見出し画像

【猫や猫⑩】もう一度やり直したい空よ空

私は毎朝ベッドを出ると、掛布団を半分に折る。
ベッドの中に温もりや湿気が残るのが嫌なのだ。
猫めは昼間その折った掛布団の間にはさまって寝る。
いわゆる柏餅である。
餡子が猫。
太っていた頃の餡子なら捲って見るのも楽しかったが、やせ衰えた姿はあまり見たくなかった。

猫めが食べなくなって何日もたつ。
点滴だけで生きている。
今や一日の大半を柏餅で眠っている。
もうそう長いことないだろう。
11月いっぱいが寿命か。
……と覚悟していたのに12月に突入していた。
おい待て!
いつまで生きるつもりだおまえは?
正直、年内には決着をつけて欲しかった。

この頃はもう落語会に行く数も減っていた。
猫めは寝ているだけである。私がいてもいなくても関係ない。
けれど万が一にも帰って来て冷たくなっていたら後生が悪い。
そんな思いで購入済みチケットを何枚も無駄にした。

そして12月19日。
Xデーである。

私は年末のゴミ出しに供えて、古いパソコンを分解していた。
無料で捨てるにはバラバラの部品にすればOKと市役所に電話確認していたのだ。
天気のいい日だった。
空は澄み切っている。
猫めは二つ折りの掛布団の中で寝ている。

散歩がてら落語会のチケットを発券しに家を出た。
まず郵便局で落語会主催者に振り込み。
次にコンビニで二枚のチケットを発券する。
この先三件のお楽しみである。
その足で江戸川の土手に出て川沿いのサイクリングロードを散歩した。
冗談のように青く高い空だった。
川面がきらきら光っている。

家に帰ると猫めは相変わらず布団の中にいた。
実はこの頃はもう点滴をやめようと思っていた。
いつも点滴針がうまく刺せずに痛い思いをさせている。
そうまでして生き永らえさせなくてもいいのでは?

「安楽死」を選べばパパ動物病院に行かねばならない。
麻酔をしてから決定的な注射をするらしい。
ただでさえ獣医が大嫌いで診察台の上で硬直してしまう猫めを、最期にそんな所に連れて行くことはなかろう。
脱水症状の果ての衰弱死。
それなら家の中で済む。

と思っていながら、その日も私は点滴をした。
やはりうまく刺せずに二度目の針で滴下している最中に、猫めはガーガー鳴き始めた。トイレに行きたいと訴えているのだ。
おむつをしているのだからその場でしても問題ないのに。
点滴を止める。

猫めをトイレに連れて行った途端に、例によって猫砂にべったり這いつくばって排泄する。下痢便だった。
おむつを交換して、ふと日向ぼっこをさせてやろうと思いつく。
かれこれ何日、陽の光を浴びていないのか。
ずっと布団の中で寝てばかりである。

猫めを抱いて窓際のクッションに寝かせた。
軽くなった身体はクッションの丸味に添って転がって仰向けになってしまう。起き直る力もない。
助け起こそうとしたら、立ち上がって並びの籠ベッドに行こうとした。
自分の四肢で歩いた。偉いぞ!
じゃあ籠ベッドにきちんと寝かせてやろう。
と抱き上げた時、首がクケッとなった。この音も私の演出である。そう聞こえた気がしたのだ。

首を起こす力もないまま舌に(下顎のずれのせいで舌は二つ折りになっていた)気管を塞がれたのか、喉に広がっていた癌に気管を圧迫されたのか。
その辺はもうわからない。
何か決定的な事が起きたのはわかった。
あわてて平らな所に寝かせた。
声をかけた。
心臓マッサージの真似事もした。
猫の鼓動は人間よりかなり早かったはず。
ととととととと……無駄に左胸を叩いてみた。
ととととととと……
みるみる瞳孔が広がって行く。
こんなに大きな瞳孔は見たことがない。
むしろ可愛い。
などと思っているうちに、猫めは完全に動かなくなった。
息はない。
鼓動もない。
目はまあるく大きい。
いやまぶたは閉じたはず。
記憶にないが。
ええと……
とりあえず時計を見た。
……12:45

【何故に逝く日向ぼっこをするはずが】

それからは一気呵成である。
ペット葬儀社は前々からネット検索していたが決めかねていた。
この時、市役所に即断即決したのはパソコンを分解してゴミに出す途中だったからかも知れない。

何しろ年末だ。諸々が休暇に入る前に手配しなければ。
猫めをこのままにして年を越したくはない。
そうして夕方、市役所が遺体を引き取りに来ることになった。

きれいな段ボール箱に猫めが日常的に使っていたファブリックを敷いて遺体を収めた。
おもちゃやチュールも入れてやった。
最後まで迷ったのは歯だった。
抜けた二本の牙、米粒よりも小さな前歯、それらは保管してあった。
市役所のペット葬儀は遺骨が戻って来ない(戻る方法もあるが手間である)。
遺骨代わりに歯は手元に置いておきたい。
けれど、もしあの世で何も食べられなかったら可哀想だ。
結局ポチ袋に抜けた歯の全てを入れて、顔の横に添えてやった。

夕暮れ時、市役所がやって来た。
冷凍車だった。
作業員が段ボール箱を冷凍庫に入れて走り去った。
もちろんゴミとは別の焼却炉があるという。
明日、他の遺体と共に焼却するとのことだった。

よかったね、ぐーちゃん。
ずっと一人で他の猫に触れることもなかったけど、最期はみんなと一緒だね。
次に生まれて来る時は一人者の家じゃなく、大勢家族がいる家に生まれておいで。
絶対に猫を捨てない家にね。

バイバイぐーちゃん。
十六年間ありがとね。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?