一時間はかかる場所だった。けれど歩けば直線距離で二十分なのだ。
ぽくぽく歩いてクリニックに赴いた。

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