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【note】センチメンタルは1人エンタメ

娘たちと公園でサッカーして
くたくたの枝瀬です。

疲れているときは
文章も、
つかえつかえになりますね。

心身が整っているときの方が
するすると文章が書ける気がします。

さてさて。


やっぱりいいな、小説

昨日の記事で
夏目漱石について
ちょっとだけ触れました。

書き終わった後、
久しぶりに漱石の作品を
パラパラとめくったんですね。

そしたら、
あー、やっぱりいいなって
懐かしい気分になりました。

というのは
最近、全然フィクションに触れてなかったので。

小説をよく読んでいたのは
高校から大学くらいで

社会人になってからは
実用書に触れる機会が増えました。

授業で教えるときに
物語を読むことはあるけれど、
それは、やはり仕事です。

授業で、
生徒が学ぶために(小説を)扱うのと、

純粋に僕自身が(小説を)楽しむとでは、
微妙に(楽しみの)ニュアンスが変わります。

小説を通じた自己対話

漱石の小説を読みかえしてみたとき、
結構(過去の自分の)書き込みが
あったんですよ。

そうすると、
過去の自分がどんな考えや気持ちで
この小説を読んでいたか思い出したり、

読んでいた場所や時間に
タイムスリップなんかもして。

(過去の書き込みを読んで)
「未熟だな」と思う一方、
「変わってないな」とも思いました。

僕、
精神年齢が、
高校生くらいから変わっていない気がします

みなさんはどうなんでしょう?

センチメンタルジャーニー

ふと思うことがあるんですよね・・。

どうして
自分には子どもが3人もいるんだろう?

どうして
先生やってたんだろう?

どうして今こうして
noteで文章を無理くり
ひねりだそうとしているのだろう?

今ここに自分がいることに
違和感が生じること、
みなさん、ありませんか??

僕は、昔から先生や親に
「ボーっとしているわよね」
と言われるタイプです。

それは
四六時中、物思いにふける傾向が強くて
他人の話を聞いていないということなんですけどね。

まあ、きっと
そんなセンチメンタルな雰囲気を
自分勝手に楽しんでいるだけなんでしょう。

一人エンタメです。

それで
たとえば、
漱石『草枕』のこんな一節を読むと、
嬉しくなる。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、
越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、
住みにくい所をどれほどか、くつろげて、
束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

ここに詩人という天職が出来て、
ここに画家という使命がくだる。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、
人の心を豊かにするがゆえに尊い。

夏目漱石『草枕』

いいなあ。

最近、いいなあ、って思ったら
速攻でnoteのネタにしているかも。

「いいなあ」って思った記事にも、
即コメントで感想を書けますから、
noteは、そこがいい。

すごすぎて
何も言えなくて
コメントを書けないときもあるけど、

「感動しました」
「感激しました」
「心が動きました」

っていう喜びを
こうして可視化し続けて、
あとで読みかえしてみたら、
楽しいですね。

それができるnoteは
僕にはとても心地がよい
「サードプレイス」
です。

noteは自分が書く記事もそうだけど、
コメントのやりとりも作品になりますね。

その時の作者の、
素直な気持ちが
真空パックのように
保存されている文章が好きです。

#66日ライラン  参加17日目。

【追記1】「だい@初担任のサポーター」と同一人物です。

原則、平日(月・水・金)3回で教育系の発信をしています。
【追記2】
共同運営マガジンはじめました。
ぜひご参加ください!

【追記3】
ついでにkindle本出版してます!
こちらも是非、お読みいただけたら嬉しいです。


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