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公衆道徳
公衆道徳を学ぼうといわれても、我々日本人は少なくとも幼少期の頃から「マナー」や「エチケット」として「決まり事」みたいなようにしぜんと学んでいるか、又は「躾」として大人に教えられたものだった。
近国、中国に観光に行くと街全体がゴミだらけであり、公共公園のトイレなどは顔付近にだけ仕切り版があり、下半身は仕切りも無く、用を足すところは、半月上に一本の溝に通っているだけである。もちろん一回一回で水を流す行為はなく、途中で止まっている汚物が目の前にある。歩きながらのタバコやポイ捨ては当たり前。つばや痰をはいても当たり前。しかしながら、中国人の家は日本の家より清潔である。とにかく掃除が行き届いておりキレイづきなのである。つまり、一歩表に出ると「公共」は、自分のお城ではないので、このキレイづきの感覚がどこかに行ってしまうのだろう。

「最近の若い者は〜」と決まり文句のように、毎日どこかで聴いているような感覚だけど、この公共道徳というものが日本でも薄れているように感じる。つまり、子供に対して親の教育であったり教育の場である学校で、これらを教えていない。学校では学問かも知れないが、知らない大人が知らない子供に教えることはない。また、知らない大人のいう事は聞く必要が無いとインプットされているのだろう。しかしながら老若男女問わず、ネットの知らない人物のいう事は崇拝するのだが。。。

公衆道徳の見本となるのは「浴場」だろうか。普段着飾っている人も粗末なものを着ている人も関係の無い「裸の付き合い」がある。人だけで捉えてしまうと、人は平等かも知れないが、決して対等ではなくなる。色々な立場や属性等があるというものだ。しかしながら、浴場の中においては、平等にも対等にもなれるものである。タオルを湯舟につけちゃいけない、体を洗ってから(流してから)入浴する、石鹸やシャンプーなどの泡や垢は広げない、シャワーは周りに気を使って使用する、洗面具を使用したら次の人の為に、整理整頓して片付けるなど、これらをマネして覚えるなど、身に付けるものである。しかしながら、大の大人が、できないでいる。だから子供ができるはずがない。貼り紙をしてあってもなんのその。昔は貼り紙なんて必要なかったのである。浴場に限らずどこもかしこも貼り紙だらけで、街全体が美観を失っているのに気付かないだろうか。。。貼り紙は「メッセージ」なのだが。。。

まぁ言い換えれば、道徳が出来ていない人が浴場に来るのか。それほどメリハリが取れないくらいに「忙しい」暮らしをしているのか。働き改革や働きがいなど、どんどん休日を尊重するようになり、経済成長時代の頃に比べると「休み」は確実に多くなっている。

浴場には水商売の女の人も夜遅くに来る。警察官もモンモンが入った人達も普通に来る。休みも減ったくりもない忙しい最中、高度成長期の真っ只中に、近所の高齢者が風呂上りの縁側で将棋や碁を楽しんでいる。サウナなど洋式のモノはなく、それ以上に温ったまって発汗していたのである。冬は外が寒いから湯船のお湯は熱いのである。とにかく熱いから蛇口から水を足そうものなら、茹蛸のように真っ赤っ赤になった知らない親父に怒鳴られたものだった。どんなに帰り道が寒くても、暑くても、そよ風は気化熱となって涼しかったのである。今思えば、忙しいからこそ、メリハリのある休みどころ(休息)が浴場だったのかも知れない。一日の疲れに足を伸ばして湯舟に使ってのんびりできる儀式みたいなものだったのだろうか。どんなに優れたサプリメントよりも、様々なストレスと一緒に洗い流すこと、その方が間違い無く誰にとっても「健康」に良いのは事実であろう。

お祭りに行っても囃子の声が聞こえない。テキヤも少なくなった。あるのだろうが「粋」ではなくなった。花火もあるけど、見物するのに「粋」ではなくなった。有料だからと言って、無料の人から見えない壁を税金で作っている始末だ。むしろゴミが多く散乱してしまい、来ないように仕向けられているのだろうか。全てが若者のセイではない、大半は公衆道徳ができていない、躾を受けた事のない、修行をした事がない最低限のエチケットもできない大人のセイではなかろうか。ハロウィンだからと言って、行政の渋谷区長が街に来ないで欲しいとメディア等を通じて告知している始末だ。。。

子供には子供の仕事があった。いや、やらされたと言っても過言ではない。親の手伝い、大人の手伝い、言いつけであったり命令されたりするのは当たり前。そこにはインターネットや、世界の裏側でつぶやいている似非情報はない。理論や屁理屈ではなく、肌で感じる、体で感じる「道徳」があった。暑い時は暑いのが当たり前。スイカやきゅうりなどの夏野菜、かき氷やアイスクリームだけでなく「風鈴」によって「涼を取る」という感覚が体を冷やす余裕を持った「心」があった。「ひととき」があった。ステテコや浴衣の素地を知っているだろうか。頭が痛くなるクーラーよりも、湿度や湿度を2°C〜3℃下げてくれる「蚊帳」を知っているだろうか。全て素材は「麻」である。綿製品や麻製品と化繊製品の違いを、学識論でなく肌身でまとう感覚の違いを知っているだろうか。。。

環境問題と公衆道徳を無理矢理引っ付けようとは思わないし、同じ土俵に上げるつもりもない。何とも世知辛い世の中になってしまったのは、公衆道徳が世代を通して疎かになっているのだろうか。サプリメントしか飲んでいないのに、メタボとか、、、病院へ行こうものなら薬のオンパレードで、「医者も仁術」から「算術」になってしまった。。。。

AIが登場して、ここ数年で廃れて廃業になる職業が話題になっている。銭湯はエンターテインメント制になって来たと思われるが、消えてはいない。むしろ、良い意味で盛り上がって来ている。そう、必要の無いものは廃れるかも知れないが、決して消えてはいないのである。消えるまでに、もがいてアイデアを出してやりようはあるかも知れない。廃れる事と消える事は同じでは無いということ。廃れても消える必要なんてないはずである。

私は厳しい躾を受けた昭和の人間の大人です。そして、甘え貸し放題で育ててしまったけど、なぜか「道徳心」を持っているZ世代の息子がいる。。。

9月は防災月間ということだ。日本含め世界各国で起こっている自然災害は天災である以上、食い止めることはできないと思いますが、これらによる建物の倒壊や備えに関する取り決めなどは人災かも知れない。人災は食い止めることができると思います。そういう考え事をする月間なのでしょう。関東大震災(大正12年-1923年)、我が国として史上最悪の被害をもたらした日。9月1日で100年目らしい。その間にも大きな地震は度々発生している。

「夏祭り」はコロナ問題の自粛解禁にちなんで大盛り上がりを見せてくれているようだが、豊作を祝う秋祭りと異なり、死者を供養し災害を鎮める慰霊、鎮魂の意味合いの方が強い。
お盆という風習、慣わし、、、誰から教わったのだろうか。。。

しかし、まだまだ残暑が厳しい。。。蚊の発生のピークは10月〜11月くらいになるとか。