子ども時代、ちゃんと子どもをしてこなかった。
子ども時代、ちゃんと子どもをしてこなかった。
そのつけは意外と大きく、40代になって「子ども化」が止まらない。
突然、真夜中にポテチの袋をあけてモリモリ食べたり。
母からの電話を無視したり。
いい大人がしちゃいけないことを平気な顔してサラっとしちゃってるあたり、よくないなぁと思ってはいる。
そんな時、わたしはいつも、母の友達の安岡さんと数年前に亡くなった父を思い出す。
母の友達「安岡さん」
わたしはなぜか、母の友達が好きだ。
母の困ったところを、母の友達はよく知っている。
悪口を言い合うわけではないけれど、母の様子をみて「ふーなんだかね」って目くばせしあえる相手は、母の友達以外にいない。
そんな母の友達、安岡さん。
安岡さんは明るくて、元気で、ちょっと丸々してて、とにかくわたしは安岡さんが好きだった。
安岡さんのおうちに母と一緒に泊まりに行くことが何回か続いて、1度、3人で韓国旅行にまで行った。
おみやげ店で、母がわたしに「コレ買って」とまたいつものわがままを言い始めた時、安岡さんは、ぼそっとわたしにだけ聞こえる声で言った。
「あなたたちみてると、なんか反対なのよね。子どもはちゃんと子どもしないとだめよ、枝豆ちゃん。」
安岡さんのその言葉が、なんとなく今も頭にこびりついている。
子どもが子どもできない理由
わたしがちゃんと子どもできないのは、おそらく母が子どもの椅子から降りてくれなかったからだ。
子どもの椅子は決まっていて、先に座られてしまっては、座ることはできない。
長い間、わたしはそう思っていた。
でも、父が亡くなる時、はじめてその理由以外にもうひとつ理由があったことに気がついた。
父は亡くなる直前に、よくおばあちゃん(=父の母親)の悪口を言っていた。
おばあちゃんは、父が亡くなる何十年も前に亡くなっていた。
もういない人の悪口を言う父を、母も弟もあきれた目で見ていたけれど。
わたしは、ぜんぜんあきれる気になれず、妙に納得していた。
やさしい父はとても長い間、自分の母親に気を使っていたのだと。
亡くなる直前に、そのツケが回ってきて、ガマンできなくなってしまったのだな、と思った。
子どもが子どもでいられないと、そのツケはずっと残り続けるらしい。
思えば父は、いつもおばあちゃんの気持ちを大事にしていた。
おばあちゃんの気持ちを優先して、やりたいことをガマンしていた。
自分が死ぬ直前に、母の悪口をずっと言い続けてしまうような気がして、ちょっと困った。
わたしは父似なのだ。
子どもの椅子が空いているうちに
父が死んで、何も言わなくても理解し合える人がこの世にいなくなってしまったけれど、父は未だにわたしに生きるヒントをくれる存在だ。
性格も体質もそっくりなわたしは、父と同じようにかかとの乾燥に悩んでいる。
父が毎日塗っていた、くさいメンソレータムをかかとに塗って。
そして、母の悪口を死ぬ直前に言わないように、母の電話をちょこちょこ無視している。
救いなのは、わたしには子どもがいないこと。
子どもがいないうちは、まだ子どもの椅子が空いている。
たぶん、ぎりぎりのぎりぎりで。
最近やっと、子どもの椅子に座れるようになった。
そしてわたしは、今日も真夜中にポテチを食べる。
メンソレータムはくさいけど、ポテチはおいしい。
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