見出し画像

【鬱と向き合う】散歩へ行ってきた

こんにちは、リョータです。

最近季節が変わろうとしていると同時に
自分の過ごし方が変化し始めてきているのを感じます。

まず、仕事に対して興味が湧かなくなりました。
僕はお金のために働くことが昔からあまり好きではありません。。

仕事は自分の為になるからやるもんだろう、、という方がしっくりくるのです。


どういうことか、説明しますと

僕は今の仕事【工場勤務】を

・人と会うため
・運動のため
・お金のため

と自分と社会とのバランスを図る為にやっています。

自分の世界だけに引きこもりすぎると
必ず自分がバランスを見失い
外の世界が恐ろしく感じやすくなるからです。

人との関わりが仕事をする中で何かしら生まれるからか、
自分の立ち位置がはっきりします。

ああ、今日は荒れてるな・・とか
今日は調子がいい、、とか

俯瞰して自分を感じとることができます。


あとは

人に感謝されると自分も嬉しいから、
直接感謝されるような仕事をすることも
僕の中では大切なことです。

僕は工場でうどんの製麺をしていますが
たまに機械の誤作動や、うどん生地の調子が悪かったりすると
麺のボロが出ます。

つまり、商品にならない麺が出たりします。

それを持ち帰らせてもらうことがあるのですが、
形が悪いだけで、茹で上げるととても美味しいうどんになります。

それをいただいているので、自分が作るうどんが美味しいことを知っています。

僕たちの作った麺をたくさんの人が食べていると思うと
僕は社会にめちゃくちゃ貢献している気分になります。


直接、お客さんから有り難がられたことはないですが
自分が作っているうどんを親やばあちゃんにあげたりすると
美味しいと言ってもらえるし

自分もウマいと食べながら涙が出そうになる程なので
これは喜んでもらえてるはずだ!と思えます。

仕事はお金を稼ぐものだ、、と教えられたから
そういうものとして考えていたところがありましたが

今は全く違います。
仕事は、自分の満足のためにやるものだと思います。
仕事によって自分が元気になるからです。

仕事によって自分が元気にならなければ
それは仕事と呼んではいけない。仕事ではない。
そんな自分ルールです。

週に2回の2時間半しか作業してないですが、
充分仕事してるので、僕は結構満足しちゃってます。


実際は時間給だけど、時間給での換算以外にも
たくさんのものを得るために働いている感じです。


散歩へ行けない考え方と、散歩へ行けた考え方


話が逸れました。
仕事の話もしたかったので、できて良かったです。

今回は季節の変わり目、気圧、温度の急激な変化による
鬱状態での散歩へ行けたことを解説したいと思います。


僕の鬱は大きくは【季節の変化】からやってくることが最近判明しつつあります。

これは平坦な変化の少ない毎日を送ることができる
引きこもり生活だからこそ発見できたことです。

去年とか一昨年、もっと前、、と今を比べることができます。
記憶があるんですね。

大体、体調が狂うのが
今年に入ってからは

1月、2月、4月の下旬、、という感じで荒れていました。

2月は全く何もできなかったですね。
イラストレーターという仕事、、今の働き方があってないのもあると思います。
【絵は描きたいけど、絵の仕事のやり方がしっくりきてない】

1月の初旬と、3月、4月の初旬はイラストの仕事も頑張りました。

5月はまた休もうかと考え中です。


鬱が気候の変化からやってくることはわかりました。


鬱になると僕は

いい思い出が無くなります。

独り言が増えます。

常に忙しなく頭の中で喋り声が聞こえます。

不快なものに注意がむき、それに執着してしまいます。


こんな形で症状が現れます。

そして散歩へ行けなくなった感じです。

実家だし、周りは住宅街。人の目なんてめちゃくちゃある。
僕が小さい頃から知ってるおばさんやおじさんもいて
僕が引きこもりになってしまっていることを知っています。

そういう人たちが怖い、、と感じるようになります。

それをイメージするので、散歩へ行けなくなり
陽を浴びれない、運動不足で自律神経が狂い、さらに鬱は悪化し、、

と負のループです。


散歩は僕の人生のために大切なものです。

ただ、いろんなことを考えちゃうから行きたくなりませんでした。


イメージを変えれば動ける


これは自分の備忘録として残しておきます。

散歩に行けない時、必ず君は足取りが重くなるような想像を働かせているだろう。

散歩にはいろんなシーンがあることを思い出してほしい。

顔を合わせたくない人に出会うだけが散歩ではないこと。


今日は晴れている。
白い光が道路を照らし白く光る道が見える。
道の脇には明るい緑の葉をつけた広葉樹が一本ある。
少し行けば田園が広がり、風は田畑を撫でる。
畔に生息する草や花と土の香りが乗った空気が
身体に入ってくる。

民家に植えられている
金魚草やマリーゴールドの花が咲き、その色が目に焼き付く。

ツツジは赤ピンクと白の花をつけており
絶好調の季節を知らせてくれている。


そんなイメージをした。

すると、その景色に会いたくなり
重い玄関扉を開けるのであった。


会いたいものがあれば、散歩へ出かけられる。


会いたくないものをイメージすると散歩へ出かけられなくなる。


それだけだったのだ。

別に会いたくない人が悪いわけではない。
ただそこに住んでいるだけ、自分と一緒だ。

ただ、考えることは最大限、自分の都合のいいように考えてもいいと思う。

何かを正さないといけない、、という考えでは
僕はいつまで経っても散歩へは行けなかっただろう。


何をイメージするのかで行動が変わる。

行動する前に、何をイメージするのかで
その行動が嬉しいものになるのか、それとも苦しいものになるのかが
まるで変わってしまう。


そういうことが伝えたかった。


リョータ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?