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書く、書く然々

「書く」という行為は日常の中でさまざまにある。
長いもの、短いもの。
仕事で、SNS、noteのようなブログで、はたまた家族への伝言。
そして、手帳も。

この「書く」ということについて、今朝聴いていたライブ配信で話しておられるのを聴いて、ハッとしたことがあった。

最近の「書く」の多くはパソコンやスマホでの文字入力が主流になっている。
本来の手で筆記具を持ち「書く」ことをしているのは、どのくらいだろう?

文字入力の「書く」と手で「書く」のは、感覚も少し違う。
手で書くことを経て、文字入力が主流となった今はその違いも無くなってきているのだろうか。

文字入力の場合

手順を改めて振り返ると。
思いついたまま、まずは画面上に単語を乗せていくことが多い。
今、まさにこの文章を書いている時もそうだ。
文字を乗せる前に何も考えていないわけではないが、先に出てきた言葉を自分の外側に出すことが多い。その後ある程度出した言葉を自分で読みながら、表現を推敲する。

思ったこと、感じたことを反射的に入力する一連の動きを改めて考えると、わたしは文字入力する時はスポーツをする感覚に近い気がする。

手書きの場合

メモや殴り書きのような時を除く、まとまった文章を書く時は、紙の上にペンを走らせる前にもほんの少し表現を考える間がある。

まず頭の中である程度、文の構成を整えてから、紙に言葉を乗せることが多い。
また、手を動かすからか考える行為と繋がりやすい。
記憶の定着がしやすかったり、書きながら考えを整理したりすることもある。

どう使い分けると良いのか

双方は得られる感覚や出てくる表現等が体験として、異なることはあると思っていて、両方の良さをうまく活かせると良いなと思っている。

例えば、とにかくできるだけリアルタイムに近い状態で記録を取りたい時は、文字入力だと思う。聞こえてくる言葉をできるだけ正確に記録をするのは話し手のスピードについていく必要がある。
録音・録画したものを文字に起こすものもあるが、できるだけその場で記録するのは、その後のアウトプットもできるだけ早く行いたい時。
逐語録、とまではいかないがイベント等で仕事としてやっていたことがある。

一方、手で書く時は時間を掛けるものが多い。
文字を書くことで、手を動かす行為が考える行為とも繋がって、発想が広がることや深まる副産物を得ることもある。

文字入力と手書きの融合?

ちなみに。
昨年くらいから、手書きを写真に撮りSNSへアップすることもしている。
直接SNSに書き込んだほうが楽なのだけど、敢えて手で書く。

↑ある日の手書き投稿。

SNSの投稿はある程度まとまった文章を書く機会が多いので、直接画面に文字を打ち込んでいた時も、文章の構成を考えながら打っていたのだけれど。

手で書くことで推敲のしかたに違いがあるだろうか?
表現に違いが出てくるだろうか?

という実験も兼ねてやっている。
もう少し観察してみる予定。

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